11 あなたの心は誰にも干渉できない

「すいません、お待たせして」

 部屋にやって来るなり、天藤はじめは何度も会釈した。それから、流れるように座卓の前に腰をおろした。

「こちらこそ、お忙しいときにすみません」

 佐野と相原は深々と頭をさげた。

「自宅の裏手が、お店なんですね」佐野は言った。

「はい。だから面白かったですよ」

 はじめは苦笑した。「通夜振る舞いのとき、仕出し屋さんに頼まずに、向こうで僕たちが握った寿司を振舞ったんです。最初のうちは親戚方も、『こんなときまで働かなくていい!』なんて言ってたんですけど……。お酒が入ると、だんだん楽しくなってきちゃったみたいで。最終的に、ずっと座り込んでたうちの父も、つけ場に立って寿司を握りはじめて。なんというか、形式通りではないかもしれないですけど、寿司屋の孫である身としては、いい供養ができたかなぁ……なんて」

「僕、食べに行ったことあるんですよ、こちらのお寿司」相原が言った。「友人におすすめの寿司屋をたずねたら、ここを紹介されて」

「それはどうも」

「それで、さっそくなんですが」

 和やかな雰囲気の中、佐野は本題を切り出した。「マカロニ・エンジェルと名乗る人物がこちらに訪ねてきたのは、いつのことですか?」

「あれはぁ————……初七日が済んだあとだったので————」

 はじめは険しそうに目を細めて、壁に掛かった『つくも酒店』のカレンダーを見やった。「みっ、かまえ————ですかね」

「この中に、その人物はいますか?」

 相原がタブレットに映る、マカロニ・エンジェルのモデルたちの写真を見せた。

「この子です」

 はじめは迷いもせずに、譜久村美羽音の写真を指差した。

 佐野と相原は互いの目を見合わせた。

「それと————」

 はじめは続けていた。「この子」

 はじめは、大貫矢弦の写真を指差していた。

「二人で、やって来たんですか?」佐野は言った。

「はい。ライフスタイルブランド?とか言ってました」

「どんな話をされましたか?」

「うちの祖父が亡くなったことを聞きつけて来たみたいで、『そのお気持ちは、私たちも知っています』とか、『悲しみは、美味しいお寿司を食べたときの気持ちと同等なんです』とか。『じゃあ、旨い寿司とうちのじーちゃんの死は同じってことですか?』って聞いたら、めっちゃ眠そうな顔で、『そのように感じることも可能です』って。『じゃあ不味い寿司だったらどうなるんですか?』って聞いたら、『天藤さんはどうしたいですか?』って。『さすがに自分の祖父が死んだのと、不味い寿司を一緒にはされたくないですね』って言ったら、『素敵なことだと思います』って。『あどうもー』って。それからしばらく、玄関先で話したと思ったんですけど、さらにまた『思っていることがあればなんでも話してください』って言うんですよ。『そうですねえ、早く中に戻りたいですかねえ。忙しい夕食時なんで』って言ったら、『好きな料理はなんですか?』って。『妻が作るたらこスパゲッティです』って言ったら、『それを忘れないでください』って」

 佐野は無意識に、顔を引きつらせていた。

「一昨日、雛町で轢き逃げ事件があったのはご存知ですか?」

「ええ、知ってます。学生さん、ですよね」

 相原が写真を見せた。

「雛町商店街の、『デスワ』という店に勤めていた市井明日見という方なんですが、ご存知ありませんか?」

「いえ、ニュースで名前を見たくらいで」

「たとえば、亡くなられたおじいさんが、誰か若い女性について話をしていたようなことは————」佐野はたずねた。

「うーん……テレビCMのタレントくらいなら、あったと思いますけど、それ以外は」

「これに見覚えはありませんか」

 相原は羽のヘアピンを取り出した。

「いえ、まったく」

「杉之谷聖恵という方について、心当たりはありませんか?」佐野はたずねた。

「いえ……まったくないです」

「こういうものについて————」

 相原は、白地に黒ブチ模様のそくばくうさぎの写真を見せた。「心当たりは?」

「ああ! これ!」

 はじめは目口を大きく見開いた。「さっき写真で見た二つ結びの子が、うちに来たとき身につけてました。こう、肩のところに」

 はりきったようすで、はじめは説明した。

「その時、このぬいぐるみについて何か話しましたか?」佐野は言った。

「いいえ何も。僕もわざわざ指摘しなかったので」

「最近、何か変わったことはありませんでしたか?」

「そうですねえ……変わったといえば変わったことばっかりで。予期せぬ電話とか、来客とか。枕飾りのロウソクが信じられないくらい燃えたり、葬儀の最中、母の右肩が急に上がらなくなったり。昨日も夢に祖父が出てきて、『お前は天パか。どうなんだ』って聞いてくるんですよ。朝起きてから妻に、『今日夢にじいちゃんが出てきたんだよ』って話したら、『私も!』って」

「……すみません、考えなしに」

「ああ、いえ。刑事さんたちが知りたいのはこういうことじゃないんですよね、多分」

「おじいさんは、ご自宅で?」相原がたずねた。

「はい。病院などには入っていませんでした。臨終のときも、ここに」

「たとえば————なんですが。おじいさんのご臨終の際、御遺体のそばに変わったものが置かれていたようなことはありませんでしたか?」

「いえ、別に何も」

 不思議そうに、はじめは答えた。

「おじいさんが亡くなられたあと、自宅や、店舗の敷地内で、ご家族の誰も身に覚えのないものが置かれていたり————」

 相原が言い終わる前に、はじめは何かを思い出していた。

「そういえば」

 立ち上がり、タンスの上から何かをつまんで持ってきた。はじめは、大文字のAの字が羽を広げたような絵柄が刻まれた、小さな丸い物体を座卓の上に静かに置いた。

「幸運の————」

 佐野は絞り出そうとしていた。

「メダロワです」

 相原がさらりと言った。それからすばやく手袋をはめ、その物体をつまみあげると、ひっくり返し、眉をひそめた。

「佐野さん、これ、メダロワじゃないですよ」

 相原はその物体の裏面を佐野に見せた。糸が通せる程度の、小さな輪っか状の金具が付いている。

「ボタン?」

「ですね。でも、メダロワではないにせよ、このロゴがマカロニ・エンジェルのものであることは間違いないですよ」

「これ、どこで?」

 佐野はたずねた。

「葬儀のときに使った座敷で。諸々済んで、身内もほとんど帰って、やれやれしていたところで見つけて。最初は、学生服のボタンかと思ったんですよ。制服で来てた子も、何人かいたんで。それで、心当たりにひと通り連絡したんですが、誰も知らないって。捨ててしまおうとも思ったんですけど、妻が嫌がったんですよ。たかがボタンですけど、こう、祖父を見送ったばかりなので……。『捨てる』という行為に、すごく敏感になってるようで……」

「葬儀のとき、見知らぬ人物を見かけたりしませんでしたか」

「いやぁー、正直、誰が誰やらでしたよ。たくさんの人が出入りしたもので。お恥ずかしい話、自分の甥や姪でさえ、最初見たとき誰なのか分からなかったくらいで。ほんっと、子どもの成長は早いですよね」

「失礼を承知でお伺いしますが、おじいさんが亡くなられた原因は、なんだったんでしょうか」

「うーん。言ってしまえば、『老衰』ですね。特別、何か患っていたわけではないんですよ。年相応に、あちこち弱くなってはいましたけど。ある時から、急に食が細くなって、簡単な問いかけに応じることすら、難しくなって……。起き上がれなくなってからは、早かったですね」

「おじいさんの死に、不審な点はなかった?」

「ええ。体調を崩してから、ずっとかかりつけ医が診てくれていましたし、臨終の際も、その医師が。よくある表現ですけど、本当に、布団の上で、眠るように————……安らかに、逝ったんです。家族が、見守る中で————」

 はじめは涙を流していた。そして笑った。

「な、か……すいません。葬儀のときも、泣かなかったんですけど————」

 言い終えるころには、また涙があふれていた。

 今度は、堪えきれなかった。



 そこにある天国を、譜久村美羽音は知っていた。

 足元に浮かぶ、ふわふわの白い雲。頭上に広がる、澄んだ青空。夜が来れば、きらめく星が輝く。

 美羽音は雲のふちに立って、下界のようすを覗き込んでみた。

 大好きな雛町。

 何もかもが用意されている、愛おしい町。なんでもできる、愛おしい人たち。

 大丈夫。

 あの子はきっと気づくはず。

 天使は祈っていた。

 そして、白い羽を広げて、空高く、飛び立った。

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