十一膳目

第32話 初日の夕飯はオムライス!・上

 朝四時。眠い目を擦りながら顔を洗い歯を磨いて、しのと「蕗谷亭」に向かった。ここの鍵は、俺と薬研製薬が保管している。玄関を開け中に入ると俺は前掛け、しのは割烹着を身に着ける。それから井戸で水を汲んでいると、少し遅れてきたりんさんが、「おはよう、今日からよろしくね」としのの手から水の入った桶を抱えてくれた。そうしてしのと同じように、割烹着を身に着けた。


 今朝から、蕗谷亭が開始だ。初日の朝飯の献立は白米、大根の味噌汁、蕪の糠漬け、めざしを焼いたもの二匹だ。

 かまど二基で白米を炊いて、一基は味噌汁。最後の一基でお茶用の湯を沸かす。俺とりんさんが米を洗い竈の火を点ける間しのが糠漬けをだして、切ったものを小皿に並べる。一週間ほど前から、しのとりんさんが蕗谷亭用の糠漬けを作ってくれていた。たくあんも漬けてくれている。漬物は、毎食の食卓には必須だから有難い。

 主婦をしながら天ぷら屋さんで働いていただけあって、りんさんは手際よかった。きっと俺の指示がなくても、率先して動けるのだろう。だが、キチンと俺の指示を待ち動いてくれていた。多分、男を立てる時代だからこそ、だと思うと少し複雑な気がする。

 お盆にご飯茶碗、味噌汁の椀、焼けためざしが乗った皿、漬物の皿をバランスよく置く。食事に来た人は名前が書いた木の札を俺達に渡して、盆と交換する。名簿でそれを確認すると、次の食事用に木の札は返す。これで誰が来ていないか、確認できるのだ。俺達は、薬研製薬の人の顔もまだ知らないからね。


「おはようございます」

「おはようさん」

 六時を少し過ぎたくらいに、ぞろぞろと人が来た。知らない顔ばかりだから、薬研製薬の人だろう。

 俺達は慌てて、茶碗に飯を盛り温かい味噌汁を注いで盆を渡す。

 木崎さん。二十代半ばくらいの、すこし痩せ気味の男性。

 望岡もちおかさん。三十後半くらいの、愛想のいい男性。

 隅川さん。三十前半くらいの、少しふくよかな女性。

 荒木さん。十代後半くらいのしのと同じ眼鏡をかけた女性。

 遠野さん。荒木さんと同じくらいの、十代後半くらいの少し意地悪そうな男性。

 沢井さん。背が低いが礼儀正しくて、お礼をきちんと言ってくれる二十代半ばくらいの男性。

 田沼さん。五十代くらいの、気難しそうな体格のいい男性。

 かけいさん。四十代くらいの、どこか軽薄そうな男性。


 以上八人が、薬研製薬の従業員だ。りんさんが愛想よく皆に膳を渡して、俺は名簿にチェックした。しのはお茶の用意をしている。彼らは必要以上に会話することなく、黙々と食べていた。男性陣は、皆飯のお替りをした。そして彼らが出ていきそうな頃に、長屋の住人たちが顔を出した。まつさん一家に、源三さんだ。清と治郎は珍しそうに、元茶屋の蕗谷亭を眺めて、嬉しそうに板張りの床を走り回った。彼らは顔パスなので、俺は別のチェック欄に記入してから膳を渡す。

「朝からめざしを焼くのは時間かかるから、嬉しいよ。香ばしくていい香りだね」

 早速褒めてくれるのは、やっぱりまつさんだ。俺が味噌汁を作っている時に、りんさんとしのが店の前で、七輪を並べて焼いてくれたのだ。


「親子かい?」

 立ち上がった筧さんが、俺達にそう声をかけた。確かに、そう見えなくもない。

「残念ながら、あたしにはまだ子供はいなくてねぇ。同じ長屋のもんだよ。あたしは活動弁士の妻のりん、この子たちは『よひら』姐さんの子供の恭介としのさ」

 どこか誇らしげにりんさんはそう言って、簡単に俺達の自己紹介した。

「よひらって……あの、売れっ子芸者のよひらかい? へぇ、確かに二人ともいい顔してるなぁ。あ、りんさんも愛嬌あって可愛いよ」

 筧さんはそう言って俺達をじろじろ見ると、楽しそうに笑って「ごちそうさん」と出て行った。それに続くように、他の薬研製薬の人達も軽く頭を下げて出て行った。


 知らない人に食べるものを沢山提供するのは久しぶりで、俺は彼らが出て行くと少しほっと溜息を零した。

「おはよう、焼き魚のいい香りだね」

 明るい声の辰子さんと、まだ眠そうな高藤さんが来た。もうすでに食べているまつさんや源三さんに並んで座る。俺が慌てて薬研製薬の人達の食べ終わりの食器を片付け始めると、りんさんとしのが二人の分の膳を運んだ。それから少し遅れて、勝吉さんが来た。途端りんさんが笑顔になって、勝吉さんの分を運んだ。


 みんなの食事が終わると、俺達はようやく自分たちの朝ごはんだ。食べ終わるとまた桶で水を汲んで、竈の横の洗い場で食器を洗った。ここで使う食器も全て、薬研製薬が用意してくれていた。

 洗い物がすむと、りんさんは洗濯をする為に家に帰りたいと口にした。しのも、「うちも洗濯しなきゃ」と思い出したように言う。

「しの、洗濯は任せてもいいか? 俺は、畑に行きたいんだ」

 俺は懐から、麻布に包んだものを取り出した。りんさんが、不思議そうな顔になる。

「野菜の種だよ。折角隣に畑があるから、常備菜くらいは作れないかと思ってさ」

 俺はまつさんの所で買った、野菜の種を見せた。

「まあ、先ずは畑を耕して種を植えれるような土を作らないといけないけど。松吉さんの実家は農家らしくて、教えて貰いながら作ろうと思ったんだ」

「あんな広い畑を耕すのかい?」

「さすがにそれは無理だと思って、まずは三分の一ほどやってみます。二人は家の事よろしくお願いします」

「じゃあ、あたし達も昼から夕方までの間手伝おうよ。交代で休みながらやった方がいいんじゃないかい? そうと決まったら洗濯に戻ろうか、しのちゃん。じゃあ昼食を作る時間には戻るからね、恭ちゃんよろしく!」

 りんさんに連れられて、しのは長屋に戻った。俺は、尊さんに売った南瓜コロッケの代金の残りで用意した農機具を出しに、勝手口から畑に出た。その脇に、農器具が置ける場所があったのだ。

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