第15話 泣いた顔も笑顔になる和風ポトフ・中

 小林先生に負ぶわれたしのと、その足に血の滲んだ手拭いが巻かれているのを見て、おっかさんは眉をひそめた。

「先生と話をするから、恭介は外で遊んでな」

「でも……」

「いいから、行ってきな」

 おっかさんは、普段はおっとりとしているが本気で怒ると怖いようだ。俺は長火鉢の部屋に降ろされてまだ泣いているしのに一度視線を向けてから、仕方なく長屋を出た。

「そうだ」

 俺はどうしようか考えてから、ふみとかよへしのを助けてくれた礼をする為の買い物に行くことにした。先日、薬研やげんたけるという華族の少年が買ってくれた、俺が作った南瓜コロッケの代金の一円札の存在を思い出したからだ。生活費にしてくれとおっかさんに渡したが、「お前が稼いだお金だ、無駄使いしちゃいけないよ」と俺に持たせてくれていた。


 しのの礼だから、無駄じゃないよな?


 俺は、何でも屋の浜松商店に向かった。店はまだ昼休憩前なのかまだ開いていて、まつさんが棚の片付けをしている所だった。

「おや、お帰り恭介。何か買い物かい?」

 俺に気が付いたまつさんは振り返り、豪快に笑った。

「うん。今日しのが虐められて、足を怪我したんだ。それを庇って自分の手拭いでしのの血を拭いてくれた子に、新しい手拭いを買って返してあげたくてさ。手拭いに付いた血は、綺麗に落ちないだろ?」

 この時代に、現代の様な漂白剤があると思えない。本で読んだが、大根の汁でこすり洗いが一番いいらしい。でも、それくらいでは完全に血の跡は綺麗には落ちないだろう。それは、あまりにもふみに申し訳ない。

「おや、そうかい……しのちゃんは、無事なのかい?」

「分からない。今、先生とおっかさんが話をしてる。俺は外に居なさいって」

 あまりにもしょんぼりして見えたのだろう。まつさんはにっこり笑うと、竹で編んだ葛籠つづらを取り出すして、中から手拭いを何枚も取り出して俺に見せてくれた。

「女の子にあげるなら、可愛いのが良いだろうね。どんな子だい?」

 俺はふみの事を話すと、まつさんは薄い紫色の矢絣やがすりの手拭いを取り出した。背が高く少し大人びて見えるふみには、良く似合うだろう。さすが、女性の感覚だ。俺ならどれがいいか分からず、一時間は悩んでいただろう。

「あと、ドロップスも二個頂戴!」

 佐久間製菓が日本で初めて作った、サクマ式ドロップスという現代でも普通に販売しているあめだ。俺がいるこの時代では砂糖が随分と安くなって、お菓子も増えて庶民も気軽に食べられるようになったそうだ。俺が知っているのは缶に入っているが、この時代は紙の箱に入っていた。

「恭介は、良い男になるねぇ。ちゃんと礼が出来るのは、良い事だ」

 俺は少しまけてくれたまつさんに一円札を渡して、釣りと品物を貰った。カバンがないから買ったものを持ちにくく、仕方なく追加で俺用の風呂敷も買った。唐草模様が、なんとも時代劇過ぎた。だがこのまま、飯の用意をする為に食材を買いにも行きたかったから、どうしても必要だった。勿論、同じ長屋の源三さんの八百屋にだ。


「よぅ、恭介。買い物か?」

 店先に、野菜や果物が入っていたらしい木の箱を椅子代わりに腰かけた源三さんが、煙管を手にして俺に声をかけてきた。

「うん。しのの為に、何か美味しいもの作りたくてさ。何がお薦め?」

 源三さんは強面こわおもてでぶっきらぼうな話しかけ方をするが、根は良い人で――シャイなんだと俺は分かってきた。

「瑞々しいキャベツがお薦めだな。丸くて、甘いと思う。あとは――かぶだな」

 源三さんの話を聞きながら、家にまだある鶏肉を使う事を考えていた。しのは冬は寒いから暖かいものが食べたい、とよく口にしている。猫舌の癖に、と俺はくすりと笑った。


 キャベツ、蕪、鶏肉――あと家には、馬鈴薯じゃがいも胡蘿蔔にんじんもあるな。鍋にしようか…と考えていて、ふとある料理を思い付いた。

「源三さん、キャベツと蕪下さい!」

「あいよ、待ってな」

 源三さんは新聞紙にキャベツと蕪を包んでくれた。


 おっかさんは食が細い方だ。だけど、夜中まで仕事をしているしちゃんとしたものを食べて欲しい。俺達は、野菜も肉も食べた方がいい。この料理なら、バランスよくみんなで食べれる!

 俺がウキウキとしながら家に戻ると、医者らしい格好の男と小林先生、知らない女の人と健太が長屋から出てきた。女の人は不機嫌は顔をしていて、健太を引っ張るようにどこかへ向かった。多分、健太の母親かもしれない。後から出てきたおっかさんは、医者らしい人と小林先生に頭を下げていた。


「おっかさん!」

 その男二人が去ってから、俺はおっかさんに駆け寄った。怒っていた雰囲気が、少し和らいでいる。俺に視線を移してから、呆れたような顔になった。

「随分大荷物だね、何を買ってきたんだい」

 確かに風呂敷には、お礼と今日の献立の野菜がずっしり入っている。俺は、おっかさんにふみとかよの話をした。

「そうかい、それはちゃんとお礼しなきゃいけないね。有難うよ、恭介」

 おっかさんと並んで、俺は家へと向かう。まだ寒くて、枯れた葉が冷たい風に吹かれて舞っていた。

「しのは? さっきのは、お医者さん?」

「ああ、しのに石を投げた子と母親が来て、医者の代金払って貰ったよ。幸い、骨は大丈夫みたいだ。でも――怖がってるから、しのを頼むよ」

 おっかさんの言葉を聞いて家の中に入ると、泣き疲れたのかしのは包帯を巻かれた足を伸ばして、すやすやと眠ってしまっていた。





参考

メイジノオト様 //www.meijimura.com/

佐久間製薬株式会社様 //www.sakumaseika.co.jp/prdhistory/

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