第33話 初日の夕飯はオムライス!・中

 俺は、畑の事は全く知らない。家庭菜園をしていた、現代の祖母の姿を見たくらいしかないのだ。それに記憶にあるのはもう実がなっている状態だったので、最初の土作りが分からない。現代なら肥料もホームセンターなどで売っているが、この時代には当然ホームセンター自体ない。歴史的に下肥しもごえを使わなければならないかと俺の頭を悩ませたが、「植物油粕」や「魚肥」を使うと良いと松吉さんに教えて貰った。田舎に行けばまだ下肥を使っているが、東京は匂いで嫌がられるし植物油粕や魚肥の運搬が便利になって多く使われているという。くわなどの農機具を買った時に、肥料も買っておいたのだ。


 俺が畑として利用しようとしている土地の向こうには、荒れていた時に茂っていた葉が刈られて置いてあった。何度も下駄で踏んでいるので、腐りそうな状態だ。そうしてこれに料理の時に出た野菜屑や出汁を取った後の鰹節、卵の殻、米糠こめぬかなどを加えた。それからこの枯れ葉達を、足で踏んで混ぜる。生ごみや米糠が葉といい具合に発酵して「腐葉土」になり、肥料と一緒に混ぜる。そうして栄養がある土を作るのだ。この腐葉土を加える為の土を、掘り返して耕しておかないといけない。土を耕す時間が中々出来なかったのだが、俺は食堂開始日から一緒に畑仕事を始める事にした。


 半分ほど耕したが、まだ小さい俺の体では中々土を耕すのは辛かった。三分の一ほどしか出来なかったが、そろそろ昼の支度を始めないといけない。痛む腰を叩きながら農機具を一度直して、手や足を洗う為に井戸に向かった。



 昼食を食べ終わった人達から順番に、各自自由に食堂を出て行った。俺達も食事を終えて、食器を洗う。するとりんさんが割烹着を脱いで綺麗にたたんでから、きゅっとタスキをして着物の袖を上げた。

「さあ、畑に行こうか。あたしに任せな! うちは実家が米農家だったから、土耕すなら小さな頃から手伝ってたからね」

「畑? ああ、この横のかい?」

「そうだよ! 折角畑があるから作れるものを自分たちで作ろうって、兄ちゃんが用意してくれてるんだ」

 俺達と一緒に食事を食べて寛いでいたおっかさんが、のんびり煙管を咥えて元気なりんさんの姿を見てそう呟いた。その言葉に、しのが頷く。


「何だか恭介は――大人になっていくねぇ……」


 ポツリとそう呟いたおっかさんは、少しだけ寂しそうだった。しかし、すぐに煙管から深々と煙を吐いて笑った。

「あたしも少し見物させて貰おうかねぇ。手伝えないけどさ」

「よひら姐さんに土耕して貰うなんて、そんな事させやしないよ! 男衆に怒られちまう」

 俺達は笑いながら、畑へと向かった。しかし、俺はおっかさんの事が少し心配で内心曇った気分だった。

「あれ、松吉さん」

 畑に行くと、松吉さんが畑の俺が耕した所を眺めていた。店はまつさんに任せて、覗きに来てくれたらしい。

「恭介、もっと掘り起こさんと駄目だ。浅すぎる」

「そうだね、土作りならもっと掘り返さないと」

 松吉さんの言葉に、りんさんも頷いた。俺はあんなに一生懸命頑張ったのに、と鍬を持ちながら肩を落とした。


 それから慣れた松吉さんとりんさんが頑張って、畑を掘り起こしてくれた。俺がやっていた時間位で、二人で畑を掘り返してくれたのだ。それから腐葉土と肥料を蒔いて、土をならす。

「ん、これでしばらく土地を寝かせておくといい。すぐに種を蒔くのは、止めておけ」

 額に滲んた汗を手拭いでぬぐって、松吉さんは耕された畑を見渡した。

「松吉さん、りんさん有難うございました」

 結局、俺達の出番はなかった。りんさんも、腕で汗を拭っていた。

「お互い様だ。じゃあ、俺は店に戻るな」

 松吉さんは井戸で手足の汚れを流してから、軽く手を振って急ぎ足で店に戻って行った。松吉さんは普段そう言葉は多くないが、頼もしい人なんだ。

「りんさん、お疲れだろうから今日の夕飯作りは休んで良いよ?」

 俺がそう言うと、りんさんは首を横に振った。

「よしとくれ。あたしはまだ若いから、大丈夫だよ。その代わり、夕食の時間まで寝ててもいいかい?」

「勿論、空き時間は好きにして下さい! じゃあ、食堂に行くとき起こしに寄りますね」

「有難いよ、頼むね」

 りんさんは笑うと、自分の長屋に戻って行った。

「恭介」

 不意におっかさんに呼ばれて、俺はおっかさんに顔を向けた。おっかさんは俺の兵児帯に挟まっていた手拭いを濡らすと、優しく頬を拭いてくれた。

「土が付いてたよ。男前が台無しじゃないか」

「おっかさん、有難う」

 まだ少し不器用に笑うおっかさん――よかった、いつものおっかさんだ。

「さて、あたしも用意しないとね。今日は、薬研様のお座敷で芸者も四人ほど呼ばれて賑やかになる。帰りは遅くなるかもしれないから、先に寝てておくれ」

 俺達も自分の長屋に向かいながら、そんな話をしていた。

「帰り道、気を付けてね」

「薬研様はいつも、馬車を用意してくれるからね。大丈夫だよ」

 そう言いつつ、しのは何か話を作っておっかさんと話したがっている――仕方ない。俺達二人は、おっかさんが大好きだから。


 俺も少し寝ようかな。大きな欠伸をしてから、春の空を眺めてから家に入った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る