13 失くしものをしたってあなたはどこも欠けたりしない

「あっれぇ……おっかしいなぁ……」

 散らかったバックヤードの棚をあさりながら、島崎悠太は言った。

「ほんと、確かにここにあったんですよ」

 島崎は棚の上を指差した。

「これだけ物がたくさんあるのに、覚えてるんですか? 白いコートとブーツのこと」佐野はたずねた。

「覚えてるも何も。あれは理比人君が、直々に持ち込んだんですよ」

 腰に手を当て、バックヤード内をきょろきょろと見回しながら、島崎は言った。

「二條理比人さんとは、お知り合いだったんですか?」相原がたずねた。

「いいえ、持ち込みに来るまで、会ったことはなかったですし、別に詳しくもないですけど……美羽音ちゃんがうちに来るようになってから、一応、マカロニ・エンジェルのモデルさんたちの、顔と名前くらいは覚えましたよ。理比人君がマカロニ・エンジェルを辞めたのは知ってましたけど、でも、まさかエンジェル時代の服をうちに棄て——預けにくるとは思わなかったので……。びっくりしたんで、よく覚えてます」

「その服を、最後に見たのはいつですか?」佐野は聞いた。

「えーっと……いつだったかな……」

 島崎は額をこすった。「三日前、理比人君から預かったあと、ここに置いたとこまでは、覚えてるんですけど……」

「お客さんから預かった品物は、しばらくここに置いておくんですか?」

「ええ。物によりますけど、ある程度まとまってから、処理することになってます」

「バックヤードのドアに鍵は?」

「そりゃ、閉店時には……」

 気まずそうに、島崎は言った。

「営業中は?」

「かけてないです……」

「バックヤードの前の受付には、常にスタッフを置いているんですか?」

 出口の方を指して、相原がたずねた。

「ええ、多分……」

「多分?」

 佐野は眉をひそめた。

「そりゃあ、二、三分、空にするくらいのことはありますよ……。しょうがないじゃないですか、人手不足なんですから」

「あれ見たらいいんじゃないですか」

 本村が、店内に設置された防犯カメラを指差した。カメラのレンズは丁度、受付と、その後方のバックヤードのドアの方を向いている。

「あぁ、あれ、ダミーなんで……」

 ばつの悪そうに、島崎は言った。「何も置かないよりはいいですよね? 防犯対策としては……」

 どうしたものかと、佐野たちは鼻で息をついた。

「あの……美羽音ちゃんが亡くなったって、本当なんですか?」

 おずおずと島崎は言った。佐野は辛辣な表情を向けた。

「いや、あの……ハタヤマ美容室のチーフが話してたって、噂で聞いたもので……。何かの間違いですよね?」

「亡くなりました。ついさっき」

「あぁ……そ……そうなんですか……」

 島崎は肩を落とした。「なんだか、信じられませんね。今朝はあんなに元気だったのに……」

「今朝?」

「譜久村さん、今朝ここに来たんですか?」相原は言った。

「え、ええ……オープン直後に」

 びくりとなって、島崎は言った。

「何をしに?」

 島崎を壁際に追い込んで、佐野は問い詰めた。

「な、何って……」

 島崎は小さく両手を上げた。「前にもお話ししたじゃないですか。上でお茶を飲んでっただけですよ」

「何か話しましたか?」相原も問い詰めた。

「き、昨日、雛町で、見ず知らずのご老人が亡くなったらしくて……。そのご家族が、元気になってくれればいいと……。『美羽音ちゃんが励ましたなら、きっと大丈夫ですよ』って、言っただけですけど」

「その他は? 午後から、誰かに会うようなことは?」佐野は言った。

「いえ、別に……」

 島崎の肩はひきつっていた。

「お茶を出して、二言三言話したら、僕はいつもすぐ下に戻るんですよ。ずっとそばにいて、お喋りしてる訳じゃないんです。上でお茶を飲んでる間、美羽音ちゃんは、いつも一人でぼーっとしてるか、にこにこしてるか、うさぎのぬいぐるみと話してるかで……。知ってます? 『そくばくうさぎ』って。そう、それの色違いのやつ」

 島崎は、大槻が身につけているピンクと水色のそくばくうさぎを、恐るおそる指差した。「そういえばそのぬいぐるみ、美羽音ちゃん、今朝は持ってきてなかったですね。洗濯でもしてたのかな……はは……」

 佐野は島崎を解放した。

「勾留中なんですよ、そのうさぎ」

「…………はい?」



 えるが階段を上ろうとすると、そこには、二人の天使が並んで腰かけていた。

「萌榴、萌苺……」

 えるは柔らかな微笑みを浮かべて、二人の隣に腰かけた。

「まだ泣いてるの?」

 萌榴と萌苺の目には、まだ涙が浮かんでいた。

「悲しいね。僕も悲しい」

 えるは顔を上げてどこかしらを見た。

「でも、美羽音は僕らを悲しませるために死んだわけじゃない。それは、僕らが一番よく分かってることだよ。萌榴と萌苺は、美羽音が本気で、僕らを憎んで、いじわるがしたくて、それで、天界へ行ってしまったと思うの?」

 萌榴と萌苺は泣きながら首を振った。

 えるは微笑んで、二人の頭をそっと撫でた。

「大丈夫。いつかきっと、分かるときが来るよ」


 階段を上り、六階にたどり着くと、廊下の隅で矢弦がうずくまっていた。

「矢弦……」

 えるは柔らかな微笑みを浮かべて、矢弦の前にしゃがみ込んだ。

「大丈夫?」

 矢弦はひざに顔をつけたまま、何も答えなかった。

「矢弦……。僕、矢弦に聞きたいことがあるんだ」

「…………」

「美羽音と、何かあった?」

「…………」

「最近、雛町で起きてる事件のこと……何か知ってるの?」

「…………」

「矢弦、最近何かようすが変だよ?」

「…………」

「何か悩んでることがあるなら————」

「俺……」

 矢弦は、ほんの少し顔を上げ、かすれた声で言った。「ここにいていいのかな」

 えるは当然と微笑んだ。

「当たり前だよ。どうしてそんな————」

「俺、思うんだ。自分は————」

 矢弦はまた、ひざを抱えてうずくまった。

「場違いなんじゃないかって————」


 七階へ上ると、窓辺に四葉が佇んでいた。

 四葉はきりりとした瞳でえるの姿を見ると、何も言わず、また、窓の外に視線を戻した。

 えるは柔らかな微笑みを浮かべて、四葉のそばへ向かった。

「ねえ四葉、ここはほんとによくできた世界だと思わない?」

 窓の景色を眺めながら、えるは言った。

「僕らがここに生まれた瞬間から、空があって、月と太陽がきらめいて、海が鳴って緑が茂って、花が咲いて風が吹いて。そんな場所で、僕らはどこへでも行けて、なんにでもなれて、どんなことだってできる。でも突然、けもの道に出くわしたり、嵐に打たれたり、怪我をしたり病気に罹ったり。だからみんな、注意深く生きて、些細なことを恐れて悩んで、誰かを守ったり、愛を伝えたいと思うんだ」

 えるは四葉の方を見た。

「責めるものなんて、何ひとつないよ。この世はすべて、僕らのために————」

「うるさい」

 四葉は言った。

 まっすぐに、窓の方を向いている。

「どっか行って」


 八階のサンルームへ行くと、キッチンで、星来が手製の菓子のラッピングをしていた。

 星来の顔からは微笑みが消えていた。黙々と、できあがった菓子を袋に詰め、星形の刻印が入ったシーラーで封をする作業をしている。

 えるはふらふらとソファの方へ向かうと、落下でもするように腰をおろし、うなだれた。

 すぐに誰かの気配がして、顔を上げた。

 キッチンにいたはずの星来が、あっという間にテーブルにハーブティーをはこんできていた。

「警察というのは大変ですわ。目に映るものだけを、信じなくてはいけないのですから」

 星来は、青いハートの模様が入った透明なカップにハーブティーを注いだ。それから、カップをえるの目の前にそっと置いた。

「どうぞ」

 星来はいつものように穏やかに微笑んで、えるの顔を見つめた。

「味わってください」

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