第39話 初めてのお客にトマトぶっかけ素麵・中

 塩と酒をささみともやしに振りかけ、一緒に蒸し上げた。火が通ると、少し冷めたささみを割いている間に横でしのに大葉と胡瓜を切ってもらう。それが終われば、しのには続いて赤茄子をサイコロ状に切ってもらった。

 叩いてもらった梅干しは塩辛いので、叩く前に少し水にさらしていた。夏で汗もかくし、塩分は少し強くてもいいだろう。それに醤油と味醂みりん、少しの砂糖を加えて鰹節を入れる。その中にささみと胡瓜を入れて混ぜたら副菜は完成だ!


「二人とも、味見してよ」

 この時代、あまりない調理法だろう。二人は不思議そうな顔のまま摘まむと口に含んだ。途端、二人は笑顔になった。

「美味しい! 暑いときにこれはいいねぇ。さっぱりして食べられる。鳥肉が入ってるから、腹持ちもいい」

「酸っぱいけど少し甘みもあって、美味しい。これ、次は薬研薬品の人や長屋の人たちにも、食べてもらおうよ! きっと、みんな喜んで食べるんじゃないかな?」

 りんさんとしのに好評だったので、俺は自信が出た。


 さて、次は素麺だ。りんさんがすでに、茹で上がった素麺を水で洗ってくれていた。俺はまず、ポン酢を作る。実はこの時代ポン酢はあったのだが、酸化を止める技術がないので、庶民には普及していない。ポン酢は、江戸時代に和蘭陀オランダから輸入され、伝えられた。そもそも印度インドでは胃腸薬だったのだが、和蘭陀に伝わった時に蒸留酒に柑橘類の果実を漬け込んで作った調味料が、食前酒として広まった。ポン酢が今のような『酢』という調味料として普及するのは明治じゃないんだ。多分昭和なのかな? 戦後だった気がする。俺は極力歴史を変えるようなことをするつもりはないから、ポン酢の作り方を今は誰かに教えるつもりはない。


 次は、そのポン酢作りだ。醤油と、酢と、青柚子の絞り汁、味醂で作れる。簡単だろう?出汁とか入れるとおいしくなるが、トマトのさっぱり感を味わってほしいからあえて入れない。この時代の味醂にはお酒の成分が多く入っているから、軽く火にかけてアルコール分を飛ばした。氷や冷蔵庫がないので、井戸の水でなるべく冷ます。その間にしのには玉ねぎをみじん切りして貰って、何故か食器の中にあったガラスの鉢に素麺を入れる。そうして冷えたポン酢にサイコロ切りにしたトマト、みじん切りにした玉ねぎを入れて軽く混ぜて、素麺にかけた後、塩で味を調えた。余った胡瓜も彩りになるように、素麺の上に乗せる。


 よし、完成!


「お待たせしました」

 俺が持っていくより、りんさんやしのに持って行って貰う方が、おいしく見えるだろう。俺はドキドキしながら、初めての客が食べる様子を見ていた。

「おや? これは……もしかして、素麺なのかな?」

 口髭の男性が、不思議そうな顔で目の前に置かれたガラスの器を見た。夏にガラスの器を使うと、涼しく感じるのが不思議だ。

「はい。素麺に赤茄子と店主の特製ソースをかけて、夏に合うものにしました。小鉢は、鶏肉を梅で和えて爽やかに食べられる味にしています」

 さすが、てんぷら屋さんで働いていただけある。客に尋ねられたりんさんは、自信に満ちた顔で客に説明した。俺の作る料理を信じているりんさんだからこそ、こんなに堂々と提供してくれているのだろう。俺は、嬉しくて少し泣きそうになった。


「素麺を赤茄子で食べるのは初めてだ。まるで、洋風料理のようだ」

「うん、見た目は味が濃そうに見えるが……」

 二人の紳士は不思議そうな顔をしながら、それでも箸を手にしてまずは素麺を食べ始めた。

「んん、これはいい! 素麺はめんつゆなのに、酸っぱくてすがすがしい味だ。赤茄子が酸味を和らげている。それに時折歯に当たるのは、刻まれた玉ねぎか! うん、歯ごたえもあっていいな」

「いいな、これは。このソースの香りは――恐らく、柚子かな? 夏の柚子はいいな、この料理にとても合っている。さて、小鉢はどうかな?」

 茶色のスーツの男性は、小鉢に箸を伸ばした。

「ん! これは、確かに梅肉和えだな。しかし、うまみが強くて酸っぱさが気にならない。鰹節のおかげだろうか? 鶏肉もささみだな。栄養があるのに、さっぱり食べられる。これなら、こんな暑い日でも気にならずに口に入るね。それと、この………シャキシャキしたのは野菜はなんだろう? これは、何の野菜なんだい?」

 大豆もやしをあまり知らない二人が、奥から覗いている俺に視線を向けたとき、俺は慌てて説明をしに向かった。

「これは、大豆の芽です。畑で育てずに、清潔な水で育てると、こんな野菜になるんです。もやしって言います。特に強い味があるわけではないので、触感を楽しんでもらうために入れました。もちろん安心して食べられます」

「ほう、それは知らなかった。畑で育てないとは、とても不思議な育て方だね。勉強したのかい?」

 口髭の男性は感心したように頷いてから、改めて俺をよく見た。

「はい……あの、俺の父さんは外国から来て……それで、外国の料理とか知りたくて勉強しているんです」

「なるほど」

 見た目から、想像できていたようだ。しかし、薬研社長と取引している人たちらしく、俺の家庭事情を詳しく詮索するような野暮な真似はしなかった。ただ、にっこりと微笑んだ。

「とてもおいしかったよ、また次来るとき寄らせてもらう。君の名前は?」

「ひ……蕗谷恭介です! どうぞ、御贔屓にお願いします!」

 突然名前を聞かれたものだから、思わず現代の名前を言いそうになって俺は二人にお辞儀した。


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