15 悲しみや苦しみは、嬉しさや楽しさと同等のこと

 細長い羊羹の左端が、薄くスライスされていた。

 断面には、うずまきの先が左に反り上がって伸びた、白い羽の形をしたヘアピンが埋まっている。

 白けた顔で、佐野はそれを見下ろしていた。

「この状況で安易に処分するのは危険だと判断して、とっさに思いついた方法が、これだったんだと思いますよ」

 本村は言った。

「ヘアピン入りの羊羹を袋に詰めて、口をシーラーで塞いでしまえば、未開封を装うことができます。さらに包装紙やリボンでラッピングすれば、誰かが勝手に開けてしまうリスクも減らせますし、仮につまみ食いされたとしても、ヘアピンを埋め込んだこっち側を————」

 本村は羊羹の左端を指差した。

「開封口とは反対になるように入れておけば、発見を遅らせることができます。このタイプの羊羹なら、開け口から薄くスライスして食べていくことの方が多いですからね。警察の監視の目が緩くなったら、隙を見て処分するつもりだったんだと思います。マンションの、外へ出て————」

「成願寺星来はなぜこんな隠蔽工作を?」

 相原は眉をひねった。

「相原さん、それはしーです」

 本村は人差し指を口元へやった。

「え? だってここでお菓子作る人っていったら————」

「相原さん、これは天使からのメッセージなんですよ」大槻は諭した。

「君たちまでそういうこと言うんだね……」

 サンルームの扉が開いた。警官に連れられて、鈴掛萌榴と鈴永萌苺がやって来た。二人とも、ひどく怯えた顔をしている。

 本村は平然と振り返った。

「告白することがあるなら、今ここで話してください」

「告白……?」

 萌榴は言った。

 二人の天使は、さりげなく手を繋いだ。

「萌苺たちには、アリバイがあるんだよ?」

 しっかりとした口調で、萌苺は言った。「何も悪いことなんてしてない」

「そですか」

 本村は後ろのテーブルの、ヘアピン入りの羊羹の横に置かれた、小さな袋をつまみ上げた。うずまきの先が右に反り上がって伸びた、白い羽の形をしたヘアピンが入っている。

「このヘアピンが誰の物か分かりました」

 萌榴と萌苺は非難がましい顔で本村の方を見つめていた。

「僕たちずっと、『羽』『羽』って言ってますけど、厳密に言えば、亡くなった市井明日見さんが握っていたこのヘアピンは『翼』なんですよね。これと対になる、翼の形をしたヘアピンが、美羽音さんの部屋から発見されました。ヘアピンの持ち主は、美羽音さんだったんです」

 萌榴と萌苺は黙っていた。

「美羽音さんは、明日見さんが亡くなった日の朝に、このヘアピンを見たと言っていました。つまり、その日の朝の時点では、このヘアピンは両方とも、美羽音さんの部屋にあったんです。そして、明日見さんの遺体が発見されるまでの間に、誰かが美羽音さんの部屋に忍び込み、ヘアピンの片方を盗んだ」

 本村は続けた。

「美羽音さんの部屋に忍び込むのは簡単です。朝、美羽音さんはサンルームにやって来ると、いつも通り、バックパックをそこのクロークに置いた。同じくサンルームにいた犯人は、自室へ戻る適当な口実を作り、クロークで自分の荷物から鍵を取り出すのと同時に、美羽音さんのバックパックから鍵を抜き取り、部屋を出ればいい。あの日の朝、このサンルームには、工藤さん、四葉さん、星来さん、萌榴さん、美羽音さんがいました。そして、四葉さん、工藤さん、萌榴さんが順に席を立った。星来さんは部屋を出なかったと言っていますが、美羽音さんがいなくなってしまった今、それを証明できる人は誰もいません。つまり、美羽音さんの部屋からヘアピンを盗んだのは、この中の誰かってことです」

「あ、あのヘアピンが美羽音ちゃんのものなら」

 萌苺が言った。「美羽音ちゃんが、ヘアピンをつけて外出したのかも————」

「やっぱ知らないんだ」

 倉沢が言った。

「え?」

「美羽音さんの部屋に忍び込んだとき、このヘアピンを選んだのは、これがドレッサーの上にあったからですか?」

 本村は言った。「ピアノの、オルゴールが置いてあるドレッサー」

 萌榴と萌苺は何も答えなかった。

「あのリビングのドレッサーは、ヘアメイクをするための場所じゃなかったんですよ」

 大槻が言った。「美羽音さんにとって、お祈りをするための神聖な場所だったんです。マカロニ・エンジェルの人たちは、日常的にプレゼントを贈り合う習慣がありますよね? 美羽音さんは、これから誰かへ贈る大切なプレゼントとして、ヘアピンをそこに置いていただけだったんです」

「現に、明日見さんが握っていたヘアピンには、美羽音さんの指紋はついていなかった」

 本村は言った。「美羽音さんが、あのヘアピンを身につけていないという何よりの証拠です」

「だ、誰かに贈るつもりでいたなら————」

 萌苺は言った。「あのヘアピンを持って、明日見さんにプレゼントしに行ったんじゃ————」

「美羽音さんはヘアピンをプレゼントするために、わざわざ厚紙を用意していたんですよ」

「厚紙?」

 萌榴は言った。

「ほら、ヘアピンって、台紙を挟んで売られていることが多いですよね?」

 大槻が言った。「もし、二つで一組のヘアピンを、バラバラにして、それぞれ別の人にプレゼントしたかった場合、元々ある台紙を真っ二つに切ってしまうか、もしくは、台紙のない状態で渡すという方法がありますよね? でも、美羽音さんはそのどちらでもなく、厚紙で、二枚の台紙を手作りしようとしてたんです」

「そのキーホルダーと同じですよ」

 本村は、萌榴と萌苺のバックパックに付いている、揃いのキーホルダーを指差した。「最初、四葉さんがあなたたちにそのキーホルダーを贈ったのは、そのキーホルダーの二つの赤い丸が、赤い柘榴と赤い苺、つまり萌榴さんと萌苺さんを表しているからだと思いました。でも、もう一つ別の意味があった」

「もう一つ?」

 萌苺は言った。

「そのキーホルダー。合わせると、二つの赤い丸が、四つの赤い丸になって、まるで赤い四葉のクローバーみたいに見えるじゃないですか。四葉さんは、〝二つで一つになる〟という意味を込めて、そのキーホルダーをプレゼントした」

 萌榴と萌苺ははっとして、互いを見つめ合っていた。

「美羽音さんも、それと同じことがしたかった。元々対になっているこのヘアピンを、あえて二つに分けて、プレゼントするつもりだった。美羽音さんが頑なに、ヘアピンを『自分の物ではない』と言ったのはそのためです。この一対のヘアピンは萌榴さんと萌苺さんのもの。二人に、プレゼントするはずのものだった」

 萌榴と萌苺は手を繋いだまま、呆然となっていた。

「四葉さん、工藤さん、萌榴さん、そして星来さんのうちの誰かがこのヘアピンを盗んで、明日見さんの死体に握らせたとしたら、その日マンションから出ていない工藤さんと星来さんには、不可能ということになります。四葉さんはその日の朝に外出しましたが、四葉さんは、美羽音さんの部屋の、『ドレッサーの意味』を知っていた。四葉さんがヘアピンを盗むつもりなら、リビングのドレッサーからは選びません。日常的に、使っていない恐れがあるからです。あの日の朝、クロークで美羽音さんの部屋の鍵を抜き取り、リビングのドレッサーから、美羽音さんが使わないはずのヘアピンを盗み出し、明日見さんの死体に握らせることができたのは、萌榴さん、あなたしか————」

「萌榴じゃない!」

 萌苺が叫んだ。

「萌苺が……これにしようって言ったの。羽のヘアピン。ドレッサーの上に置いてあって、美羽音ちゃんが、よく使ってるんだと思ったから————」

「二人で、やったってことだね」

 佐野は言った。萌榴と萌苺は頷いた。

「余罪はまだあんだろ」

 池脇は言った。「天藤さんと、杉之谷さんの件」

「わ、私たちは殺してない!」萌苺は言った。

「それは分かってるよ」佐野は言った。

「ボタンも、譜久村さんの部屋から盗んだ?」相原はたずねた。

 萌苺は首を振った。

「あれは、サンルームで偶然見つけたの。美羽音ちゃんが席を立ったとき、床に落ちてたから、すぐに分かった」

「何日かして、あのお寿司屋さんのお家で、お葬式があることが分かって……」

 うつむきながら、萌榴は言った。

「弔問客を装って侵入し、ボタンを落とした」佐野は言った。

 萌榴と萌苺は頷いた。

「市井さんの死体を見つけたのも、偶然だった?」

 相原はたずねた。

 萌苺は頷いた。

「あの日の朝、美羽音ちゃんのヘアピンを手に入れたあと、住宅街を歩いていたら、目の前を、ものすごいスピードでバイクが突抜けていったの」

「バイクが出てきた方を見てみると、女の子が倒れてた。それで、朝盗んだヘアピンを握らせたの」

「遺体を動かしたのは、どうして?」

 相原はたずねた。

「え? だって……」

 不思議そうに、萌苺は顔を上げた。

「可哀想だったから」

 萌榴は言った。「あんな狭くて暗い路地で、誰にも見つけられないままずっといたら、可哀想だと思ったから」

「杉之谷さんの件については?」佐野はたずねた。

「聖恵さんのことは、前から知ってた」

 萌苺は言った。「時々、お家へ行って、縁側でたくさんお話をした」

「あの人は、すべてを持っていたの」

 萌榴は言った。「お金も美貌も、孤独も病も。すべてを手に入れていた」

「なのに、失くしたものばかりを求めつづけていた」

「この世で必要なものは、とっくに与えられているはずなのに」

「あの日、酉飾の雑貨屋で、まさゆきくんを誘拐した」

「まさゆきくん、美羽音ちゃんの肩にしっかりしがみついてた。バレるかと思ったけど、美羽音ちゃん、おもちゃに夢中で、全然気づいてなかった」

「そのあと、雛町に戻って、お家を訪ねたときには、聖恵さんはもう死んでた」

「まさゆきくんに、聖恵さんの血をつけて、門から見えるところに置いた」

「それも、誰かに発見してもらため?」佐野はたずねた。

 萌榴と萌苺は頷いた。

「他には?」

 相原はたずねた。

 萌榴と萌苺は首を振った。

「どうして、譜久村さんを犯人に仕立て上げようと?」

 佐野はたずねた。

「犯人に? そんなこと、したかったわけじゃない」

 萌苺は言った。

「美羽音ちゃんと関わりを持ったり、美羽音ちゃんを信じてる人には、良くないことが起きると、町の人たちに知ってほしかっただけ」

 萌榴は言った。

「どうして、そんなことを?」

「だって、四葉ちゃんが————」

 萌苺は顔を伏せて、声を振り絞りながら、涙をこぼした。

「私が、何————……?」

 サンルームの扉に手をかけて、四葉が立っていた。呆然と、二人のことを見つめている。

「平等にするべきだって————」

 萌苺は言った。

「なのに、美羽音ちゃんは、たった一人を優遇してた」

 しゃくりあげながら、萌榴は言った。

「そうなんですか? 四葉さん」

 本村は聞いた。

「え……うん。でも……」

 戸惑いながら、四葉は答えた。

「なんとなく、そんな気がしただけなの。美羽音ちゃんが誰を大事にしていたかは、私にも分からない」

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