4 あなたは何もかもを許されている
「ああ、美羽音ちゃんのことかい?」
翔印堂の店主、
「美羽音ちゃん?」
佐野は聞き返した。
「そう、美羽音ちゃん。ここら辺、よく来るよ。モデルさんかなんか、やってるんだってね」
「この子ですか?」
タブレットに準備した写真の中から、相原は『譜久村美羽音』というマカロニ・エンジェルのモデルのものを大隅に見せた。
「そうそう、その子。実物の方がもっとかわいいよ」
「やって来るモデルさんっていうのは、この子だけなんですか?」
佐野はたずねた。
「いいや、他にも何人かいるけど」
考えながら、大隅は言った。「でも、やっぱり美羽音ちゃんが多いかねえ。昨日も、来てくれたし」
「昨日? どういった要件で?」
「要件って……ただの散歩だよ。この商店街、美羽音ちゃんの散歩コースだから」
「何か話しましたか?」
「うん……声くらいは、かけたよ。でも、それだけだよ」
「過去に、モデルさんたちから何か物品を購入したことは?」
「購入? なんの?」
「なんでもいいです。家具とか、布団とか」
「購入までいかずとも、『買いませんか』って、勧められたとか……」相原も言った。
「いいや」
大隅は眉根を寄せた。「なんで?」
「いえ、参考のためですので……」
佐野は言った。
「普段は、どういったやり取りをされるんですか?」
相原がたずねた。
「どうっていってもねぇ……。たわいもないことだよ。孫のこととか、体の具合のこととか……。向こうにしたら退屈な話だろうけど、いつも親身になって聞いてくれるから、嬉しいもんだよ。前に、腰をだめにしてしばらく店を休んだときなんか、そりゃあ心配してくれてね。時々、お菓子までくれたりして。本当に、いい子たちなんだよ」
「こちらの店は、モデルさんのファンの子たちにも人気だそうですね」
佐野は言った。
「ああ、そうそう」
大隅は振り向いて、店内の一角に目をやった。羽の飾りがついた、淡い色合いの小さな印鑑が並んでいる。
「このネーム印、昔から置いてあるんだけど、前はほとんど売れなくてね。でも、美羽音ちゃんたちが商店街に来るようになってから、ファンの子たちが買っていってくれるようになったんだよ。それも、自分の名前だけじゃなくて、応援してる芸能人や、好きな人の名前の分も。実を言うと、これと似たようなのはインターネットでうちより安く買えるんだけどね。でも、うちの店で買った方が御利益があるからって。この印鑑、その子たちの間では、お守り代わりになってるみたいで。いやぁ、こんなことってあるんだね」
「デスワという洋服店の、市井明日見さんについてご存知ですか?」
「ああ、やっぱり……」
大隅は表情を曇らせた。
「やっぱり?」
「いや、事件の捜査って言うから、なんとなくそうだろうとは思ってたんだけど、やっぱり、明日見ちゃんのことだったんだね」
「じゃあ、市井さんのことはご存知で?」
「うん。明るくていい子だったよ。いつも可愛らしい服着て、アルバイトに行くのに、うちの前を通るんだよ。顔を合わせると、元気に挨拶してくれて。本当に、気持ちのいい子だったよ」
「市井さん、最近何か変わったようすは?」
「いいや。何もなかったように見えたけどね」
「市井さんと、例のモデルさんたちのやり取りを見聞きしたことは?」
「直接見たことはないけど、美羽音ちゃんたちなら、明日見ちゃんの店にも行ってるんじゃないかな」
「そうですか」
「あの、刑事さん」
「はい、なんでしょう」
「明日見ちゃんの件、私は轢き逃げだって聞いたんだけどね」
大隅は突然、腹を立てたように言った。
「ああ、まあ……そういう方向ではありますね」
「どうして美羽音ちゃんのことなんて聞くの」
「いやぁ、様々な面から捜査を————」
「あんたね、美羽音ちゃんが人轢いたとでも言いたいの?」
「いや、そういうわけでは————」
「言っとくけどね、美羽音ちゃんは天使みたいな子なんだよ。人を傷つけることはもちろん、もしも間違いをおかしたとしても、黙って逃げるなんてことは、絶対にしない子なんだからね」
「って、翔印堂さんが言いなすったの?」
カウンターの隅で縫い物をしながら、『たがみ手芸店』の主人、
「親しいんですか? 翔印堂のご主人とは」
佐野はたずねた。
「腐れ縁ってやつですよ。同い年、同じ雛町生まれ、雛町育ち。でも、特別親しいという間柄ではありません」
突っぱねるように、多賀見は言った。「あの人は昔っから、ああいうのに弱いんですよ」
「ああいうの?」
「いつもにこにこ笑って、自分に優しくしてくれる女ですよ。まともな大人なら、裏に何かあるんじゃないだろうかとか、計算高い女だとか思って、警戒したりもするでしょうけど、あの人は真に受けてしまうんですよ。若い時なんて————」
多賀見は思わず吹き出した。
「美人で優しい年上の恋人ができたとかで、近所中、自慢して歩いてたんですよ。もうすぐ結婚するんだとか言って。けれど、ある時から急に静かになって。おじさんに聞いてみたら、その婚約者とやら、突然姿を消したんですって。おまけにあの人、貯金がすっからかんになるまで、その女に貢いでいたらしくって。挙句、おじさんのお金にまで手を出していたことが分かって。自分には見る目がないと自覚したのか、そのあとは親に言われるがまま、亡くなった奥さんとお見合いして一緒になりましたけどね」
多賀見の話しっぷりに、佐野と相原は圧倒されていた。
「要するに、今のあの人には、そのモデルさんくらいしか縋るものがないんですよ。奥さんを早くに亡くして、息子さん夫婦とは折り合いも悪く、なんでもコンピュータで済まされる時代じゃあ、あの店だってこの先やっていけるかどうか……。そこへあのお嬢さんがやって来て、生活の愚痴は聞いてくれるわ、子どものおもちゃみたいな印鑑は飛ぶように売れるわで、本当に、あの人には天使にみたいに見えたんでしょうね」
「譜久村さんは————」
「はい? どなた?」
「その、モデルさんのことです」
「ああ、失礼。この歳になると、いちいち名前まで覚えていられないもので」
「譜久村さんは、こちらのお店へはよく?」
「そんなに頻繁ではないですよ。忘れた頃に、ふらっと。といってもこの歳じゃあ、三日前のことさえすぐに忘れてしまいますけれど」
多賀見はまた、高笑いした。それから突然、ぴたりと笑いを止めて話し出した。「ああ、昨日来ましたわね、そのお嬢さん」
「譜久村さんですか?」
「ええ。三日前じゃなくてよかったですわね」
「何をしに?」
「裁縫道具を買いに。申し遅れました。うちの店、手芸店なんですのよ」
恭しく、多賀見は言った。
「どれですか?」
相原が聞いた。
多賀見はメガネを外しながらおもむろに立ち上がると、コンパクト型の裁縫セットが並んだコーナーへ二人を案内した。
「譜久村さん、こちらに来たときには、よく買い物されるんですか? 他の、手芸用品なんか」
「そういえば————初めてですよ。あのお嬢さんがうちで物を買っていったのは。いつもは、つまらないおしゃべりばかりなんですけど」
「普段、どういった話を?」
「うちの子の話ですわね」
「お子さんですか?」
「ええ」
多賀見は、カウンターの後ろに飾られた、立ち雛の写真に目を向けた。「美人さんでしょう。祖母の代から、大事にしてるんですのよ」
「へえ」
相原は興味津々で写真の方へ向かっていった。「立ち上がってる雛人形なんて珍しいですね」
「まあ、雛人形と聞いてほとんどの方が思い浮かべるのは、座り雛の方でしょうけど」
多賀見は言った。「古くからあるのは、立ち雛の方なんですのよ」
「へー」
佐野はぼんやりと聞いていた。
「それを珍しがったのか、うちの子がかわいいのか知りませんけど、あのお嬢さん、それとなく、『私も見てみたいです』なんて言うんですよ。『あらそーお?』なんて言って、適当にあしらってるんですけど」
「ここに飾ったりはしないんですか?」
佐野は聞いた。
「この子は客寄せのお飾りじゃなくってよ、刑事さん」
多賀見は不敵な笑みを返すとカウンターの隅へ戻った。そして、メガネをかけながら思い出したように言った。
「ああ、たまにお菓子を持ってくることもありますわね」
「譜久村さんですか?」
「ええ。クッキーやら、マドレーヌやら。ご丁寧にリボンまでかけてあって、それはそれはかわいらしいものを。まあ————」
多賀見は、縫い針をつまみ上げた。
「わたくし、甘いものなんて食べませんけど」
「あそこら辺でバイク乗ってる人なんて、そう多くはないでしょ? 大体、今は昔とちがうんだから! 人を轢き殺して逃げおおせようったってムーリームーリー! 『とまくへん』? だっけ? そういうのでね、犯人なんてチョチョーイって分かっちゃうんだから! ねえ!」
佐野と相原が店を訪れてからというもの、『ハタヤマ美容室』の店主、
「第一発見者の
旗山が缶コーヒーに手を伸ばしたのを見計らって、相原はタブレットを取り出した。
「この方、ご存知ですか?」
「ああ、美羽音ちゃん?」
持ち手の付いた扇風機で顔を扇ぎながら、旗山は答えた。「確かモデルさんでしょ? マカロニエンジェル————だっけ? なんかかわいい系の」
「こちらに来店したことは?」
佐野がたずねた。
「あるけど、別にカットしに来るわけじゃないよ。なんか巡回みたいな。雑談して、たまに差し入れもらったりして、それだけ」
「昨日は、来ませんでした?」
「昨日? ううん。しばらく見てないよ。ていうかあの子、あんまりうちには来ないから」
「それは、なぜ?」
「言い方はあれだけど、うちは小売とちがって、常にお客さんと一対一だから。突然来て話しかけられても、施術中は相手してる暇ないし。だから、あの子がうちの店に来るときは、準備中のときか、予約の待ち時間のときとかなの。あの子なりに、いろいろと考えてくれてるみたいよ」
暫しの間、佐野は考えていた。
「美羽音ちゃん————」
缶コーヒーを手に、佐野たちの方を上目遣いで見ながら、ひっそりと、旗山は聞いた。「なんかしたの?」
「いえ、市井さんに関係のある人たちについて、お話を伺っているだけで」
佐野は答えた。
「市井さんのアルバイト先に、譜久村さんがよく出入りしていたという情報が入ったもので」
相原も言った。
「ああ、『型通りの捜査』ってやつ?」
「そうですそれです」
佐野は愛想よく頷いた。
「ふうん。なんだ」
旗山はコーヒーを飲んだ。「詐欺かなんかかと思った」
「え?」
「それは、どういう————」相原は言った。
「ううん、ちがうのちがうの。ただ、この商店街には、美羽音ちゃんのこと、そういう風に思ってる人もいると思うから」
「商店街の中で、誰かとトラブルがあったとか?」
佐野は聞いた。
「ないよ。さっきも言ったけど、ちょっと来て、おしゃべりして帰ってくだけだし。他のみんなのとこもそうらしいし。でもさ、受け取り方は人それぞれだから。それを快く思わない人も、いるわけでしょ?」
旗山は凝りをほぐすように首をまわした。
「みんなさ、『無償の愛』ってやつが怖いんだよ。どうせ何か裏があるんだろうって思ってる。私も、昔はマルチに騙されたことがあるし、そういう警戒心も大事だとは思うけど。でも、美羽音ちゃんは人を騙すような子じゃないよ。私はなんとなくそう思う」
佐野は小さく頷いた。
「それにあの子って」
三希子は付け足した。
「騙すより、騙される側の人間でしょ?」
「ああ、あのなんか詐欺っぽい子」
譜久村美羽音の写真を見るなり、心底煩わしそうな顔をして、フラワーショップ『サクラタチバナ』の店員、
「詐欺、ですか?」
佐野は言った。
「いーやあ……。実際詐欺被害にあったわけじゃないですけど」
「けど?」
「買い物する気もないくせに、すごい来るんですよ。こっちは仕事中なのに、どうでもいいことばかり聞いてきて」
「昨日は、来ましたか?」
「来ましたよ。っていっても昨日は店の前で挨拶しただけでしたけど。僕、あの子が向こうから歩いてくるのが見えると、店に引っ込むようにしてるんですよ。でも、気配消してるのか、いつも気づいたら後ろに立ってるんです。めっちゃ怖くないですか?」
「そんなに、頻繁に来るんですか?」
相原が聞いた。
「すうっごい来ますよ。同じ商店街で、店によっては、あんまり寄りつかないとこもあるらしいのに。なんですかね。昔から、花屋ってだけでなぜか〝やさしい〟みたいなイメージがあるからですかね」
橘川は力なく笑った。「みんな洗脳されてるんですよ。花なんて、毒もあるし、棘もあるし、花言葉だって怖いし、手間暇かけても枯れるときゃ枯れるのに、冠婚葬祭っていったら当たり前のように花花って」
橘川はバケツの前にしゃがみ込み、ぼんやりと言った。
「怖い花屋、開こうかな。実験室とか、お化け屋敷みたいな、おどろおどろしい花屋。そうしたら、あの子も寄りつかなくなりますかね」
「さあ……それは……」
「具体的に、譜久村さんとはどういった話を?」
相原がたずねた。
「話っていう話じゃないですよ。『趣味はなんですか?』とか、『お休みの日は何されてますか?』とか、一方的に質問してくるんで、こっちは適当に答えるだけで————」
「なあにー?」
店の奥から、年配の女が呼びかけた。
「事件の捜査だってー」
橘川は叫んだ。それから、佐野たちにたずねた。「母です。呼んだ方が?」
「いえ、今日のところは」
佐野は答えた。橘川は続けた。
「たまに、お菓子持ってくることもあって。最初は、寄付金でも集めてるんだと思って、レジから小銭持ってきたら、『受け取れません!』って。こっちは『はあ?』ですよ。あとになって、あの子がモデルさんだって聞いたときにはびっくりで。ブランドイメージとか、考えないんですかね? それとも、最近はこういうダイレクトマーケティングが流行りなんですか?」
一通り質問を終え、佐野たちは引き取ろうとした。
「あの、差し出がましいようですが」
去り際に、相原が言った。「あまりにもしつこいようでしたら、生活安全課に相談してみてはいかがですか?」
「無理ですよ」
橘川はため息をついた。「母が、あの子の信者なんで」
橘川は店の奥をちらりと振り返った。
「あの子に会って僕がイライラしてると、『かわいいじゃない』『癒されるじゃない』って言うんです。それに、翔印堂さんが」
「ああ、はんこ屋の」
佐野が言った。
橘川は暗い顔で頷いた。
「あの人も、あのモデルさんのファンなんです。翔印堂さん、この商店街のリーダーで。別に権力振りかざしてるわけじゃないですけど、なんとなく気まずいじゃないですか。うちが何かすれば、旗山さんにも————ああ、ハタヤマ美容室のチーフ、あの人、おしゃべり好きで有名なんですけど。だから、すぐに商店街中に知れ渡るでしょうし。僕はそれでも構わないですけど、母が————」
橘川はもう一度後ろを振り向いた。それから、佐野たちを見て小さく笑った。
「母の名前、『
「ああ、だから……」
相原は店の外に掛けられた、こぢんまりとした洒落た看板に目をやった。
「昔から、自分の店を持つのが夢だったんですよ。仕事掛け持ちして、資金貯めて、念願叶って、やっとオープンしたんです。おかげさまで、お得意様も増えて、経営も安定してきたところで……。今、僕が勝手なことしたら、きっと母は、商店街で居心地が悪くなるでしょうし」
佐野と相原は、かける言葉が見つからなかった。
橘川はため息をついて、空を見上げた。
「地獄に花って、咲くんですかね」
「あー」
タブレットの写真を覗き込むなり、『つくも酒店』の従業員、
「ご存知ですか?」
佐野はたずねた。
「モデルの子ですよね? なんたっけ————グラタン? ラザニア? 忘れましたけど」
空瓶のケースを車の荷台から下ろしながら、津久茂は話した。「ここら辺、よく来るんですよ。昨日も来てましたし」
「何を話されましたか?」
「いや、うちの店に来たわけじゃなくて。俺が勝手に、店の中から、歩いてくの見かけただけです」
言って、津久茂は鼻をすすった。「あ、風邪じゃないっす。鼻炎で」
それから続けた。
「たまにクッキーとかくれるんですよね。クッキーですよ? 俺に、クッキー。あげたいと思います? あ、でも、有名パティシエが作ったんじゃないかってくらい超うまかったです」
「商店街のどなたかが、彼女とトラブルがあったなんて話は、聞いてませんか?」
「トラブル? クッキー寄越しただけで?」
「彼女の訪問を、不快に感じている方もいるそうで」
相原は言った。
「あー」
津久茂は腕を組み、楽しそうに考えていた。「そういうやつらも、いるかもしれませんね。でも俺、そういうのいちいち聞いてないんで。この商店街のことなら、翔印堂のじいさんか、そこの————旗山さんのママさんに聞いた方が、早いと思いますよ」
津久茂から、有力な情報は得られそうもなさそうだ。佐野はあきらめていた。
「そんなことより」
前のめりになって、津久茂は聞いた。「島崎の情報、なんか入ってないんすか?」
「島崎?」
「ほら、『天使の館』の」
「あぁ……」
佐野と相原は、和泉真由との会話を思い出していた。
「その方、何か悪い噂でもあるんですか?」
相原はたずねた。
「いや、全然。たまに配達行きますけど、小綺麗で、愛想もよくて。でも、刑事さんなら分かるじゃないですか。いい人そうに見える人が、実は————って。なんであんないい人ぶってるかっていったら、心にやましいことがあるからですよ。俺が思うにですね」
津久茂は、さらに佐野に詰め寄った。
「あいつ、絶対悪いことしてますよ」
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