39.町で偶然出会った人は。現実はもやもやしてしまうもの
どんな関係なのだろうか。詮索するつもりはないが、ちょっとだけ気になった。
相川さんは俺に背を軽く叩かれたことではっとしたようだった。
「……失礼ですが、どなたですか?」
名は名乗られたが、知らない人のようだ。
「カノサンコは私の姉です。今はイトウサンコになっています。たいへん申し訳ありませんでした」
「お姉さん、だったんですね……」
相川さんが呟くように言う。立ち話もなんなので近くの喫茶店に移動することにした。その際俺も着いていっていいのかと逡巡したが、相川さんに「すみません、付き合ってください」と言われたのでついていくことにした。
「相川さん、失礼ですがこちらは……」
「……友人です。……あれから妙齢の女性に会うのが恐くなってしまいまして、付き添ってもらうようにしています」
「……それは本当に申し訳ありませんでした」
カノさんと一緒にいた男性は兄だという。確かに言われてみれば、どことなく似ていた。
相川さんはユウコさんを見ないようにそっぽを向いた。相川さんの正面にはお兄さん―便宜上こちらをカノさんと呼ぶ―が座った。
話としてはこうだ。先月の終り頃例の女性は結婚したらしい。それはめでたいと思う。
その前に例の女性は相川さんに謝罪したいと思い、今年こちらの町に訪ねて来たのだという。すごい行動力だなと思う。しかしこの辺りに住んでいるということしか知らなかったので、相川さんに会うことはできなかった。ただ先月相川さんに似た人を見かけたように思えたので、どうしても謝罪の手紙を受け取ってもらいたいと兄弟に託したらしい。
先月相川さんが見かけたというのは本当だったのだ。ぞっと寒気がした。
「……ということはこの町に何度か来られていたんですか」
「はい。兄と交替で、これで三回目です。今月中に会えなければ手紙を弁護士さんに渡す予定でした」
「……弁護士に渡せばよかったじゃないですか」
「受け取っていただけるかどうかわかりませんでしたから」
相川さんははーっとため息をついた。
「受け取りません。謝罪もいりません。僕にこの先関わらないでくれればそれで十分です」
「……本当に申し訳ありませんでした」
「……あなた方の謝罪もいりません。結婚おめでとうとだけお伝えください」
「……ありがとうございます」
コーヒーの味が全くしなかった。なんともいえない話だった。
加害者は結婚し、相川さんは変わらず妙齢の女性に恐怖心を持っている。傷つけた方より傷つけられた方がリスクを負うなんて間違っていると俺は思う。
喫茶店の前でカノさん兄弟と別れた。
「……よかった」
相川さんがポツリと呟いた。
「?」
「これでもう僕は、彼女に怯えなくてもいいんだ……」
なんともいえない、少し泣きそうな笑顔で、相川さんは呟いた。
相川さんがそれでいいならいいんだろう。
「でも……これで終わった、ではすまないんですよね。僕はこれからも女性を怖がると思います」
「……心療内科とかは……」
「行きません。別にいいんです。でも佐野さんにはこれからも迷惑をおかけしてしまうかな」
「……一緒に町に来るぐらいならいいですよ」
「リンやテンにも会いにきてください」
「誘っていただければ行きます」
なんだろうこの会話、とか思いながらポツリポツリと話す。
二人が見えなくなってしばらく経った。
「……そろそろいいですかね」
「大丈夫じゃないですか」
ないとは思うが尾行などされたら厄介だ。それに先ほどの話が本当かどうかの裏付けもとらないといけない。俺たちは、相手の言うことを鵜呑みにするには傷つきすぎている。
「あ、買ったものクーラーボックスに入れないと!」
慌てて俺たちは車に戻った。
そして、当然のことながらリンさんは激怒していた。流行りの言葉で言うなら激おこだろうか。(え? 古い?)タマの軽蔑するような眼差しが浮かんだ。ごめんなさい。
「オソイ」
「ごめん。あの女の兄弟に会ったんだ」
「アワナイ、イッタ」
「ごめん。あっちに見つかったから」
「オコッテル」
「うん、ごめん」
言葉だけでは伝わらないが、もうリンさんのオーラというか迫力が違う。そんな、ものすごく怒っているリンさんに笑みを浮かべて話せる相川さんはすごいと思った。
「ユマ、遅くなってごめんな」
プイ、とそっぽを向かれた。かなりショックだ。
「ユマ~、ごめんって。相川さんに付き添ってたんだよ。相川さんを置いてきちゃだめだろ?」
「ダメー」
「だよな。心配してくれたんだよな、ありがとう」
ユマをそっと抱きしめる。本当にうちの女子たちにはかなわない。ちら、と相川さんの方を窺うと、相川さんはリンさんに抱きしめられていた。思ったより時間が経っていたがまだ昼を少し過ぎたぐらいだった。車の中でおにぎりを食べて(時間がかかった時の為と相川さんが握ってきたらしい。すごくまめだ)、念の為ぐるぐると遠回りをして村に戻った。
相川さんはさっそく弁護士に電話をして話の裏付けをとっていた。
「たぶん夜にはなんらかの返事がくるとは思います。……全く、先月見かけたのが本当に本人だったなんてぞっとしますよね」
「ですねぇ。会わないですんでよかったですね」
しかも相手が気づいていたとか。すげえこわい。
「佐野さん、今日は本当にありがとうございました」
「座ってただけですよ」
「すごく心強かったです。佐野さんがいなかったら情けなく逃げだしていたと思います」
「……逃げてもよかったとは思いますけど」
「それじゃずっともやもやしたままじゃないですか」
「それも嫌ですね」
お互いに笑った。
山に戻ってユマを下ろす。
「ずっと車の中は疲れただろう。ごめんな」
「ツカレター」
「だよな。ユマ、ありがとうなー」
ユマはタッタッタッと軽快に駆けて行った。改めてごはんを探しに行ったのだろう。さっきのおにぎりぐらいではおなかいっぱいにならないはずだ。
夕方おっちゃんがポチとタマを送ってきてくれた。二羽は車を降りるなりツッタカタッタッター! と駆けていってしまった。少しでも運動してもらえると助かる。もう辺りは暗い。
「今日のことは明日話すわ。じゃあまたなー」
おっちゃんがまた何か置いていった。今回はみかんの缶詰だった。助かる。
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