五膳目

第14話 泣いた顔も笑顔になる和風ポトフ・上

 事件は、次の日に起きた。授業が終わり、皆お腹を空かせて帰る尋常小学校の帰りの前。俺が、先生に料理の本を借りていた時だ。先日、「料理の本が見たい」と言っていたのを、先生が覚えていて持って来てくれていたのだ。小さな丸い眼鏡をかけた、小林という男の先生だ。


「先生、大変だよ! しのちゃんが!」

 と、普段しのと仲が良い少女が教室に走って入って来た。確か、かよというボブカットの子だ。俺も会えば話くらいはする。だが、そんな事はどうでもよかった。

「しのが!? どうした?」

 俺が声を上げると、かよは少し涙目だった。

かわやから出てきたら、けんちゃんがいたの。そのけんちゃんが、『異人の子の髪は目立つから汚い』って、急にしのちゃんに石を投げてきて……しのちゃんの足に、その石が当たって、血が出て……」

 けんちゃんというのは、身体が大きな当時で言うガキ大将の健太だ。俺にも悪口や嫌がらせをしてくるが、相手をする気もなく普段は無視をしていた。しかしアイツ、しのにまで嫌がらせしていたのか!? 俺はキレそうになるのを何とか耐えた。

「どこだ、かよ」

 小林先生がかよを促すと、かよは走り出した。先生が付いて行き、俺も後に続いた。廊下の先で、子供たちが数人集まっているのが見えた。「やめてよ!」という女の子の声が子供たちの会話の中で大きく響く。多分、しのとかよと仲のいい三人娘の、ふみだろう。子供たちの隙間から、しのを庇っているふみが見える。ふみは両方の耳の下で長い髪を縛った、背の高い割とかわいい子だ。そのふみに庇われているしのは、大きな瞳からボロボロ涙を零して痛みに耐えているように見えた。


「こら、健太!」

 小林先生が大きな声で呼ぶと、健太は「不味い」という顔になって逃げだそうとした。しかし俺はしのの足から流れていた血を見て、プチンと何かが切れたように我慢できなくなった。逃げる健太を追いかけて、後ろからその健太に飛びついて二人並んで転がった。

「離せよ! 異人の子供!」

「うるせぇよ! 外国の親がいたって、俺達は同じ人間だろ! 俺達とお前は、同じ人間だ!」

 転がって俺が上になると、俺は握り締めた拳で思い切り健太の頬を殴った。


 そもそも、俺は喧嘩が好きではない。勿論、殴り合いなんて絶対にしたくなかった。でも、この時代には「話し合い」よりも「力の強さ」が、子供たちの間では絶対だったのだ。


 俺はそよとしのを護る為なら、喧嘩をする事もいとわなく思っていた。殴った拳が痛いが、もう一度殴ろうと拳を上げた。


「こら! 恭介も友達を殴ったら駄目だ、離れなさい!」

 小林先生にたしなめられて、俺はまだ全然怒りが収まらないが、仕方なく健太の上から離れた。健太はいつも相手にしない俺が殴った事に驚いたのか、少しきょとんとしていた。

「しの、立てるか?」

 小林先生の言葉にしのはふみの手を借りて立とうとしたが、すぐに転びそうになる。

「骨にひびが入っているかもしれない。先生が負ぶるから、一緒に帰ろう。恭介は、しのの荷物も持ってくれ。かよは他の先生に、健太の家に連絡して事情を説明して貰ってくれ」

 足に流れる血を、ふみが自分の手拭いで拭いてくれていた。小林先生がふみの代わりに、しのの手を握っていた。

「持ってきます! 先生、有難うございます――ふみとかよ、有難うな!」

 俺が二人に礼を言うと、ふみは少し顔が赤くなる。俺は慌てて教室に戻ると、俺としのの荷物を手早くまとめた。そうして戻ってくると、騒ぎを見ていた子供たちはもう居なくなっていて、健太は女の先生と何か話していた。

「じゃあ、帰ろう。先生が、お母さんに説明するよ」

 小林先生に背負われたしのは、まだ泣いていた。その足には、ふみの手拭いが巻かれていた。俺はしのの事が心配だったが、かよとふみに礼をしなきゃとも考えていた。彼女たちがいなかったら、しのはもっと大きな怪我をしていたかもしれないからだ。


「怒る気持ちは分かるが、殴っちゃだめだ。恭介、殴ったらお前は健太と同じ事をした事になる」

 俺達は長屋に向かって歩きながら、小林先生の話を聞いていた。

「でも先生、しのはこんな怪我したんだよ!」

 俺の怒りは、収まっていない。反論しようとして声を上げたが、小林先生は首を横に振った。

「――あのな、恭介にしの。先生のお父さんも……実は、外国の人なんだよ」

 意外な言葉だった。思わず俺は怒りの言葉を飲み込んだ。しのも、泣きじゃくっていたのだが、思わず泣き止んだようだ。

「先生のお父さんは、大陸の人だからね。見た目は、日本人と変わらないだろう? だから、先生は子供の頃はずっと隠していたよ。今も、話すことは滅多にない」

 ゆっくり歩く小林先生に続いて、俺も並んで歩いた。

英吉利えいぎりすの血が入っているお前たちは、隠せないから難儀するだろう。西洋人は、髪が金色だったり目が青かったり緑だったりする。その血を受け継いでしまうから、見た目はどうしても他の子と違う――でもな、先生はさっき恭介が『同じ人間だ』と言った言葉に感動したよ。国は違うけれど、確かに同じ人間だ。英吉利人は、日本に色んな事を教えてくれた、同じ島国――そして、同じ人間。先生のお父さんも、昔日本に色々教えてくれた。異国の血が入っているのを、恥ずかしがっちゃいけないな。先生は若い頃――お父さんを随分恨んでいたよ。でも、今度墓参りに行ってちゃんと謝るよ。先生は、恥ずかしい事をしていたんだ。教えてくれて有難うな、恭介」


 長屋が見えてくる頃には、俺の怒りは収まって何処か悲しい気持ちになった。



 だって、俺は――これからの日本がどうなるか、歴史で習っていたからだ。

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