第13話 寒い冬に温か茶わん蒸し・下
俺は
「兄ちゃん、あたし何かするよ」
おっかさんと並んでいたしのが、台所で作業する俺に声をかけてくれた。
「なら、卵を三個割って泡が出ないように混ぜてくれるか? それに、三合の一番出汁を入れて混ぜ合わせてくれ」
確か、三人分で卵を使うなら出汁は五百ミリリットルくらいだったはず。なら、卵一個に対して一合くらいになるだろう。叔父さんの店で覚えたのだが、一合は大体百八十ミリリットルくらいだ。叔父さんの店は洋食屋だが、まかないで作ったり洋風茶わん蒸しも出していた。だから、作り方は何となく分かる。
「分かった!」
しのは素直に、俺の言う通りに卵に手を伸ばした。俺は胡蘿蔔をいちょう切りにしようとして――時節柄の梅の花に似せて飾り切りした。不器用で少し歪んでいるがそれも愛嬌だな。それは、切った椎茸と一緒に出汁で煮る。それから胡蘿蔔は火が通れば取り出して、残った椎茸の煮汁に醤油と砂糖を入れて落し蓋をしながら甘辛く煮た。本当なら別の鍋で別に味付けをするのだが、家庭料理の家での食事にはこれで十分だ。
台所には、腹が鳴りそうないい煮詰まった醤油の香りが漂った。まだ寒い冬なのに、台所は湯気と竈の火で温かくなる。そのおかげか、俺達は陽気な気分のままだ。おっかさんは、煙管で煙を吐きながら時折鼻歌をしていた。
「有難うな、しの」
俺の言う通りに作業をしてくれたしのに礼を言うと、余っていた不揃いの茶碗に甘辛い椎茸と薄く出汁を感じる胡蘿蔔、えぐみのない百合根、それと先に切ってメリケン粉をまぶしていた鶏のささみ肉を入れる。それから塩、醤油、酒を加えた出汁の混じった卵液を、味噌を溶く竹ザルで越して泡が立たないように注いだ。
「どうして泡を立てたら駄目なの?」
不思議そうに聞くしのの頬は、この狭い台所の熱気で赤くなって可愛らしかった。俺はそのしのの頭を撫でて笑った。
「茶わん蒸しに、空気の穴が出来ないようにさ――さ、出来るまであと少し!」
竈に乗ったお湯入りの鍋に竹ザルを使い浮かせる。その上に、茶わん蒸しを乗せて蓋になる様なものを探したが――適当なものは皿しかなかった。バランスを確認しながら蓋をして、強火で二分ほど、それから少し火加減を緩めて十五分ほど蒸した。
その合間に、長火鉢の部屋にちゃぶ台を出して竈の火を少し火鉢に乗せる。随分とこの生活にも慣れてきた、おかげで手早く用意が出来た。時計を見ると、十三時前。すこし遅くなってしまった。
「あちぃ!」
気を付けていたが、蓋代わりの皿を取る時に蒸気で火傷しそうになった。しのが慌てて桶の水を持ってくる。「有難うな」と礼を言ってから冷たい水で冷やし、竹串で刺して中を確認する――うん、ちゃんと火が通ってる!
手拭いを何枚も重ねて、そろそろとお盆に茶わん蒸しを乗せる。そのお盆を抱えたしのは、それをちゃぶ台まで運んだ。俺は直ぐに、固くなった麦飯を竹ザルに並べて温める事にした。
「漬物切っておくね」
しのも、昼を待っているおっかさんの為に手早く動く。今日は、温かな麦飯、同じく熱い茶わん蒸し、定番の漬物だ。しかし、茶わん蒸しは本当の茶碗を使っているので結構量がある。
「いただきます」
ほかほかの湯気が舞う食卓に、俺達は並んだ。おっかさんに
「あちち」
木の
「気を付けろよ、まだ熱いから」
しのは猫舌だが、俺は猫舌ではない。匙ですくった茶わん蒸しを、軽く吹いてから一口直ぐに食べた――うん、出汁が効いていて、本当に美味しい! 上出来だな、と笑顔になる。
「――うん、美味しいね。茶わん蒸しに百合根が入ってるのはあまり食べた事ないけど……ホロリと口で崩れるのが美味しいね。椎茸も、味が良い。それに――梅かい? 上手じゃないか」
同じようにおっかさんが茶わん蒸しを口にして、そう呟いた。俺の作った梅の花の胡蘿蔔を匙ですくって、にこりと笑う。
「卵、ふわふわだね! あたしが泡出ないように混ぜたんだよ! それに、鶏肉も美味しいね。柔らかくて食べやすいよ。お出汁の味がすごくして、麦飯も炊きたてみたいで美味しい!」
むね肉やささみは、火を通すと固くなる。俺はそれを出来る限り抑える為、そぎ切りにして薄くメリケン粉をまぶしておいたのだ。こうする事で、肉は保護されて柔らかいままだ。
漬物は塩味が強いから、茶わん蒸しはあえて関西風に出汁の味を強くした。卵の部分だけ食べても十分食材の味を引き立たせてくれていて、ぷるりとして軽やかに喉を通る。おっかさんが褒めてくれたように、百合根はほろりと崩れて、砂糖が多めの椎茸の味がこの茶わん蒸しを引きしめてくれる。
俺達は、ニコニコしながら食事を味わった。
「恭介もしのも、本当に料理が上手だね。家事が下手なあたしの分、家の事をやってくれて有難いよ。本当に、毎日有難うね」
突然、おっかさんは改めて俺達の顔を見比べると、すまなそうにそう言った。
「あたし、家の事するの好きだよ!」
しのが、泣きそうな顔になる。おっかさんの顔は、困ったままだ。
「三人で、ちゃんと分担してるよ。おっかさんは仕事に行ってくれてるし、俺達は家の事をする。皆、同じだよ。おっかさんが謝る事はないよ」
俺は、本当にそよを尊敬していた。俺の時代だと、高校生の頃に子供を産んで子育てから仕事までしているんだ。俺の時代より女性の立場が弱く、助成金もない不便なこの時代で。育ててくれている事を感謝こそすれ、謝られるのは違う筈だ。
「恭介……」
「ほら、おっかさん。温かいご飯冷めないうちに食べよう!」
俺は、麦飯を口いっぱいに頬張った。それを見たしのが楽しそうに笑って、おっかさんもようやく微笑んだ。
「日本一、温かい食卓だね」
それは、そよの本心からの言葉だろう。俺は、この家にタイムスリップが出来て良かったと本当に思った。
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