10 ときめきに正直になる

「美羽音さん?」

 背後からそう呼ばれ、譜久村美羽音はツインテールを揺らした。

 振り返ると、見覚えのある寝癖頭の少年と、ピンクと水色のツートンカラーのそくばくうさぎを身につけた見知らぬ少年の姿があった。

「覚えてます? 僕のこと」

 寝癖頭の少年が言った。「すっごい偶然ですね。これって何かのお告げ?みたいな。あの、よかったらそこでお茶しません?」


 本村たちは雛町商店街にある、『R荘』というカフェに入った。

「ふぁ〜」

 目の前に黒ごまラテとココアクリームケーキがはこばれてくると、美羽音はきらきらと瞳を輝かせた。それから、ラテの表面を上から覗き込んだ。

「白と黒が混ざり合う前の、まだらな瞬間が好きです」

 そう言って、美羽音は本村たちを見た。「お二人は、どんなものが好きですか?」

「どんなもの?」本村が聞き返した。

「なんでもいいです。好きな食べ物とか、音楽とか」

「ごわごわのタオル」

 本村は言った。

「雨の日」

 大槻は言った。

 美羽音は嬉しそうに何度も小さく頷いていた。

「自分の心を癒す特効薬を知っているということは、大事なことです」

 美羽音はラテを一口飲んだ。

「昨日、天使の噴水がある公園近くの住宅で、杉之谷さんて方が亡くなったの、ご存知ですよね?」本村は言った。

「はい」

 美羽音は少し驚いたように目を見開いた。

「美羽音さんが、第一発見者だったんですよね?」

「はい。でも、どうして……」

「商店街じゃもっぱらの噂ですよ」

 大槻が言った。「ツインテールの天使が、事件の目撃者だって」

 美羽音は、何かぴんと来たようすで小さく笑った。

「ふふ。もう、三希子ママったら」それから、カップを口にした。

「杉之谷さんの家へはどうして?」本村はたずねた。

「私にも、『まさゆきくん』って名前の、うさぎのお友だちがいたんです」

 美羽音は、大槻が身につけているそくばくうさぎを見て言った。

「僕と初めて会ったとき、ここにいた子ですよね」

 本村は自身の肩をつついた。

「そうです。昨日、私、まさゆきくんと二人で、雛町をおさんぽしてたんですよ。デスワに行ったり、天使の噴水の公園に行ったり。そのあと、酉飾の雑貨屋さんに行ったとき、まさゆきくんがいなくなってることに気づいたんです。お店の中を探しまわったんですけど、見当たらなかったので、急いで雛町に戻って。公園を探しているときに、さちこちゃんを見かけたんです」

「さちこちゃん?」

「はい。前に会ったことがある、猫さんなんですけど。さちこちゃんが、まさゆきくんの居場所を知ってるかもしれないと思って、追いかけたんです。そうしたら、聖恵さんのお家に行き当たって……玄関のところで、まさゆき君が倒れているのを見つけて……。それで、庭の方へまわったら、聖恵さんも倒れていたんです」

「どうして、庭の方へ?」

「なんだか、すごく……」

 美羽音は暗く、怯えたような表情を浮かべた。「嫌な予感がして」

「まさゆきくんはどうして、聖恵さんの家に?」大槻がたずねた。

「さあ。分からないです」

「聖恵さんの家でまさゆきくんを見つけたとき、まさゆきくん、何か言ってませんでしたか?」本村はたずねた。「誰かに襲われたとか、怪しい人間を見たとか」

「いえ、何も」美羽音はしょんぼりとうつむいた。

「最後にまさゆきくんを見たのは?」

「肩にいるのをちゃんと見たのは、天使の噴水の公園にいたときだと思います————。あの、なんだかこれって」

 美羽音は、照れたように言った。「事情聴取みたいですね」

「あ、すみません。昨日も事情聴取されてたんですよね?」

「大丈夫です」

 美羽音はにっこりと笑った。「昨日は、すごく動転してましたし、事情聴取なんて受けるのも初めてだったので、すごく怖かったんですけど、今日はもう大丈夫です。聞きたいことがあれば、なんでも聞いてください」

「なんでも?」

「はい、なんでも。雛町の人たちは、私たちが何かお話を伺おうと思っても、なかなか気持ちを打ち明けてくれない人が多いんです。だから私、こんな風に人から何かをたずねられると、ちゃんと自分の役目を果たせているような気がして、すごく嬉しいんです」

「実は僕、美羽音さんにどうしても聞いてみたいことがあったんです」

 本村は表情を変えずに言った。「それが分かれば、明日からの毎日を、楽しく生きられるような気がして」

 美羽音は安穏とした表情で、問いを待った。本村はたずねた。

「一昨日、デスワの店員さんの、市井明日見さんが亡くなったのはご存知ですか?」

「はい。デスワには、よく行ってましたから。私が昨日、デスワに行ったのも、明日見ちゃんの職場の方たちを癒してあげるためでした」

「明日見さんとは、最近何かお話できましたか?」

「はい。新作のお洋服の話とか、お友だちと旅行に行った話とか」

「日常でトラブルがあったとか、悩みを打ち明けられたりは?」

「いいえ。でも、どんなにおしゃべりな方でも、本音を打ち明けてくれることはめったにないんです。明日見ちゃんも、誰にも告白できない悩みやトラブルを抱えていたのかもしれません。私たちが声をかけることで、気持ちを打ち明けるきっかけができれば、いいと思ってるんですが……」

「その日の朝の十時頃は、どこで何をしてましたか?」

「おさんぽをしてました。どこを歩いたかは……覚えてません。よくあることなんです。知らない道を、歩きたくなるのは」

「美羽音さん、白い羽のヘアピンなんて見たことありませんか?」

「ヘアピン?」

「こういう」大槻が、指で宙をなぞった。「羽の形をデフォルメしたような、よくあるデザインのやつなんですけど」

「あ、それ、警察の人にも聞かれました。昨日からずっと考えてたんですけど、私、あのヘアピン、どこかで見たような気がするんですよね」

「どこで?」

 食い入るように、本村は聞いた。

「うーん……」

 美羽音は眉をひねった。「音楽が、聴こえる場所、だったような……」

「音楽? コンサートホールとか?」

「それがよく思い出せないんですけど、でも、見たのが一昨日だったのは確かです」

「一昨日?」驚いて、大槻は言った。「明日見さんが亡くなった日?」

「はい。あの日の朝は、マカロニ・エンジェルの星来ちゃんが、羽の形をしたビスコッティを焼いてくれたんです。ヘアピンの形にそっくりだなぁって思ったので、よく覚えてます」

「他に、思い出せることは?」本村は聞いた。

「うーん……」

「美羽音さんもよくつけてますよね、ヘアピン」

 大槻が言った。美羽音の頭には、『mf』のデザインをしたヘアピンがついていた。

「はい、ほとんどいつもつけるので、ヘアピンは、たくさん持ってます」

「じゃあ、自分の手持ちの中に羽のヘアピンがあるのを、忘れているだけとか」

「いえ、マカロニ・エンジェルには、羽をモチーフにしたアイテムがたくさんありますし、私も羽モチーフは好きなので、色々持ってますけど————」

 言いながら、美羽音は羽の飾りがついた自身のバックパックを本村たちの方へと向けた。「でも、あのヘアピンは私のじゃないです。それは確かです」

「じゃあ、マカロニ・エンジェルの他の誰かが身につけていたか、もしくは、持ち物の中に見た記憶は?」本村は言った。

「それもないです」

 きっぱりと美羽音は言った。

「ここ最近の、雛町のようすはどうですか?」

「いつもと同じです。雛町は、いつもキラキラしています」

「たとえば、誰かが死んだとしても?」

 本村は言った。

 美羽音は、穏やかに、諭すように微笑んだ。

「雛町は素敵な町です」

 説き伏せるように美羽音は語った。

「今日もこの町のどこかでは、誰かが死んで、誰かが生まれて。誰かと誰かが巡りあったり、離ればなれになったり。笑う人、涙する人。与える人、奪う人。希望と絶望。嘘と真実。この町には、全てが詰まっているんです。どちらが善くて、どちらが悪いとかはないんです。ここには、全てが用意されていて、私たちは、それらを体験することができる。ただそれだけなんです」

「だとしたら、僕たちは、ここに用意された謎を解き明かしたいんです」

 本村は言った。「せっかく生まれてきたからには、それを体験して、何かを感じてみたいんです。明日見さんはなぜヘアピンを手にしていたのか、まさゆきくんはなぜ聖恵さんの家で倒れていたのか。事故なのか、事件なのか。事件だとしたら、犯人は誰なのか。この二つの死について、美羽音さんが何か知っていることがあるなら、話してほしいんです」

 美羽音は両手でカップを手にしたまま、きょとんとした顔を浮かべていた。

 それから、ふわりと微笑んだ。

「謎が解き明かされてしまったら、それは、あなたの求めるものではなくなってしまいます」

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