第34話 初日の夕食はオムライスを・下

 少し昼寝をした俺達は、少し元気になって厨房に戻って来た。

 今夜の夕飯は、オムライスと野菜スープ、ふきたけのこの炊き合わせだ。炊き合わせはりんさんに任せて、俺がオムライスを、しのが野菜スープの担当になった。野菜スープは鰹節の出汁で、新玉葱とわかめを入れる。手順を説明すると、しのは今まで俺の料理を手伝ってくれただけあってすぐに理解した。一応分からなければ聞いてくれ、と付け加える。


 さて、オムライスだが。今のオムライスは現代のものと少し違う。現代のものは、チキンライスを玉子で巻いたりデミグラスソースをかけたものだが、今の時代はご飯に溶き玉子と玉葱と肉を混ぜて焼いた「ライスオムレツ」というものだ。炒飯と似ているものと思ってくれると想像しやすいだろうか。昼飯が終わって浸水していた米には、昆布も入れている。旨味が味のアクセントになるように、俺がアレンジしたのだ。現代のオムライスに近いものは、大正時代位に出来る筈だ。


 二人が野菜を切っている間に、俺は竈に火を点けて飯を炊く。その間に、大量の鶏卵を割り解きほぐす。豚肉も細く切って、大きめのミンチになるようにまな板で叩いた。

 そうして、玉葱は歯ごたえと甘みを出すためにみじん切りにして置く。豚肉だけ、火を通して玉葱と並べて置いた。りんさんは、手際よく炊き合わせを作り終えて漬物を切ってくれていた。俺は炊きあがった米を竈から釜ごと降ろして、味の素と炒めた豚肉と混ぜておく。釜は二口ふたくちあるので結構大変だ。しのの野菜スープも出来たようだ。俺は懐から、尊さんに貰った懐中時計で時間を確認する。工場は朝八時から夕方の四時まで。仕事が終わって一度家に帰ってから、薬研製薬の人達は夕飯を食べにくる。

 四時五分前。そろそろ、焼き始めるか。


 りんさんは、小鉢に炊き合わせを盛り始める。俺は粗熱が取れた釜の中の米に塩と溶き玉子、玉葱を入れて米がつぶれないように混ぜ合わせる。そうして竈に鉄鍋を三個並べて、オムライスを焼き始めた。香ばしさを出すために、胡麻油を使う。


「いい匂い!」

 りんさんとしのが、くんくんと鼻を鳴らした。確かに、オムライスというより炒飯だ。俺は少しおかしくて笑いながら焼き上がったオムライスを皿に盛り始めると、薬研製薬の人達が姿を見せ始めた。


「香ばしくて、いい匂いだね――おや、流行りのライスオムレツじゃないですか!」

 木の札で確認する。沢井さんだ。彼はお盆を受け取ると、嬉しそうに今日の献立を眺めた。彼の言葉に、隅川さんが同じように盆を受け取った。

「洋食が食べれるなんて、すごいねぇ」

 その間にも、俺は手際よく三個ずつオムライスを作り始める。まだ若い荒木さんと遠野さんは、物珍しそうにオムライスを見ていた。


「美味しかったよ、また明日よろしくね」

 薬研製薬の皆が満足そうに食べ終えて帰っていく。五時ごろ、高藤さんと辰子さんが来た。そうしてまつさん一家と源三さんが六時前に来る。清と治郎は、洋食に夢中だ。俺は源三さんに、新玉葱が美味しい事に礼を言った。源三さんは、少し照れ臭そうに笑ってくれた。長屋の皆にも、今日の献立は人気だった。

 勝吉さんは最後に来て、俺達と一緒に食べた。


「へぇ、ライスオムレツって美味しいんだね。香ばしいし、玉子のお陰かご飯は胡麻油の割りに優しい味だ。付け合わせの小鉢とスープも強い味付けじゃなくて同じ優しさだから、胃に優しそうだね」

 りんさんはスプーンでオムレツを口にすると、瞳を輝かせた。

「私の間違いじゃなければ、この炊き合わせはりんが作ったんじゃないかい?」

 さすが、夫だ。りんさんが嬉しそうに頷いた。

「野菜スープも、新玉葱の甘さが引き立つ味だね。胡麻油の舌を優しくしてくれる。洋食と和食が並んでも、味がバラバラにならない」

 勝吉さんが、感心した様に頷いた。

「美味しい? 勝吉さん。スープはあたしが作ったんだよ」

「しのちゃんが作ったのかい? しのちゃんらしい、優しい味だよ。カツオ出汁が効いていて、とても美味しい」

 その言葉に、しのが嬉しそうな顔になって自分もスープを飲んだ。りんさんと顔を合わせて、にっこりしている。それからしのは、俺に視線を向けた。

「兄ちゃん、ライスオムレツは本で勉強したの?」

「ああ、そうだよ」

 まさか、令和のオムライスを作る訳にはいかない。本で明治時代のオムライスの作り方をちゃんと勉強しておいた。


「最初は薬研さんが無理な事を言い出したと思って心配したけど――恭介君なら、安心して任せられそうだね。長屋の皆の事を思ってくれて、有難う」


 食べ終わった皿を洗っていると、机の前で俺達の様子を眺めていた勝吉さんがそう言った。

「礼を言われる事なんてしてないですよ。俺達にも関係ある事ですから」

「兄ちゃんは、長屋の皆が好きなんだよ」

「こら、しの」

 俺はストレートなしのの言葉に気恥ずかしくなり、まだ余計な事を云いそうな口を塞いだ。

「あたしも、楽しませて貰ってるよ。お台所仕事に畑仕事――全部自分たちの為だって思うと、嬉しくなるね」

「畑仕事?」

 勝吉さんが、不思議そうな顔になる。

「その話は、家でお茶でも飲みながら話すよ。さて、恭ちゃん。今日の仕事は終わりかい?」


 手拭いで手を拭いたりんさんの言葉に、俺は台所を見渡した。火はちゃんと消している。洗い物は全て終わっている。明日出汁を取る昆布とカツオはちゃんと用意してる。炊く米も置いてある――大丈夫だ。

「はい、終わりです。お疲れ様でした」

「あいよ、お疲れ様」

「お疲れ様でした」

 俺達は今日一日の事を労い合って、軽く頭を下げて食堂を出た。そしてその引き戸の鍵を、しっかりと閉める。

「また、明日ね。おやすみ」

 勝吉さんと自分の長屋に向かうりんさんを見送ってから、俺としのは手を繋いで長屋に戻った。

「兄ちゃん、最初に何を植えるの?」

「その時まで、秘密だよ」

 「何で―!?」と怒るしのの手を引いて家に入りながら、俺は楽しげに笑った。



 初日無事に終えた安心で、俺としのはその日早くに眠った。仕事を頑張ったせいか、気持ちの良い眠りだった。

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