6 あなたはこの世界を覗きたかった
「明日見ちゃんが?」
譜久村美羽音は呆然となった。
律子はカップを口元へはこぶ手をとめて、美羽音の方へ視線を流した。「知り合いなの? 美羽音」
美羽音はバッグを手にしたまま、サンルームの入り口のそばに立ち尽くしていた。
「おさんぽのとき、時々、デスワに行くことがあるの……。この前も、会ってお話ししたばかりなの……。そんな……明日見ちゃん……どうして……」
「交通事故だったそうですわ」
星来が告げた。「お勤めに向かわれる途中で、バイクに……。運転手の方は、まだ見つかっていないと刑事さんが……」
「今日、さんぽに行ったんだろ?」
矢弦が聞いた。「誰も何も言ってなかったのか?」
美羽音は唇を噛みしめながら首を振った。「今日は、商店街には行かなかったから……」
四葉は不安げな表情で美羽音を見つめていた。萌榴と萌苺はぴたりと身を寄せ合いながら、ソファの端に座っていた。律子が静かに紅茶を飲んだ。
「こっちへおいで、美羽音」
やわらかな口調で、えるが呼びかけた。
美羽音はソファの方へ向かうと、バッグを抱きしめたまま、えるの隣に腰かけた。
えるはそっと、美羽音の肩を抱いた。
「生きていれば、『死』は、どこにでも転がっているんだ。空の上、海の上、森の中、街の中。美羽音が大好きな、ふかふかのベッドの上にもね。でも、死は、『不幸』とはちがう。明日見さんはこの世で、嬉しいこと、楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、たくさんの経験をして、そして、その時間を終えただけなんだ。残された人たちは、ちょっぴり、淋しくなってしまうけれど。でも、明日見さんは不幸なんかじゃない。分かるね?」
美羽音は小刻みに頷いた。
四葉が、美羽音のそばへやって来た。
「きっと今頃、明日見さんは気づいているわ」
「ふぇ?」
美羽音は涙目になった瞳で四葉を見上げた。
「どこへ行かなくたって、何をしなくたって、幸せだってことに。この世はね、たとえるなら、豪華な食事や、素敵なドレスや、整えられたベッドと一緒なの。ただ深く息を吸いこんで、羽をまとって、雲の上で眠れるだけで幸せなのに、お皿の上に食べ物を飾って、布地にレースをほどこして、上等なまくらを用意したりする。それを飽きるほど繰り返しているとね、いつか気づくのよ。これらは、人間として生きるっていう、ごっこ遊びの小道具なのねって。この世は、ごっこ遊びのための、贅沢な遊び場に過ぎないのよ。だからね、遊び場から飛びたって、小道具を落っことしたって、明日見さんは平気なの。元の彼女に、返るだけなんだから」
星来が、黒ごまラテを持ってきた。
「わたくしには、明日見さんと過ごした思い出がありませんわ。それに、これからは美羽音さんも、明日見さんのご家族も、そうなってゆきますわ。淋しいことですけれど。でも、けっして不幸ではありませんわ。今のご自分を信じて生きていれば。そうすれば、これからも、たくさんのすばらしい思い出が得られますわ。そして時々、目に見えない明日見さんのことを思うんです。思い出の数は、重要じゃありませんわ。ただ、ふと、キッチンに座って、考えてみるんです。明日見さんは、お洋服をたたんでいるか、お化粧をしているか、お友だちとおしゃべりをしているか、それか、ソファの脇に飾る置物を選んでいるかもしれませんわ。そして、わたくしがお茶にしましょうと言うと、にっこりと微笑んで、二人でテーブルにつきますわ。そして、わたくしがそれまでに得られたすてきな思い出を、報告するんです。そうしたら、本当に、明日見さんのいない今の自分が幸せだと気づくんです。思い出の数を競うよりも、ずっと重要なことですわ」
えるが、美羽音をそっと抱きしめた。
「大切な人を失っても、美羽音はどこも欠けたりしないよ。失くしものをするくらいで不幸になる世界なら、神様は最初から、何も産んだりはしないんだ」
美羽音は、えるの腕にすがるように頷いた。
「それにしても」
矢弦が言った。「どうして警察がうちに?」
「わたくしたちがよく、雛町をおさんぽしているという情報を耳にしたそうですわ」
星来は言った。「事故のようすを目撃していないかと思われたんじゃないでしょうか」
「なるほどね」
「大変だね、ケーサツって」
萌榴が言った。
「でも、ハンニンだって必死だろうね」
萌苺が言った。
「素晴らしいことね。夢中になれるものに、出会えるということは」
律子は言った。「きっと大きな経験を得るでしょうね。追う者も、追われる者も」
律子は立ち上がり、出口へ向かった。それから、振り向いて言った。
「美羽音、今日は早く休みなさいね」
「はい。おやすみなさい、律子さん」
「美羽音ちゃん、今日は一緒に寝よう!」
四葉が美羽音の手を取った。
「萌榴もー」
「ゲームしよー」
「だめだよ、萌苺」
矢弦が言った。
「みんなありがとう。でも、今は少し、一人になりたくて……」
美羽音は言った。
「そっか」
四葉は言った。「じゃあ、せめて部屋まで送らせて」
四葉たちに連れられて、美羽音はサンルームを出ていった。
「おやすみなさい」
微笑んで、星来は見送った。
サンルームには、えると星良の二人だけになった。
「美羽音はまだ、痛みに弱いんだ」
サンルームのドアが閉まると、えるは言った。「人を癒すのは得意なのに」
「きっとすぐに分かりますわ」
えるのそばへ寄り、星来はハーブティーを注いだ。「痛みも、苦しみも、この世で得られる、素晴らしい経験のうちの一つだと」
「警察は、本当はなんて?」
「え?」
星来は手をとめて、えるの顔を見上げた。
えるはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「律子さんと二人で、何か隠しごとしてるでしょ」
「隠しごと……というわけでは……」
ティーポットを置いて、星来は話し始めた。
「警察の方が、わたくしたちの噂を耳にしたというのは本当ですわ。どういった目的で、雛町商店街に出向いているのかと」
「目的?」
「ええ。商店街のみなさんのご様子を伺ったり、お菓子をお配りしていることが、気にかかったようで……」
えるは気楽に笑った。
「そうか。警察は、僕らが何か企んでると思ってるんだ」
「ええ、おそらく」
「そうだね。そういう人間も、確かに存在するからね。同じと思って警戒されるのは、仕方のないことだね」
「それから……」
控えめに、星来は言った。
「ヘアピンを、持ってきたんです」
「ヘアピン?」
「羽の形をしたヘアピンですわ」
「そのヘアピンが、事件と何か関係が?」
「いいえ、詳しいことは何も。ただ、それがマカロニ・エンジェルで販売しているものかどうか、もしくは、わたくしたちの誰かが身につけていたかどうかをたずねられて————」
「それで?」
「どちらでもありませんでしたわ」
「そうだね」
あごに手を添え、えるは考えた。「僕も、誰かが羽のヘアピンをつけていた記憶は……」
「ですが、そんなことをたずねてくるなんて、警察の方は、わたくしたちが事件に関係していると思われてるんでしょうか」
えるはまた、気楽に微笑んだ。
「警察は、職務を全うしようとしてるだけだよ。きっと、事故現場にそのヘアピンが落ちていたんだよ。普通なら、明日見さんが身につけていたんだろうってことで済まされてしまうけど、警察は、どこで売られていたものかとか、いつ買われたものかとか、事細かに調べなきゃいけないらしい」
「でしたら、いいのですが……」
星来はまだ不安げだった。
「どうせなら、みんなに聞いてみた方がいいんじゃないかな。その方が、僕らも、警察も、気持ちがすっきりするだろうし」
星来は首を振った。
「律子さんが……」
「何?」
不思議そうに、えるは言った。
星来は言った。
「下界の問題に、干渉するべきではないと」
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