第4話 涙でしょっぱい芋粥・下

 「寒い、寒い」と明るい声のしのが帰ってくるのに気が付いて、俺もさっきのしのの様に着物の袖で慌てて涙を拭った。

「兄ちゃん、有難う。薪を増やして、こっち来て」

 寒さで赤くなった頬のしのは、俺が泣いていた事に気が付いているようだ。先ほどより、ずっと明るく俺に話しかけて来る。年下の女の子にここまで気を遣われて、俺は何だか恥ずかしくなる。彼女に言われるまま、薪を一本差し込んで立ち上がる。そして、開けたままになっていた引き戸を閉めた。それだけで、少し寒さはマシになった。

「そこに、芋があるから二本ほど洗ってね。珍しく、丸っこくて美味しそうだよねぇ。あたしは、朝炊いた麦飯を釜に入れておく」

 しのは汲んできた水をたらいに少し入れて、竹籠たけかごに乗っている芋を指差した。確かに芋の何本かは大きかったが、俺が知っているのより細くて栄養不足な感じがする。畑の土が、貧しいのかもしれない。多分、これがこの時代の状況かと思って俺は何も言わず芋を手にする。

「あ、大きいの使おうよ。兄ちゃんが目を覚ましたら食べさせてって、まつさんがくれたんだもん。兄ちゃん、お腹空いてるでしょ?」

 しのがそう言うので、俺は細い芋を戻して大きめの芋を手に盥に向かった。

「……っ、冷たっ!」

 芋を洗う水に手を入れると、あまりの冷たさに思わず声が上がった。沁みる感じもする――なので自分の手をよく見ると、あかぎれが酷い荒れた手をしていた。

「早く、春になって欲しいよねぇ。『ちょうちょう、ちょうちょう、菜の葉にとまれ~』」

 しのは、明るい声で歌を歌う。歌いながらも手際よくおひつ? 木で作った桶みたいなものから、しゃもじで冷たく固まっているような茶色っぽい――麦飯を羽釜に入れていた。そうして、水を多めに――多分、麦飯が二に対して水は八の割合っぽい。

「芋を洗ってくれて有難う。じゃ、手早く済ませちゃおう」

 俺から芋を受け取ったしのは、菜っ葉切り包丁を手に先に用意していた木のまな板の上に、それを並べた。

「麦飯はもう火が通ってるから、芋も細めに切るね。その方が、沢山ある様な気がするし」

 悪戯っぽく笑ったしのは、慣れた手で包丁で芋を切っていく。そのリズムが、何故かひどく懐かしくて心地よく、俺の耳をくすぐった。

 しのは釜に芋を入れると、塩らしいものを適当に掴んで芋の上に振りかけた。そうして火に気をつけながら、芋粥が入った羽釜を竈の上に乗せた。

「芋に火が通ったら、蓋をして十分ほど蒸らして出来上がり。簡単だけど、お腹いっぱいになるよね」

「時計、あるのか?」

 俺がふと疑問に思った言葉に、しのは長火鉢の部屋の壁を指差した。そこには、この古く裕福そうでない家に似つかわしくない、古めかしい大きな壁掛け時計があった。起きた時に聞こえた『ボーン』という音は、この時計が十二時を知らせていたのだと、そこで俺はようやく納得した。

「おとっつあんの、残していった時計」

 しのは、僅かに浮かない顔をした。そう言えば、父親の話が出た事が無い。俺は聞こうとして――やめた。今これ以上にしのを混乱させすぎるのは、絶対に良くないと思ったからだ。


 それから芋が炊けると分厚い釜の蓋をして、二人で時間を確認した。俺達は、お互い荒れた手を繋いで、寒さに耐えながら。しのは、まだ陽気に『ちょうちょ』を歌っていた。


 俺が長火鉢の部屋の隅に置かれていたちゃぶ台を移動させていると、明るいしのの声が上がった。

「出来たよ! ちゃぶ台まで兄ちゃん運べる?」

 薄い手拭いでは熱さに耐えれない、と判断した。なので、俺は手拭いをなるべく重ねて厚くして、着物の袖も使い羽釜の羽を掴む。重さにふらつきながら、何とか慣れない下駄で土間を歩いて運んだ。

 その合間に、しのは竈の残り灰を塵取ちりとりみたいなもので集めて、長火鉢に乗せた――そうか、長火鉢に火が無かったので寒かったのだ。


「さ、兄ちゃん沢山食べてね!」

 しのは茶碗に、芋粥を沢山盛ってくれた。冷めた手に、その温かさは有難かった。

「上手に出来たようだね。いい子で留守番頼むよ。あたしは遅くなるだろうから、先に寝ときな。髪結い屋に行かなきゃいけないから、もう行くよ」

 そこに、隣の部屋からさよが顔を出した。先ほどの姿とは違い、着物を直してきっちりと帯を締めた妖艶な姿があった。三味線らしい大きな風呂敷包みを手にしていて、化粧もしっかりしている。美人だ、と素直に魅入ってしまった。しのが可愛いのも、納得できる。

「いってらっしゃい、おっかさん」

「い、いってらっしゃい……」

 俺は変な感じがするも、しのに続いてそう返した。俺達を見比べてからさよは頷いて、家を出て行った。


「んー、美味しい! 芋が甘いよ、兄ちゃん」

 先に芋粥を食べたしのが、嬉しそうな声を上げた。俺も、腹がなって慌てて箸を手にした。


「――美味しい……」


 一口食べて、俺は何故か涙が出た。ただの塩粥に、薩摩芋が入っているだけだ。確かに塩のおかげで、薩摩芋の甘さが引き立っている。


 でも、これは俺がここに来て――双子の妹のしのと一緒に作った、初めての食事だ。便利な調理道具がない明治という時代で、初めて口にした質素な麦飯の芋粥。でも、これがこんなにも美味しくて暖かくて、俺に初めて「安心」を与えてくれた。


 食っていれば、生きていける。現代に戻れるか分からないけれど、俺はしのの兄として、今は生きていくしかない。きっと、何とかなる筈だ。


 そう思うと、肝が据わった気がした。俺は泣きながら芋粥をがつがつと、後になって思うのだが、行儀悪く温かい内に腹に収めた。


「兄ちゃん、芋粥がしょっぱくなるよ」

 しのは、そんな俺を優しく見守ってくれていた。

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