第8話 ダンジョン症候群
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野里澄。二十六歳。女性。
Bランク探索者兼学園の指導教官。
レベル一七の【獣戦士・弐】。
使用武器は大剣。
前衛タイプの物理アタッカー。
七年前のダイブ事故にてチームメンバーが二名死亡。以来、特定のチームに所属することはない。他のチームと組むこともあるが、基本はソロで活動。
学園に於いては、波賀村派の探索者の行動実験に管理側として参加。
波賀村派の下で複数の担当を受け持つが、同時に西園寺派、九條派への接触もみられる。
呪物に関心を寄せ、九條派の中でも強硬派となる一派と関わりが増え、結果として担当していた複数のサンプルと共に九條派へ移る。
波賀村派のサンプルはそのままの実験計画を継続するも、当人は呪物関係の実験を志願してそちらへ移行。
呪物関連のサンプルたちに、十階層をクリアさせることに成功するも、その間に当人はダンジョン症候群を発症し、そのままダンジョン内で死亡。
……
…………
「……これは何ですか?」
先ほどの言い方では、彼女はまだ死んでいないはず。
「……それは学園側の非公式見解のようなモノだ。勿論、発表されることはないが、記録として残る予定だ。気分の悪い話かも知れないが、既に彼女は『死亡扱い』となる。これはダンジョン症候群を発症し、即座にダンジョンから連れ出すことが出来なかった者への慣例的扱いだ。……つまり、救出はそもそも出来ないのが前提。更に彼女の場合はダンジョン症候群の影響で、救助しようにも死力を尽くして襲いかかってくる始末だ」
時間帯や天候の悪さとか、場所が難所過ぎてるとかで救助に行けない冬山の遭難……みたいな扱いなのか“ダンジョン症候群”は。
「今もダンジョンに立て籠もっている?」
「……少し意味が違う」
獅子堂。彼は野里教官絡みでここに居るわけか。
「俺たちが十階層をクリアして戻ってきた時には、既に呪物を推奨していた連中は捕縛済みだった。だが、浪速たちが……俺たちのチームメンバーがその連中を逃し、そして、そいつらは何を思ったのか野良ゲートからダンジョンに逃げて立て籠もったという流れだ」
「……何だか余計に分からないけど……?」
獅子堂曰く、同じチームメンバーの三名は元々九條派の育成サンプルで、洗脳に近い状態にあったそうだ。
『自分たちの恩人が捕まっている。助けないと!』
ってな具合で他のサンプルたちを扇動して大脱走を敢行。ただ、特に深い考えがあった訳でもなく、右往左往している間に追い詰められて野良ゲートへ。
呪物を扱っていた連中も多数が元・探索者で、五階層や十階層までショートカットで跳んだらしい。跳べなかった者は既に再捕縛。
野里教官は派閥の負けを認め、流石に生徒を巻き込んだ完全に先のない逃亡劇を止めようと追いかけたらしい。ただ、同じチームだった生徒たちを含めて、かなりの抵抗を受けて、なかなか思うようにならない。
連中は咄嗟の逃亡の割には補給物資や装備もしっかり持ち込んでいたそうだ
ちなみに獅子堂とヨウちゃんも野里教官と共に追いかける側。
そんな追走劇のさなか、浪速という育成サンプルの一人が“ダンジョン症候群”を発症。
発症したスキルは《オブリビオン》……忘却。
いきなり魔物や追手が迫る中で動かなくなった。周囲へ撒き散らすだけじゃなく、自らも影響を受けるタイプだったようだ。
効果範囲に入ると忘却……つまり忘れる。何も考えられなくなり、まともに動けなくなる。地味に恐ろしい効果。
だけど、このダンジョン症候群の更に厄介な所は、ヒト限定で魔物は影響を受けない。つまり普通に襲われる。
野里教官は動けなくなった浪速少年を魔物から守るため、ときに《オブリビオン》の影響を受けながらも、彼の周辺に留まり続けた。その隙に他の連中は更に奥へと逃亡。
そして、浪速少年を守っている間に、ついに教官自らも“ダンジョン症候群”を発症してしまう。
「浪速の《オブリビオン》に教官の《バーサーカー》。誰も近付けない。俺と川神で教官を止めるべく何度か戦ったが無理だった。教官単体で凄まじい強さだし、何より動けないはずの浪速が《バーサーカー》の教官と連携してくる。しかも、何故か今の野里教官には《オブリビオン》も効いていない」
はぁ。《
「……実は私も既に一戦してきた。どういう理屈なのか、遠距離からの魔法スキルの制御まで《オブリビオン》にキャンセルされる。そして、野里教官の間合いには入れない。悪いが今の彼女とは、私は近距離では打ち合えない」
長谷川教官でも無理なら、遠距離からは厳しいよね……。
「ちなみに他のサンプル……生徒たちは? 既に救助済みですか?」
「十階層に跳んだチームメンバーのサンプル二人は、抵抗されたが、俺と川神で無力化した。五階層へ跳んだ他のサンプル連中も全員保護されたはずだ」
ああ。嫌な感じだ。つまり、後は放置。
野里教官と浪速という生徒が死ぬまで放置すれば終わり。死亡扱いってそういうことかよ。
「野里教官と浪速くんの補給は? 完全に自我もない状態とか?」
「……教官は浪速の側を離れず、浪速を連れてこちらからは死角が多い場所へ移動しているようだ。その合間に収納袋から食べ物や水を摂取している様子はある。ただ、浪速は自発的に食べられないのか教官が食べさせていた。……近付くと魔物や俺たちの区別なく襲っては来るが……浪速を護っているんだと思う。それ以外の意思があるのかは判別が出来ない」
狂戦士の守護者か。
野里教官、そもそも子供を巻き込んだのはアレだけど、自我をほぼ失いながらも生徒を守っているのか。
「……このまま放置して、一件落着で済ますわけにはいきませんよね?」
皆から凄い目で睨まれた。
すみません。流石に口に出すのは不謹慎でした。
「……井ノ崎。お前は波賀村理事の《テラー》の影響を受けなかったと聞いた。手を貸してくれないだろうか? ……この通りだッ!」
いきなり獅子堂が頭を下げた……かと思ったら、そのまま膝を付いて土下座した。
「勝手なことを頼んでいるのは百も承知だッ! 図々しいことも! たとえ《オブリビオン》の効果が無くとも、野里教官は鬼のような強さで命の危険すらある! だがッ! それでも俺にとっては恩師だし、浪速も仲間なんだッ! このまま死ぬまでダンジョンに放置なんて……そんなことは出来ないッ! 頼む…………助けてくれ……うっ……く……」
「………………」
……獅子堂。
僕は君のことを、メイちゃんへの初恋を拗らせたイケメンストーカーとしか認識してなかったけど……熱い奴だったんだね。実はメイちゃんとはお似合いなのかも知れない。
嗚咽を堪えながら頭を下げる彼の横にしゃがみ込み、そっと肩に手を置く。
かなりマナが荒れている……いや、疲弊しているのか、心が。
「……顔を上げてよ。大丈夫。任せろとまでは言えないけど、行くよ。教官とその浪速くんの所へ」
「……ッ! ほ、本当か!」
ガバッと獅子堂が顔を上げる。
立派だ。誰かの為に心から頭を下げる事ができるなんて、本当にこの学園の生徒たちは凄い。……大人たちの尻拭いをさせてるのはどうかと思うけど。そもそも獅子堂にこんな事させる前に言ってよ。黒い大人たち。……いや、この一連の流れは獅子堂への罰なのか?
まぁこれで行かないとは言えない。どんな思惑があろうが、
今だって『まさか行かないとか言わないよな?』って顔で睨まれてるし。特に波賀村理事の眼力が半端ない。まさに《テラー》が発動しそう。
いまは僕もいたいけな子供なのに……っていうか、僕が《オブリビオン》を無効化できなかったら……まぁそこまでだろうね。たぶん、現役の上級の探索者だったら、野里教官たちを“殺す”だけなら十分。僕に話を振る前に、その辺りのことはとっくに考えに入れているはず。
ま、学園側としては、本当は野里教官と浪速少年に死んでもらう方が都合も良いんだろうけどね。あー嫌だ嫌だ。
「……まず、彼女たちは何処に居るんですか?」
「十一階層だ。監視は付けているが動いている。もしかすると階層移動をするかも知れない」
六階層から一気にか。かなり時間が掛かりそうだけど、泣き言は言ってられない。すぐにダイブするしかないか。収納袋から飲食するくらいなら、帰還石で帰ってきてくれたら良いのに……さっそく泣き言だよ。
「野里教官の《バーサーカー》は本人だけですか? 近付くと影響を受けるとか?」
「……それは大丈夫だ。接近戦で打ち合ったが、こっちに影響は無かったはずだ」
レベル一七の教官と近距離で打ち合えるって、かなり凄いよね。獅子堂やヨウちゃんもかなりのレベルなのか。
「獅子堂くん。同じチームということで、教官たちの食料なんかがどれだけ続くかは分かる?」
「……今回の騒動はダンジョンから戻ってきてからすぐだったが、それでも教官と浪速で二週間は持つはずだ。ダンジョンの中でも“行商”の探索者から購入していたからな」
そうか。獅子堂たちは探索者の正規ゲートだから、ダンジョン内で行商をする探索者とかも居たのか。
思っていたよりはもつな。代替案として、野里教官たちの補給が切れた後、毒物(非致死性)入りの補給物資を投げ渡して動かなくなったところを……っていう方法もありか? 後で長谷川教官に相談しておこう。
「とりあえず、早急に六階層から一気に十一階層へ行く段取りをしますけど……最短ルートでどれくらいかかりますか?」
「無理を通せば四日……いや、三日というチームもいたとは聞く」
「……なら余裕を見て五日以内を目指します。それまでは待って下さい。あと、救助の場に立ち会うなら、獅子堂くんを無理にでも休ませて下さい」
「お、俺はッ! 休むわけにはいかない!」
真面目か。気持ちは分かるけど。
まぁそこは周りの大人たちに任せるか。市川先生にアイコンタクトすると、しっかりと通じた気がする。僕が言うまでもなくだね。あ、ヨウちゃんもいまは寝ずの番か?
「ちなみにヨウちゃんは?」
「……川神は教官たちに張り付いている。流石に呪物なしでは仕掛けないはずだ」
思わずの共闘になりそうだね。
それにしても、確かに以前は“ダンジョン症候群”によるパッシブスキルを無効化できたけど、別にダンジョン内で試したわけじゃ無い。駆け付けたけど役に立たない……という可能性もある。
まぁ今のままなら二人は『死亡扱い』だ。やらないよりは良い。
やってやるさ。
……
…………
「……ということで、僕は一気に十階層まで行くことになりました。なので、しばらくはお休みでヨロシク」
ついでにメイちゃんやレオを十階層まで……と一瞬思ったけど、流石に強行軍過ぎてイレギュラーが怖い。教官たちの話だと、レベル一五ならソロで踏破可能とも聞いたし。
「…………」
「…………」
あれ? 二人が能面顔だけど?
……
…………
結論。
長谷川教官を伴って、メイちゃんとレオも一緒にダイブすることになりました。現在は六階層を移動中。
「急に引率をお願いしてしまい、すみませんでした。長谷川教官」
「問題ない。私は井ノ崎たちのフォローを頼まれているからな。元々一緒に行くつもりだった。鷹尾はともかく、新鞍は少し不安があるが……」
「……長谷川教官。レオの盾役は私が務めます。必ず十階層まで連れていきますので」
「メ、メイ様……!」
レオがトリップしてる。まぁいいか。
実はレオも外ではダンジョン症候群を無効化していたらしい。ステータス画面を呼び出すことが出来るようになり、西園寺理事に相談した後、色々と能力の検証をしていた際に気付いたことの一つだってさ。
学園側も表向きは、ダンジョン症候群を発症したからといって、生徒である浪速少年を「死亡扱い」にはしたくない。当たり前だ。しかも彼は九條派……いや呪物派とでもいうべき一派の下で様々な“実験”を受けていた被害者でもある。
まだ不確定だけど、保護した同じような境遇の生徒たちの口からも、その実験内容が語られているそうだ……波賀村理事からは『子供には聞かせたくない内容』だとさ。本当に胸糞悪い。
ダンジョン症候群の発症には呪物の使用頻度が関係しているらしいけど、使用頻度が少なくても発症する場合もあり、そのメカニズムは完全には解明されていない。
浪速少年は初等部の頃から呪物を扱っていたようだけど、野里教官が呪物を使い始めたのはまだ最近だ。……かなり“濃厚”な使い方だったようだけど。
ダンジョン症候群を発症した場合、速やかにダンジョンから出す。
発症者を助けるにはそれが一番とされているそうだ。時間が経過し、症状が固定されると、ダンジョン内では他者が近付けなくなることが多いとのこと。《オブリビオン》がまさにそれだ。
自力で脱出できるタイプは良いけど、動けないタイプなら、ダンジョン内に取り残され、魔物に囲まれて……という結末を迎えることが多いそうだ。
そして、《オブリビオン》と思われる症状を助けられた事例は学園にはない。
また、今回の二人のように、発症者同士がお互いの症状を打ち消し合うなんていう症例はないとのこと。《バーサーカー》が特殊なのか?
そもそも僕が詳しく説明を受けた時点で、発症から既に四日が経過。学園も救助するために手を尽くしていたがお手上げ。後は本人達を監視するくらいしかないとなり、一縷の望みとして僕に話が来たと。
今から五日を目処としても、補給切れで餓死とかは無さそうだけど……睡眠や排泄はどうしてるんだ? 不眠で弱体化するならありがたいんだけどな。ここは悪い方、つまり万全の状態の野里教官を想定しておくべきか。
「それで教官。野里教官に実際に相対した感じはどうだったんですか? ……獅子堂くんの前では言えないことも含めて」
「そうだな。まず全てにおいて反応が早い。その上、《バーサーカー》とは言いつつ、正確無比な戦い方だ。下手な誘導やフェイントも通用しない。ただ、浪速を守ることを優先して動くから、ある程度はこちらでコントロールはできる。だからと言って、私は彼女の間合いに踏み込むのは絶対に御免だがな。……正直なところ、“倒す”だけならやりようはあるが……だったらはじめから放置して弱るのを待てば良いとなる」
やはり……“殺す”のは可能なのか。
流石にそれを是とする訳にはいかない。
「もし、井ノ崎がダンジョン症候群のスキルの影響を受けないなら、まず浪速を連れて帰還石を使って欲しい。野里教官が範囲内ならそのまま二人ともダンジョンから出れるだろうしな。我々が厄介だと思うのは、あくまで《オブリビオン》の方だ」
探索者兼教官と学園生徒。大人と子供。
学園の優先は浪速くん。彼を助ける目処が立たない間は、野里教官に魔物を蹴散らして護ってもらいたい……というところか。
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