同担拒否犬
大谷義一
生活
チコっていいます。緑いっぱいの公園が窓から見えて日当たりもよく、木材のフローリング床とコンクリートの壁で出来た家に住んでいます。別に私がお金稼いで買った家ってわけでもありません。私にはご主人がいます。
「ガチャ」
あ、主人が帰って来ましたね。外がオレンジ色がかっていたので、そろそろかなぁとは思っていたんですよ。
この家には私以外にもご主人にお世話になっているいぬっころがいます。無論私もいぬっころです。よくご主人や他の人間さんが勘違いしているんですが、僕たちは自分のことを人間だと思ってたりはしません。厳密にはそういういぬっころもいないことはないんですけど、室内犬は家の中で鏡越しに自分の姿を見ることになるので、それで人間じゃないって気付きます。私も初めて鏡を見たとき、驚きましたよ。足四本あったし、くるんくるんのおいしそうな色した毛がフッサフサなんです。全然人間じゃない。鏡見なくても勘の良いいぬっころは自分が人間じゃないって気付くんですけど、結構稀です。そんなこと気にしませんもん。よくよく考えればおかしな話なんですけどね。
扉の開く音に合わせて、それまで思い思いに過ごしていたいぬっころが玄関に身を乗り出します。ポチ、チビがまるでご主人がよく食べているイレブンセブンのクリームバニラパンにそっくりなふかふかのソファーから、タマはフローリング床から、エルドラド、キタサンブラックはガジガジ骨で遊んでる最中に、キセノサトはボーっとしてるひと時に、各々6匹が夕方の営みを中断して向かいました。
「ワンワン!ワンワン!」
「キャンキャン!キャンキャン!」
「ニャーゴ、ゴロニャーゴ」
「バウゥ!バウバウ」
「バカラッ、バカラララッ」
「ドス、ドスコイ」
個性的な鳴き声ですけど皆トイ・プードルです。無論私もトイプードル。いぬっころが玄関にいっぱい集まってしまうと、ご主人のご帰宅の妨げになってしまいます。あのお馬鹿さんたちがご主人のお帰りをどれだけ喜ぼうとも、私は私の考えに
勿論私だって、ご主人の声が聞こえてきたら、抱っこしてもらったり、顔の下をわしゃわしゃ撫でてもらったり、膝の上に乗せてもらったりして欲しい願望なんていくらでも沸いてきます。でもそれ以上に私はご主人の暮らしぶりを優先したいのです。
疲れて帰ってきたあと、エスプレッソに砂糖を入れて飲むご主人を見るのが幸せで、お風呂場からご主人の鼻歌が聞こえてくるのが幸せで、寝室からご主人の寝息が聞こえてくるのが幸せなんです。
「ドス、どすぅ」
キセノサトが疲れたご主人に抱っこを要求しています。荷物を降ろしたご主人は重い腰を上げてキセノサトを抱き上げました。そんなお馬鹿さんのために無理しなくていいんですよご主人。キセノサトはご主人の腕の中で喉を心地よさそうに鳴らしています。早くそこ降りろよ、いぬっころ
玄関に飛び出していったいぬっころたちがご主人と共にリビングに戻ってきました。ご主人はキッチンのエスプレッソマシンにコーヒー豆と水をセットしたら、次の工程に入る間に私たちの晩ご飯の準備をしてくれます。青丸のフリスビーみたいなお皿を本棚の隣の戸棚から取り出すと、さっき玄関から帰ってきたいぬっころたちが一斉にご主人の足元に集まります。もうちょっと離れなさいよ、邪魔になってるでしょ……。なんて私の心配をものともせずご主人はいぬっころで埋まった床をぐんぐん通り抜け、IHコンロの上にある戸棚からドッグフードを取り出しました。テーブルに置いたお皿に一匹分ずつ振り分けて、床にコトンと置きました。
いぬっころたちはそれぞれのお皿について、ドッグフードを
ドッグフードを食べている最中、濃厚なコーヒーの匂いがしていました。コーヒーの匂いは少し苦手なんですけど、ご主人がそばにいるかんじがしてなんだか落ち着きます。食べ終えて少しくつろいだ後、お風呂の時間になりました。
ご主人は、お風呂が苦手で逃げ惑ういぬっころを優先してお風呂に入れようとします。私はこの家の中で一番お利口なので、必然的に私が最後になります。他のいぬっころときたら、ポチはシャンプーで泡だらけになってる状態で風呂場から出てきちゃうし、エルドラドはあろうことかご主人の腕に嚙みついてしまったこともあります。私がいぬっころたちのことを全面的に信用できなくなったのは、その嚙みつきのせいだったかもしれません。
そろそろ私の番です。ご主人が泡だらけになった床を拭いてるうちに、自ら風呂場の扉まで向かいます。ご主人は床を拭くのが終わると、私を抱きかかえてお風呂場の中に入ります。そしてご主人とは別の、バケツで出来た湯船のなかに入れられます。確かに、くるんくるんの毛が肌に吸い付くような感覚は極めて何か不快な物を感じてしまいますが、ご主人のお手を煩わせないようにしなければ。シャンプーで体を隅々まで洗って、シャワーの水で流して、タオルで拭き取って、ドライヤーで乾かしてもらって、終わりです。
私は疲れてぐったりとソファーに横になりました。今日もご主人の迷惑にならずに済んだ。と、なんとなく少し侘しさを抱えながら思ってました。その侘しさはご主人の迷惑に繋がるもので、気にしなくてもいいものだとは自分でもわかっています。でも、いつものようにまた、その侘しさが私の中で傷っぽくうずいています。
ふと、お風呂場の中にキラリと反射するものが見えました。ご主人の身に付けている
ご主人の寝顔か直で見れるのは滅多にないことなので、暫くの間ご主人の顔を見つめていました、そのときです。私は不意に咥えていた腕時計を落としてしまいました。金属製のバンド部分がバチィンと音を立ててご主人の顔面にダイレクトアタックしました。やばい。
「……ん、なんだ、チコじゃないか」
どうしよう、今まで完璧だったのに最後の最後でこんなことになってしまった。こんなことになるなら、いっそここまで持ってこない方が良かった? いやでも、私が持って来なかったとしても最後に困るのはご主人になってしまう。でも、今私は腕時計を持ってきたからこんなことに……
「その腕時計、お前が持ってきてくれたのか? 探してたんだよ、ありがとう」
へっ?
一瞬の動揺の後、私はご主人に抱きしめられた。
「今夜は一緒にねような」
なんか、なんだろう。複雑な気分でした。でも、そのときは、ご主人の体温が気持ちよくて、眠っちゃいました。
こんな私を許してくれてありがとうございます。私はこれからも、あなたを推して居続けます。
同担拒否犬 大谷義一 @koogy
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