5 あなたは自由で可能で無限
つくも酒店を後にし、少し歩いたところで、佐野の予感は確信へと変わった。
見慣れた四人組が、彷徨うようにふらふらと商店街を歩いていた。
「ちょっと、ちょっと」
本村莞治はぴんとアンテナが伸びたような寝癖頭で振り向いた。それから、驚きも見せずに呟いた。「あ、佐野さん」
逆上がりができないヘビメタバンド、『
「こんちわぁ」と、ツートンカラーのそくばくうさぎを腕に巻きつけた大槻みやびは天使のような笑顔で言った。
倉沢穎悟は懲罰でも受けているように、後ろに身を細めて立っていた。
「何か事件ですか?」
本村が聞いた。
「まあね」
しみじみと微笑んで、佐野は答えた。
「なんすか?」
その微笑みをいぶかしんで、池脇は言った。
「佐野さん、君らのことラッキーアイテムかなんかだと思ってるんだよ」
相原はため息をついた。
「なんでデスワのカタログ持ってるんですか?」
佐野の手元を指差して、本村はたずねた。「佐野さん、プライベートはこういう感じなんですか?」
「聞き込みに行ったら押しつけられたんだよ。今朝、この町内で轢き逃げ事件があってさ」
「ああ、ほんとだったんですね、雛町で轢き逃げ事件があったって」
大槻が言った。
「犯人が、ここを通ったんですか?」
本村は聞いた。
「いや、通ったどころかお散歩コースだった可能性が」
「え?」
「君らなら知ってるんじゃないかな、この子のこと」
相原はタブレットを取り出した。
「さあ。ちょっと分かんないです」
画面を覗き込んで、まっさきに大槻が言った。
本村は、美羽音の写真をじっと見ていた。そして言った。
「僕、昨日会いましたよ、この子」
「え?」
思わず首を突き出して、佐野は言った。
「どこで」
相原が聞いた。
「向こうの」
本村は指差した。「商店街を出て、少し行ったところです」
「なんか話した?」
佐野は聞いた。
「僕のことを見て、幸せな気持ちになったらしくて」
「は?」
「お礼なのか分かりませんけど、これくれて」
本村はバックパックの中をさぐりだした。それから、丸い金のチャームをつまみ上げた。
「なんなのこれ」
佐野は目を凝らした。
「幸運の————」
はりきって、本村は説明しようとした。
「なんだっけ」
「美羽音ちゃんですか? よく来ますよ」
赤いボールペンを手に、ペーパーショップ『lulu』の店主、
「よく来て、どういったことを?」
佐野はたずねた。
「うーん」
加内はボールペンの頭を自身の頰に押しつけた。「おしゃべりしたり、私がラッピングしてるところ、そばで楽しそうに眺めてたり……。たまにお菓子くれるんですよ。手作りらしいんですけど、作ってるのは自分じゃなくて、モデル仲間の子だって言ってました。美羽音ちゃん、マカロニ・エンジェルっていうブランドのモデルさんなんですよ」
「最近は、いつ来られました?」
「昨日です」
「昨日?」
佐野の眉がぴくりとなった。
「はい」
「その時のようすは?」
「ようすって言われても……。いつもみたいにおしゃべりして、普通に買い物して、帰りましたけど」
「何を買っていきましたか?」
「厚紙です。そこの棚の————」
加内は指差した。「A4のやつを」
「譜久村さんは、こちらでよく買い物をされるんですか?」
「はい。文房具とか、ラッピング用品とか。毎回じゃないですけど————」
店の電話が鳴り、加内は受話器を手に取った。
話しながら、赤いハート型のメモ帳にすばやく何かを書き込むと、電話を切り、佐野の方に向き直った。「すみません、なんでしたっけ?」
「いえ、お仕事中にすみません。最後に、最近の譜久村さんのようすについて、何か気がついたことはありませんでしたか?」
「気がついたこと?」
「些細なことでもいいです。気になったこととか、おかしいと感じたこととか」
「うーん」
加内は眉根を寄せて、ボールペンの頭をいっそう深く頰に押しつけた。「ぬいぐるみ……?」
「ぬいぐるみ?」
拍子抜けして、佐野は聞き返した。
「それです」
加内は大槻の方を指差した。
突然、一同の視線を一身に受け、大槻は一瞬びくりとなったが、すぐに調子よく、おきまりのあざとい笑顔を披露してみせた。
加内の言う『それ』が、大槻自身のことではなく、腕に巻かれたうさぎのことであると、一同はすぐに理解した。
「一ヶ月くらい前からですかね。美羽音ちゃん、そのうさぎの色違いを肩に乗せてくるようになって。白地に、黒ブチ模様のやつ。ぬいぐるみもファッションの一部って感じで、それ自体は別に、かわいいな、くらいに思ってたんですけど……」
「けど?」
「ぬいぐるみとお話しするんですよ」
「お話し?」
「はい」
「どうやって?」
「ごっこですよ、ごっこ。お人形遊びみたいな感じで、店の中を見て回るときに、そのぬいぐるみと相談しながら商品を選ぶんです。私のラッピング作業を見てるときも、『すごいね』『かわいいね』って、そのぬいぐるみに話しかけたりして。ちゃんと名前もついてて、確か————『まさゆきくん』って言ったかな? 昨日来たときも、そこの棚の前で、『まさゆきくん、どれがいいかなぁ?』って。別に、悪いことじゃないですけど……。刑事さんが、『些細なことでも』って、言ったので……」
「アリスじゃん」
デスワへ向かうと、店の片隅で刑事たちを恨めしそうに見つめている店員の姿を見つけ、大槻は驚いて言った。
「みやびじゃん」
小林アリスも驚いていた。「なんで刑事さんたちと一緒なの?」
「天使の導き」
大槻はへらへらと言った。「アリスのバイト先ってここだったんだ?」
それから、佐野に説明した。「学校、一緒なんですよ」
大槻の訪問に、アリスの深刻そうな表情はふっと和らいだ。それからアリスは、連れである寝癖頭の存在にようやく気がついた。「あ、昨日の」
「昨日?」
佐野が聞いた。
「ここで服見てたんですよ」
本村は答えた。
「忙しい子だね君は」
佐野と相原はひなぎく柄のソファにうながされた。
「それで、何か分かったんですか?」
向かいのソファに腰かけると、植木里美は心配そうにたずねた。その隣で、アリスも話を聞いていた。
「いえ、まだなんとも」
佐野は言った。「ただ、お伺いしたいことがありまして」
「なんでしょう」
「譜久村美羽音という方をご存知ですか?」
「美羽音ちゃん、ですか? マカロニ・エンジェルの」
佐野は頷いた。
「市井さん、その方と面識は?」
「ありました。美羽音ちゃんが、うちの店によく遊びに来てくれるので。ただ、プライベートでの付き合いがあったかどうかまでは————」
「なかったと思います」
アリスが、きっぱりと言った。「明日見ちゃんが美羽音ちゃんと遊んだなんて話、聞いたことがありません。接客の仕方を見てても分かります。完全に、お客様と店員の関係でした」
「二人の間で、何かトラブルがあったようすは?」
「いいえ、まったく」
そう言って、植木は問いかけるようにアリスの方を見た。
アリスも頷いた。
「ありませんでした。でも……」
アリスの目が、一瞬、植木の方を見た。アリスは迷っていた。
「でも?」
佐野はたずねた。
覚悟を決めたように、アリスははきはきと話した。
「正直、美羽音ちゃん、いつも何しにうちに来てるのか、分かんない感じでした。私は、ここでバイトを始めてまだ少ししか経ってないですけど、美羽音ちゃんはいつも、お話ししたり、差し入れ配ったりで、うちの商品を買っていったことは一度もないって聞きました」
「そうなんですか?」
佐野は植木にたずねた。
「え、ええ、まあ……。でも……」
「お店に来たからって、必ずしも商品を購入してくれるお客さんばかりじゃありません」
戸惑う植木の代わりに、アリスは続けた。「見に来たけど、気に入ったものが見つからなかった人とか、最初から下見だけのつもりの人とか、中には、暇潰しの人とかも。それはいいんです。お嬢様が遊びに来てくれるだけで、私たちは嬉しいから。でも、美羽音ちゃんは、そういうのとはちがうっていうか————。うちの内装や商品のこと、いつもかわいいかわいいって言ってくれますけど、〝欲しい〟とか、〝着てみたい〟なんて気持ちは、これっぽっちもないように見えました。どちらかというと、商品より、私たちと会話することが目的、みたいな。それにあの人、あんなふわふわした感じですけど、中身は相当頑固なんだろうなって」
「それは、なぜ?」
「だって、全身自分のブランドの服で固めて来るんですよ? モデルさんが、プライベートで他社ブランドの店に買い物に行くのは勝手ですけど、自分が専属モデルを務めてるブランドの服で固めてやって来るなんて、見る人によっては、嫌がらせだって思ってもおかしくないんじゃないですか」
「なんですか……」
やって来た客が先程の刑事と分かるなり、『わたしのオルゴールが鳴っている』の店主、和泉真由は不快感をあらわに言った。
「ちょっとお伺いしたいことが」
佐野はカウンターの方へ向かった。
続けて、相原が。そのあとに、若い四人組がぞろぞろと入ってくるのを見て、和泉はいぶかしげな顔を浮かべた。狭い店内は、あっという間にすし詰め状態となった。
「お気になさらずに」
和泉の視線を察して、佐野は言った。
「この方をご存知ですか?」
相原は譜久村美羽音の写真を見せた。
「ええ、先程お話ししたモデルさんです。この方が轢き逃げ犯だったんですか?」
「いえ、そういう訳では」
佐野は言った。「この方、最近いつ来られました?」
和泉は鼻で息をつき、考えた。
「ちょっと……覚えてないです。二、三週間くらい前、だったかな。でも、店の前を通っていくのは、週に何度も見かけます」
「先程の話を、もう一度詳しく聞きたいのですが。この方と、商店街の方たちの間で、何かトラブルがあったことは?」
「さあ。ちょっと分からないです」
「でも先程、商店街のほとんどの人が、このモデルさんに迷惑していると」
「そういう雰囲気だっていう意味で、言っただけです」
強い口調で、和泉は言った。「やっぱり、大きなトラブルにまでならないと、『迷惑』だって言っちゃいけませんか?」
「……具体的に、商店街のどなたが、彼女に迷惑していると?」
「誰も何も言いませんよ。けど、みんな思ってます」
「みんなというのは————」
「だから————」
苛立ちながら、和泉は言った。「翔印堂さんと、天使の館の店長さん以外はほとんど————」
ゴトン、と鈍い音がして、一同は振り向いた。
天使の飾りがついた置物のそばで、倉沢がばつの悪そうにしゃがみ込んでいた。
「ちょっとぉ、何やってんだよぉ」
佐野が言った。
心配そうに、大槻が置物の状態を確かめた。それから、黙ったままでいる男を見下ろして言った。
「くらさーさん?」
「すんませ……」
消え入りそうな声で、倉沢は言った。
「気をつけてください。それ、高いんで」
冷めたようすで、和泉は言い放った。
「これ、オルゴールなんですね」
置物の手前に置かれた説明書きを見て、本村は言った。
「有名なオルゴール作家さんの、エンジェルシリーズなんですよ」
和泉は言った。「本来は、その作家さんの個展に足を運ばないと手に入らないもので、基本的に、オンラインや委託での販売はしてないんですよ。でもその作家さんが、うちの店に初めて来たとき、何か縁があると直感したらしくて。特別に、置いてくれているんです。そういえば————モデルさんも買っていきましたね、その作家さんのオルゴール」
「譜久村さんですか?」
佐野が聞いた。
「譜久村?」
「今話してたモデルさんです」
「いえ、その方とは別の人ですけど。ピアノを弾く天使を表現したオルゴールで、小さな楽譜の形をしたパーツが四つ、付属されているんです。楽譜を本体の譜面台に付け替えると、流れる音楽が変わる仕組みで。凝った造りだったんで、よく覚えてます」
「どの人か分かりますか」
相原よりも早く、本村がスマホを差し出して、マカロニエンジェルのメンバーが写っている写真を見せた。
「多分……この人です」
和泉は、優しげな微笑みを浮かべる、藍澤えるというモデルを指差した。
「もう、一年くらい前のことなんで。自信は、ないですけど……」
「ああ、美羽音ちゃん。よく来てくれますよ」
突然やって来た刑事たちの聞き込みに、『天使の館』の店長、
島崎は黒のスーツを着た、清潔感のある中年の男だった。
一同は店の二階の、落ち着いた雰囲気の個室へと案内された。天使が描かれた絵画や、小さな天使の像などが飾られている。
島崎はテーブルに、お茶とケーキを用意した。
「どういった用件で?」
佐野はたずねた。
「用件というほどのことでもないですよ。お散歩の途中みたいでしたので、お茶でも飲んでいったらどうかと、わたくしの方から声をかけました。そちらの————」
島崎は、ドアの小窓から見えるソファ席を指し示した。「ラウンジでケーキを食べて、一時間くらいで帰っていかれましたよ」
「失礼ですが、こちらのお店はどのような————」
「ああ、よく聞かれるんですよ」
愛想よく、島崎は答えた。「うちは不要品回収の店なんです」
「リサイクルショップってことですか?」
本村が聞いた。
「それとはちょっとちがうんですよ。思い出の品とか、お守りとか、人形とか。手放したいけれど、『ゴミ』として出すのは、なんとなく気が引けるものってあるじゃないですか。うちはそういう物をお預かりして、〝天使に持っていってもらう〟という体で、処分の代行を請け負っているんです。たとえるなら、『お焚き上げ』、みたいな感じですかね」
「回収したあとは、お焚き上げされるんですか?」
佐野がたずねた。
「いいえ、うちはお焚き上げ業者ではありませんので。お預かりした品は、すべて自治体の決まりに従って処分されることになります」
「すべて?」
「ええ、すべて」
「自治体の回収料金よりも高いお金払って、ゴミを出すってことですか?」
本村が聞いた。
「言ってしまえば、そうですね。ですが、うちを通すことで、〝大切なものをゴミとして捨てる〟という罪悪感が軽くなりますので。そういった目的で、利用される方が多いです」
「これは?」
倉沢は、テーブルに置かれていたパンフレットをぺらぺらとめくっていた。箱や包装紙、リボンなどの価格表が載っている。
「そちらはラッピングサービスです。ご希望であれば、お持ちいただいた品をお包みすることが可能です」
「これから、ゴミとして出すものを?」
佐野が言った。
「ええ。うちだけではなく、一般の方でも、意外といらっしゃるんですよ。大切にしていた品を、ピカピカに磨いたり、包装紙に包んでから家庭ごみに出す方。大事にしていたものほど、手放すときには儀式が必要なんですよ」
「さっき、美羽音さんがケーキを食べていったって言ってましたよね? それに、僕たちにも」
本村は、ミルクティー色のグラサージュがかかったケーキを指さした。「ここではカフェもやってるんですか?」
「いえ、ゴ——不要品の回収は郵送でも受け付けていますけど、大切な品と、ゆっくりとお別れの時間を過ごしていただくために、店舗ではこういったスペースを設けているんです。お茶やケーキだけではなく、お酒やお食事などもご用意していますよ」
「譜久村さんは、頻繁にこちらへ来るんですか?」
佐野がたずねた。
「最低でも、週に一回は」
「そんなに要らないものがあるんですか?」
「いいえ。先程も言いましたが、美羽音ちゃんがうちに来るのは、お散歩の最中に、わたくしが引き止めているからなんですよ。ですから、美羽音ちゃんがうちに来るときは、不要品の回収ではなく、お茶を飲んでいくだけです」
「無料で?」
「ええ。こちらから招いてお金を取るようなことはしませんよ」
「なんでですか?」
本村が聞いた。
「え?」
「なんでわざわざお店に招いて、タダでお茶をごちそうするんですか?」
「そういうプランがあるんですかぁ?」
パンフレットをめくりながら、だらけた口調で倉沢は言った。
佐野は呆れつつも、島崎に問いかけるような視線を送った。
島崎は弱った表情を浮かべた。
「あまり、こういった話はしたくはないのですけど……。正直な話、客寄せになるんですよ、美羽音ちゃんは」
「客寄せ?」
佐野は言った。
「ええ。『天使の館』っていう店名ですし、美羽音ちゃんは、天使みたいな格好してますし、世界観にぴったりじゃないですか。それに、ファンの子たちが、美羽音ちゃんと遭遇したいがためにうちへやって来るんですよ。別に、思い入れのある品なんてないんですよ。中身が空っぽの封筒とか、謎の紙切れとか。そういう、本当の意味での『ゴミ』をわざわざ用意して、手数料やコーヒー代を払って、うちを利用するんです。こんな慈善的な感じですけど、うちも一応商売ですから、正直、そういうお客さんは助かるんですよ。宣伝費だと思えば、お茶とケーキなんて、安いもんですよ」
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