美食異聞備忘録 —夢幻の塔―

黒ーん

第1話 氷紋竜の肝臓フライと水晶鳥の軟骨唐揚げ

「はぁ……はぁ……ふぅ……やれやれ、今回もようやくここまで来られたぞ……」


 高い、とても高い螺旋階段を登りきった葛城良助かつらぎりょうすけは、目的地への最後の難関を前にして、息を切らしながらそう呟いた。ここへ来るまで山を越え、谷を越えるような思いで歩いて来たのだが、ここさえ抜ければとうとう目的の場所へと辿り着く。


 しかし目の前には、最後の難関と称したそれ。それは、渡る者への配慮など微塵も感じられない吊り橋だ。


 幅は良助の肩幅より少し広いくらいで、橋桁はしげた至っては網目状の柔らかい金属のような素材で出来ているので、足を乗せる度に体が沈み込んでしまうのだ。


 しかも橋が架かっているその間から見える光景と言うのが、周囲のどこを見渡しても、“空”、と言う他ないのは最大の問題と言えるだろう。そして当然のように、手すりの類は無い。


 今までの道程に求められるのが体力であるならば、この数歩で渡り終えられるであろう橋を歩むのに必要なのは身体能力とは別、度胸というか根性というか、求められるのはそう言った類のものだ。


 良助は生唾を飲み込み、覚悟を決めると、恐る恐る最初の一歩を踏み出す。


 橋桁に足を乗せると、やはり予想通りに体が沈み込む。すると股座の辺りに、男独特の浮遊感を覚える。


 今では随分とマシになったものだが、初めてここを渡ろうとした時など、恥ずかしながら盛大に漏らしてしまったのだった。


「……アードベッグ……ポートシャーロット……ラガヴーリン……ラフロイグ……」


 呪文を唱えるようにウィスキーの銘柄を口に出し、その味と匂いを思い浮かべながら、良助は恐怖を紛らわせる。この時、なるべく癖の強い銘柄を思い浮かべるのがコツだ。


 橋の向こう側までの距離は五メートル程。しかしこの空の上に架かる橋の上を渡る良助の心境はと言えば、たった一歩の距離がまるで数千倍、数万倍もの長さに感じさせられる。


 一歩、また一歩、決して倒れまいと、踏み締めるようにその不安定な足場を歩き続ける。


 そうして最後の一歩を目的の足場へ乗せると、そのしっかりとした足元の感触に、何物にも代えがたい圧倒的な頼もしさを覚えるのだった。


「はぁー……あーッ‼ あー……はぁぁぁ……あぁぁぁぁ……」


 橋を渡り切った良助は、猛ダッシュで橋から数歩遠ざかると、背中に背負っていたリュックサックを投げ捨ててから硬い床に寝転がる。するとその硬い床が、何よりも愛おしいものであるかのように頬ずりを始めた。


 仰向けになって上を見上げると、空の青さにオレンジ色が差し掛かるような、暮れ方の様相を呈していた。この場所に来る前には真夜中の筈だったが、いざここへ来てみると、空はいつもこんな色をしている。


 背中が冷たい。


 寝転がって少しした頃、そう思い至る。どうやらシャツが汗で湿っているようだった。


 ここに来るまでに掻いたものか、或いは橋を渡った時のものかは定かでは無いが、冷たい床に冷やされたのだろう。気が付けば辺りには時期相応の秋の風が吹いていて、少しの肌寒ささえ覚える程だった。


 それと同時に、グゥ~と、腹の虫が空腹を主張し始める。


「はぁ~……いよし」


 投げ捨てたリュックサックを回収すると、中から替えのシャツを取り出して着替える。


 秋の風に身震いしそうになるが、これから行く予定の場所に汗濡れのシャツでは失礼というものだ。


 着替えを終えた頃、今更になってリュックサックの中に入れておいたウィスキーのボトルが割れてはいないかと思い至り、慌てて中を確認する。


 匂いはしない。防水バッグである為液漏れはしないが、外から見てそれらしい形跡は見当たらない。


 最後に恐る恐る手を差し入れると、無傷のウィスキーボトルが手に触れて、ひとまず胸を撫でおろす。


 これはある意味良助の命綱と言っても良い。もしもこれが無かったなら、最悪の場合、今日生きて帰れないと言うことも十分に考えられるのだから。


 まぁ何はともあれ、ここまで来られたならば、もう到着したも同然というものだ。


 少し歩いた先の角を右に曲がると、今日の目的の場所があった。


 “赤の鴉の料理番“。


 そう日本語で名前の書かれた看板を掲げている、居酒屋のような風貌をした店。それが良助の今日の目的地だ。


 今まで通って来た道の光景はと言うと、日本とも、良助の知っている限り海外の風景とも異なっていて、いつ来てもまるで別の世界にでも迷い込んだかのような気分にさせられる。しかしこの店だけは、良助にとって異様な程に馴染み深い雰囲気を纏っていた。


 これまた良助にとって馴染み深いガラスの引き戸に手を掛けて開けると、そこには食堂のような空間が広がっていた。そのカウンターと思わしき場所には一つの人影が鎮座していて。


「いらっしゃイ……ヲ? 良助カ? 久しぶりだナ!」


 店に入店したのが良助だと言うことを知ると、その人影はニカッと笑って見せる。口から覗かせるギザギザの歯が特徴的だった。


 この人はアウロウフラさん。いや、正確には人では無く、フフルム・ケルン人と言う、所謂宇宙人なのだとか。


 彼女が宇宙人であることの証拠に、発達した鍵爪と、服の隙間から覗かせる鳥類のような体毛が見受けられ、そのどれもが良助達地球人のそれとはかけ離れたものだった。


 そしてなによりも特徴的なのが、彼女には目が六つあると言うところ。とは言え今はその内の四つは閉じられていて、顔を見てもパッと見では分からないのだが。


 アウロウフラさん曰く、全ての目を常に開けていると乾くし疲れるので、狩りなどの臨戦態勢時以外には、二つだけしか開けていないのだとか。


「お久しぶりです、アウロウフラさん。今日は何を食べさせてくれるんですか?」

「今日はナ、凄いものが入っているんだゾ。フフ、何だと思ウ?」


 そう言われても困ってしまう。何故ならこの店では、と言うよりも、この塔の中に幾多も点在する食事処で、地球上の食べ物が提供されることなど無いからだ。


 鎧魚よろいぎょ柑橘熊かんきつぐま硫酸草りゅうさんそう気体樹脂きたいじゅし


 彼女たちの言葉は一応日本語に変換され、それがどのようなニュアンスのものなのか、何とはなしに想像を働かせることはできる。しかし食材になる前のそれらの姿を説明されてみると、実際には良助の知っている地球の動物や魚、野菜とは全く違っているようで、目の前に出されてみれば全くの予想外、ということが大半を占めていた。


 そうなるとまた味や匂いも良助の想像とは異なっているものが幾多も存在している。


 中には口に入れただけで飛び上がってしまいそうな刺激的な味のものなどもある。ただその刺激の正体が辛いのか酸っぱいのか苦いのか或いは甘すぎるのか、その回答を良助の舌では、と言うよりも、地球人の舌で判別するのは困難だろう。


 それでも良助がこの場所を訪れるのは、中には幾度も通いたくなってしまうような店が幾つも存在しているからだ。


 特にこの赤の鴉の料理番で提供される料理は、地球人である良助の味覚に近く、それでいて何というか、ロマンに溢れているものが多いのだ。


「いやぁ、アウロウフラさんの店で出てくるものは何もかもが珍しくて、俺には全く想像もつかないですよ。でも、なにが出てきても旨いのがこの店ですからね」

「……ヲ前……」


 アウロウフラさんがわなわなと震えだす。マズイ。褒めたつもりだったのだが、なにか、彼女を怒らせるようなことを言ってしまっだろうか。


 前に一度彼女を怒らせてしまったときのこと。その際に彼女の六つの目の全てが開き、命を取られそうになったことを思い出す。それ以降は特に問題も無く付き合えていた筈なのだが、やはり地球人と彼女とでは、怒りの琴線の在処が違ったのかもしれない。


「ヲ前、やっぱり分かってるナ~。ソうなんだヨ、うちの店の食材ハ全部私が狩ってきタものだかラ、全部旨いシ全部新鮮なんダ!」


 あぁ良かった、怒った訳では無いらしい。一旦胸を撫で下ろす。


 アウロウフラさんは機嫌が良さそうにそう笑うと、冷蔵庫から濃い緑色の塊を取り出してくる。


 それは一見美しい濃緑色な岩の塊のようにしか見えないのだが、冷蔵庫から出したのだから食材なのだろう。


 とは言え以前別の店で、食べられる岩を調理したと言う料理が出て来たこともあったので、絶対に岩ではないとも言い切れないのだが。


「……これは?」

「氷紋竜の肝臓ダ! 本当なラ狩長しゅちょう副狩長ふくしゅちょうが取る部位デ、私たちのようナ下級の狩人かりびとには滅多ニ回ってハこなイんだガ、今回ハ特別ニ仲の良イ副狩長が分けてくれたんダ!」


 そう興奮した様子でアウロウフラさんは語る。


 地球でも、未だに狩りをする習慣のある部族の間では、狩った獲物の肝臓はその部族の長だけが食べることを許されると、話で聞いたことがある。彼女達の文化圏でもそういう掟のようなものがあるのだろうか。


 と言うか、それよりも――。


「竜⁉ アウロウフラさんの世界では竜がいるんですか⁉」

「ン? ナニを言ってルんダ? そりゃあ竜くらいいルだろウ?」


 さも当たり前のように言われてしまった。


 当然地球では竜などいる筈も無いが、良い歳をしているとは言え、良助だって男だ。竜がいると言われれば、興奮してしまうというのが男という生き物だろう。


「俺たちの星では竜は架空の生き物で、実際には存在していないんですよ」

「ナニ⁉ 竜がいなイ⁉ 嘘を言うナ!」

「ほ、本当ですよ。似たような生き物はいますが……。少なくとも、竜と言われるような生き物はいないです」

「……そうカ……。それハ、良い世界だナ……」


 そう言ったアウロウフラさんの顔は、少しだけ悲しそうに見えた。


「あの、アウロウフラさん? 俺は、なにか悪いことを――」

「あぁいヤ、でモ待てヨ……竜がいなけれバ竜が食べられなイんだから、一概ニ良イとも言い切れなイのカ……。だかラ、やっぱ無シ! 良助、お前たちノ世界は竜がいなくて本当に残念だったナ〜」


 悲しそうな顔をしていたアウロウフラさんは途端に表情を変えて、憐れむような、そしてどこか優越感を含んだような顔で良助に同情しているようだった。


 なんだよ、思わせぶりに悲しそうな顔をしておきながら、勝手に憐れむんじゃないよ……。


「ヲッ、怒っタ? 怒こっタか? マアマア、これハ良助の為ニ持ってきテやったんだかラ、怒るナっテ」

「……俺の、為に? って、それはまた、どうして?」

「お前はナンでモ本当ニ旨そうニ食うからナ。だかラ、お前にハいつカ絶対ニこいつヲ食わせテやりたいト思っていたんダ」


 そう言われると悪い気はしない。我ながら単純な奴ではあると思うが、“お前の為に”、なんて言われてしまっては、ふて腐れていた気持ちなんてどこかへ行ってしまおうと言うものだ。


「そうですか……。それでそのレバーですけど、どうやって食べるんですか?」

「フフフ、こいつの一番旨イ食べ方はナ、衣ヲ付けて、油デ揚げてやるのサ」


 フライか。レバーと言われて一番に思いつくのはレバニラや串ものだが。


 実の所、良助はあまりレバーが得意とは言えなかった。牛でも豚でも、あの血なまぐさくて、噛んでいると鉄臭く、粉っぽい口当たりのペーストがいつまでも口の中に残る感覚が嫌だったのだ。


 誰かと食事に行く際に、『ここのレバーは絶対に旨いから』などと言われては一応箸を付けるのだが、食べられないことは無いということはあっても、旨いと感じたことは無く、毎度騙されたような気分になってしまうのだった。


 しかもここは地球の食材とは違う食べ物を扱う店で、それもそのレバーは竜のものだと言う。果たして嫌な顔をせずに食べられるのか。良助にはそれが不安で仕方がなかった。


「あぁ、なるほど……。でも、それって貴重なもの、なんですよね? だったら、俺なんかに出すのは勿体ないですよ……。と言うか俺、実はレバーが――」

「良いんだヨ。それに言っただろウ、これはお前の為に持って来タんだっテ」


 あぁ、駄目だ。やんわりと断ろうとしたが、ニコニコ顔のアウロウフラさんを前にして、これはとても断れる雰囲気では無い。


 この店で出される料理に独特な味だと思ったことはあれど、今まで食べられない物が出たと言うことは無かった。


 でももしも、食べられない、なんて言おうものなら、どうなってしまうのだろうか。あの恐ろしい形相で、あの六つの目で睨まれたら……。


 どうしたものかと考えている良助を他所に、アウロウフラさんは調理を始めてしまう。


 緑の塊に包丁を入れ、食べやすいサイズにカットして行く。否、食べやすいサイズとは言え、その厚さは五センチもあろうかと言う程だ。


 あれはきっとサービスでやってくれているのだろう。しかし良助の心境はと言うと、あの量を吐き出さずに飲み込むことができるだろうか、とか、どうコメントすればアウロウフラさんを怒らせずに済むだろう、などと、巡ってくるのはネガティブな思考ばかりだった。


 そうして五分もしない内、良助の座る席の前に竜のレバーフライが五つ乗った小皿と、赤味がかっていて発泡する酒の入ったグラスが置かれる。


「待たせたナ。氷紋竜の肝臓フライと、紅麦水べにばくすいの水割りダ」


 この紅麦水とは地球で言うところのビールに近い発泡酒を水で割ったものだ。フフルム・ケルン人はこの酒をのままで飲むらしいのだが、良助にはあまりにもアルコールの度数が強すぎたので、水で割ってもらって提供してもらっている。


 そして問題のレバーフライ。見た目は地球産のフライと見た目は変わらないし、匂いだけなら、やはりただの香ばしいフライだ。


 だが、その味は如何に――。


「ほラ、早く食エ。それともお前ノ星でハ、フライは冷ましてかラ食うのカ?」

「と、とんでもない! フライは熱々に限りますよ! あ、あぁそう言えば、ソースなんかは無いんですか……?」

「無イ。こんナ良い肝臓にソースなんてかけたト副狩長に知らレでもしたラ、私はただでハ済まなイんだからナ。そのまま食エ」


 駄目だ、少し冷めてから殆ど噛まずに飲み込むことも、ソースの味で誤魔化すこともできそうにない。


 これはもう、絶体絶命じゃないか。


 ……。…………。


 いや、もうこうなったら食べるしかない。アウロウフラさんの機嫌を損ねて死ぬくらいなら、未知の味を口に入れて死んだ方がマシだ。ここへ来た時、いつかこうなることだって想像していたじゃないか。


 いざ、南無三ッ!


「……いただきますッ!」


 覚悟を決め、いただきますで気合を入れると、良助は熱々のレバーフライを頬ばる。


 ……、…………? 


 えっ、なんだ、これ……? 凄く、もの凄く旨いぞ……。


 味を確かめようと、もう一口、今度はゆっくりと口に含んでみる。


 シャクッとした表面の食感とは対照的に、中のレバーはネッチリモッチリとしていて、レバー特有のあの血生ぐささはどこにも見当たらない。


 味を地球の食べ物に例えるなら、アボカドの油気、モッツァレラチーズの旨味、魚の練り物と言うか、ハンペンのような魚介系の甘みを練り合わせたもの。


 そしてその奥に、微な苦みが顔を覗かせる。この苦みは、そう、山菜特養の、それもふきのとうの苦みに近い。


 そして後から顔を覗かせる微かな緑茶のような香り。言うならばこれは、油で揚げたならば絶対に旨い食べ物を一つにまとめたオールスターのような一品だ。


「うっま……」

「ソウだろウ? ほらその顔ダ、私ハその顔が見たかっタんダ」


 アウロウフラさんはニカッと笑って見せる。

 

 その顔は何と言うか、食わず嫌いをしていた子供に自分の作った料理を旨いと言わせた母親のような、そんな得意げな表情だった。


 彼女のそんな顔を見ていると、まるで先ほどまでの自分の心の内側を見透かされたようで、なんだか少し恥ずかしくなってしまう。


「氷紋竜は草食の竜デ、肉も旨イが、その肝臓は格別ニ旨イんダ」

「いや、本当に……。こんな旨いレバー、地球じゃ絶対に食べられないですよ」

「フフン。それだっテ、ちゃんト最後まで血抜きヲしなけれバ駄目なんダ。私ハ真面目だから、一滴だっテ血ヲ残してハいないんだゾ」

「なるほど……。血が残っていないから、このレバーはこんなにも旨いんですね」

「と言うカ、血が残っテいたラ、死ヌからナ」

「……えっ?」

「もがキ苦しんデ死ヌ」

「死……え、えっ……?」

「竜の血ニ毒があるなんテ、子供でも知ってルことだゾ。だから私の国ジャ、毒ニ耐性の無イ子供が竜ヲ食べるのは許されテいなイ。大人でモ、竜の血ヲ飲んだなラ、生きるカ死ヌかは五分五分ダ。あっ良助、お前ハ子供じゃないよナ?」

「……いや、まぁ……子供では、無い……です、けど……」


 確かに良助は地球の基準では子供ではないが、毒に耐性と言われても……。そこはちゃんと地球基準なのかと、不安に駆られてしまう。

 

 しかしアウロウフラさんは血を全て取り除いたと言っていたので、その言葉を信じたなら、或いは地球人である良助にも害は無いのかもしれないのだが。


「ほラ、これガ氷紋竜ノ肝臓の血ダ」


 そう言うと、アウロウフラさんは先程レバーを取り出した冷蔵庫から金属製のボウルを取り出して見せる。


 少し大きなお椀くらいの大きさの器の中には、エメラルド色の結晶の中に、所々赤褐色の筋のようなものが入った塊が入っていた。


「おぉ……凄く、綺麗ですね。でもこれって、血なんですか? なんか、固まっていますけど」

竜血晶りゅうけっしょう。竜の血ハ、竜が死んデ外ヘ出るトこうやっテ固まるんダ。赤いのハ血管だナ。こノ器一つ分デ、大きナ屋敷ができルくらいノ価値があるんだゾ」

「へぇ、それは凄い……、ん? あの、アウロウフラさん、さっき確か、アウロウフラさんは真面目だから血を残さなかったって言っていましたが、もしかしてそれは、お金になるから一滴も残さなかっただけなのでは?」

「真面目ナ奴が作ったっテ言った方ガ、出て来タ料理ガ旨い気ガするだろウ?」


 そうかもしれないが、強かというか商根逞しいというか。いずれにしげも、それを口に出してしまうのはどうなのだろう。


 しかし、このこってり濃厚でジューシーなレバーの口当たりを、強烈なキレ味の麦酒で洗い流すこの取り合わせの前では、そんなことは些細なことに思えてしまう。


 どうやら揚げ物と麦酒の組み合わせと言うものは、世界共通どころか、宇宙でも異世界でも通用する共通の組み合わせであるらしい。


 ここは強かなアウロウフラさんが一枚上手だったと、そう自分を納得させてしまおう。


 そうして竜のレバーフライと麦酒を交互に楽しんでいると、あっという間に皿もグラスも空になってしまった。


 するとそれを見たアウロウフラさんが――。


「それデ、次はナンにすル?」


 こうしていつも料理の皿が空になると、アウロウフラさんが次に食べたいものを聞いてくるのだ。


 地球人である良助にしてみれば、この店でどのようなものが提供されるのかなど把握している筈も無く、こういうときには――。


「そりゃあいつも通り、アウロウフラさんのお勧めを貰いますよ」


 こう答えるのだ。そうすると決まって。


「なラ良いものガあるゾ。良助、お前ハ本当に運が良いナ」


 ニカッと笑ってそんなことを言う。


 食べ歩きが趣味の良助としては、いつかはこの店のメニューを把握して、自分で食べたいものを注文できるようになりたいと思っている一方、アウロウフラさんのこの笑顔と返答が聞きたいが為に、きっといつまでもこんな注文をするのだろうと、そんな風に心のどこかで感じていた。


「それじゃア次ハ、水晶鳥すいしょうちょうノ軟骨だナ。これヲ唐揚げニすル」

「水晶鳥、ですか?」

「とてモ珍しイ鳥なんダ。大嵐の日ノの夜ニ、雲よりモ高い所ヲ飛んでいるかラ、目視では探せなイ。これヲ見つけられルのハ、風読かぜよみノ巫女か、嵐の夜に飛ぶ物好きナ竜操者りゅうそうしゃくらイだナ」

「風読みの巫女に、竜操者……。詳しい事は分かりませんが、その鳥があると言うことは、アウロウフラさんはそのどちらかって事なんですか? それとも、そのどちらかが知り合いにいるとか?」

「いヤ、私はどっチでモ無いし、知り合イはいなイ。この鳥を手ニ入れられタのは、偶然ダ」

「偶然と言うと、たまたま晴れた日に飛んでいた、とかですか?」

「空ニ向かっテ石ヲ投げたラ、石ヲ投げタところニ偶然鳥が飛んデいたんダ」

「……あの、アウロウフラさんの話だと、確かこの鳥って、雲の上を飛んでいるんですよね?」

「そうダ」

「……雲の上って、そんなに近い所にあるんですか?」

「遠いナ。多分、この店ノ場所よりモ高い筈だゾ」

「……あぁ……アウロウフラさんって、強肩なんですね……」

「エッヘン!」


 突っ込むのはきっと野暮だろうし、地球とは何もかも条件が違うのだから、そんな些細なことは気にせずにさっさと納得してしまおう。そう良助は深く考えるのを止めたのだった。


「これガ水晶鳥の軟骨ダ」


 アウロウフラさんが冷蔵庫から取り出したバットの上には、七、八センチくらいの大きさにカットされた水晶のようなものが並べられている。


「おぉ~……これも綺麗ですね。でも、本当に食べられるんですか?」

「勿論食べられるゾ。しかシ、お前ハいつも変わっタ事ヲ言うナ。鳥の軟骨ガ綺麗だなんテ」

「こんなに綺麗な食材は見たことがありませんよ。俺の星だったら、この鳥もさっきのレバーも、ショーケースに入れて飾っていたっておかしくはありませんね」

「……変わってイるナ、お前の星ハ」


 呆れたような顔をした後、アウロウフラさんは手早く水晶のような軟骨に衣を付けて、油で揚げ始める。


 するとものの数秒もしない内に油に放り込んだ軟骨を取り出して、それを小皿に盛り付けて良助の前に差し出す。


「出来たゾ。水晶鳥の軟骨唐揚げダ」


 良助の前に出された皿の上には、衣を付けて油で揚げたというのに、調理前の姿と殆ど変わらない透明度を残した水晶鳥の軟骨唐揚げが、ジュウジュウと音を立てて並べられていた。


 箸でつまんでみると、唐揚げを通してアウロウフラさんの得意げな顔が見える。


「おっト、唐揚げにハこれが必要だったナ」


 そう言うとアウロウフラさんは小皿を取り出すと、そこへ薄い赤味がかった鈍色の粉末を盛り付けて、軟骨唐揚げの横に添える。


「これは、前にも出してもらった……確か、マグナフェ鉱石でしたっけ?」

「そうダ。しかもコのマグナフェ鉱石ハ、マグナフェ鉱石の中でモ最大まデ不純物を取り除いタ高級ナ物なんだゾ。水晶鳥の軟骨ハ、氷紋竜の肝臓よりモ味が淡泊ダからナ。水晶鳥の軟骨ヲ食べるなラ、コのマグナフェ鉱石を削った粉ヲ付けルのが一番旨イ」

「……それでは、いただきます……」


 アウロウフラさんに促されるまま箸で摘まんでいた唐揚げを小皿の調味料に付けて、それを口へと運ぶ。


 熱々の唐揚げをハフハフして熱を冷ました後、歯を突き立てる。しかし――。


「…………」

「なんダ、旨くなかっタか?」


 心配そうな表情でアウロウフラさんは良助の顔を覗き込む。


「あぁ、いえ……この軟骨、ヌチヌチと言うかコリコリと言うか、地球の鳥の軟骨よりももっと歯ごたえがあるのに、噛んでいるとシャリシャリと口の中で崩れていくようで、とても面白い食感ですね」

「……本当ノことヲ言エ」

「えっ、本当のこと、ですか……?」

「思っタ本当ノことをダ。良助、お前のその顔ハ、本当ニ旨いものヲ食べたときノ顔じゃなイ」


 そう言ったアウロウフラさんは、今まで閉じていた目の内の更に二つが開いて、合計四つの目で良助を睨みつけていた。


 隠し事はできそうにない。


 この状態の彼女にはきっと嘘なんて通じないだろうし、そもそも、アウロウフラさんには隠し事なんてしたくは無かった。


「……実はその……俺、前々から思っていたんですが、このマグナフェ鉱石が苦手でして……。だから、別にアウロウフラさんの料理が口に合わなかった訳じゃないんですけど……」


 この調味料を地球の味に例えるなら、微量な塩と灰のような混合物に、結構強めの鉄の味が感じられるようなもの。それは恐らく地球人の味覚に合うものではなく、良助もその例外ではなかった。


「とハ言ってもナ……この唐揚げニ会う他ノ調味料なんテ……」

「それで、ですね……アウロウフラさん、客である俺がこんな物を持ってくるのは、失礼だとは思ったんですけど……。これ、使ってみてはもらえないでしょうか?」


 そう言うと、良助は背負ってきたリュックサックの中から袋に収められた白い塊を取り出した。


「なんダ、これハ?」

「地球の調味料で、塩と言うのですが……」

「シヲ? 変わった名前だナ。それガこの唐揚げニ合うって言ウのカ?」

「俺の星では多分、一番使われている調味料です。一応唐揚げにも使われていますんで、大丈夫だとは思うんですけど……」

「……少シ、舐めさせテみロ」

「どうぞどうぞ」


 持って来た塩を袋ごと渡すと、アウロウフラさんはそれを破って、恐る恐る舐める。


 すると、少しだけ静止した後、もう一度袋に指を突っ込んで、再び舐める、舐める、舐める、舐める――。


「……シャフ……シャフフラベ……チキュウアマギア……」

「えっ、なんですって?」

「……地球人はズルいと言っタんダ……なんダ、この調味料ハ……こんナ……ズルいゾ……」


 そう言うと、アウロウフラさんは良助の前に置いてあった唐揚げを皿ごと取り上げてしまった。


「あっ! 俺の唐揚げ!」


 良助の反論も聞かず、アウロウフラさんは取り上げた唐揚げに塩をまぶし、自分の口へと放り込むと――。


「……キーシュア……」

「あのー、アウロウフラさん? 俺の、唐揚げですけど……」

「うるさいナ! 今揚げてやルから待っていロ!」


 苦虫を噛み潰したような表情のまま、アウロウフラさんはバットの中の水晶鳥の軟骨全てに衣を付けると、それを全て油の中へと放り込んでしまった。


 そうして数秒で油から軟骨を引き揚げて、それを二つの皿に山盛りに取り分けると、それぞれの皿の唐揚げに塩をまぶす。


「ほらヨ……」


 憮然とした表情のまま皿の一つを良助の方へ寄越すと、アウロウフラさんはもう一つの皿の唐揚げを良助よりも先に手を付け始めた。


「それじゃあ俺も、いただきます」


 塩がまぶされてより一層輝きを増した水晶鳥の軟骨唐揚げを、口へと放り込む。


 まずは何と言っても食感。張りのある弾力を歯で楽しんでいると、ヌチヌチ、コリコリとして食感から、まるで儚い飴細工が口の中で崩れるように、シャリシャリとした食感へと変わる。


 そして味。それは味付けを塩に変えたことで、明確にその鳥の旨さがダイレクトに舌へと伝わってくるようだ。


 地球の鳥の軟骨とは全くの別物のそれは、まるで上品な鳥ガラスープを濃縮したように濃厚ではあるが、塩の味がそれをキリリと引き締めて、キレの良い余韻と共に喉の奥へと消えて行く。


 油と塩、そして鳥の濃厚な味で一杯になった口の中へ、紅麦水を一気に流し込むと――。


「……ッ、んあぁぁぁ! 旨いッ!」


 そうして口の中がリセットされると、二つ、三つと軟骨を口に放り込む。


 噛む度に変化する楽しい食感の後、塩と水晶鳥の味の共演からの、紅麦水での幕引き。


 あぁ、これは駄目だ。この組み合わせを知ってしまったなら、誰もがこの軟骨と麦酒の織り成す無限の連鎖に取り込まれ、逃れられなくなってしまっただろう。


 そうしていつまでも続くと思われていた唐揚げと麦酒の素晴らしい共演の時間は、突如として終わりを迎える。


 気が付くと、良助の目の前の皿もグラスの酒も空になってしまっていたのだ。


 なんと言うことだ、もう無くなってしまったのか……。


 まだ足りない……。もっと欲しい……。


 もっともっと、あの唐揚げを……――。


 喪失感のような感覚を覚えていた良助は、ここであることに気が付く。


 自分はもう、満腹だったのだ、と。


 なんて恐ろしい唐揚げだ。自分の腹具合さえも忘れさせてしまうとは……。


「……良助……」

「は、はい……?」


 しまった、アウロウフラさんのことを忘れていた。


 彼女もまた夢中で唐揚げを食べていた筈なのだが、もしや地球の調味料なんて渡したせいで、料理人のプライドを傷つけて怒らせてはいないだろうか。


「……ふ、フン……地球の調味料モ、ま、マァマァ、悪くハ無いナ……。悪くは無イ、及第点ヲやってモ、良いゾ……」


 複雑そうな顔をしているが、どうやらお気に召したようだった。


「はは、気に入ってもらえて良かったです」

「きゅ、及第点ダ! 勘違いすルなヨ!」

「分かっていますって。また持って来ますよ。嫌でなければ、ですけど」

「……嫌、じゃ……無イ……」

「それは良かった。さて、それじゃあ今日はこの辺で」

「ン、ナンダ、もう良イのカ?」

「えぇ、軟骨と紅麦水で今日はもう一杯になってしまいました。また今度、別の料理を楽しませて下さい」

「アァ分かっタ。次ハもっト旨い物を食わせテやルからナ、覚悟しておケ!」

「それじゃあこれ、代金代わりのウィスキーです」


 良助はリュックサックから二本のウィスキーを取り出して、アウロウフラさんに渡す。


「オォッ‼︎ 待っていたゾ‼︎ ゆっくリ飲んでいたガ、前のハもう無くなっテしまっタんダ‼︎」


 この塔で食事をした際の支払いは、なんと地球の、それも日本の通貨で会計をすることができる。しかしこの店での支払いは、現金ではなくウィスキーで行われている。


 と言うのも、以前良助が初めてこの店を訪れた際、会計をする際に目が飛び出すような金額が請求され、持ち合わせが足りないと伝えると、その時、アウロウフラさんに『金が無イなラ命ヲ差し出セ!』と六つの目で迫られてしまったのだった。


 その時に偶然持ち合わせていたウィスキーを差し出すと、それをアウロウフラさんが大層気に入って、それからというもの、良助はこの店を訪れる際にはウィスキーを二本、代金の代わりに用意してくるのだった。


 支払いを済ませて店を後にしようとすると、ふと頭にあることが浮かぶ。


「あの、アウロウフラさん、さっきのレバーフライですが、あれに塩をかけても旨いとは思いませんか?」


 見送りに入口までついて来てくれたアウロウフラさんにそう伝えると、彼女は愕然とした表情をして。


「ダ、駄目……だロ。そんなことヲしたラ……ダッテ……」

「でも、絶対に旨いですよね? 塩の効いたレバーフライ」

「……ウ、ウルサイナ‼︎ 早く帰レ‼︎」


 ピシャリと引き戸を閉められてしまう。


 良助は内心、アウロウフラさんはこの後にでも、きっとこっそりと試すのだろうな、などと、そんなことを考えるのだった。


 ここは地球外の様々な料理と料理人、そしてそれを求める者達の集う夢幻の塔。


 道のりは険しく、出て来る料理は必ずしも口に合うとは限らない。


 それでもこの場所には、地球には無い未知の味が無限に続いている。


 次は何を食べに来ようか。


 良助は今満腹であることなど忘れているかのように、次にこの塔を訪れた時の事に思いを馳せる。


 外の景色は茜色に藍色が混じり、間もなく夜が来ることを予見させていた。

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