第17話 特殊実験室A

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 眼前に鋼の塊が迫る。


 嘘か真か、魔物の革を用いたとされる、肘付近までを覆う手甲で大剣の側面を滑らせるように叩く。

 僅かに逸れる軌道。

 自身も衝撃に逆らわないよう、独楽のように体を傾けて回転し、暴力的な斬撃を凌ぐ。反撃の隙はない。


 回転、円運動を止めないまま、二撃三撃と続けざまの剣撃を凌ぐ。傍から見ると、それは演舞の如く。

 しかし、受け手側に見た目程の優雅さや余裕はない。大剣の暴威は凄まじく、掠るだけでも肉を削がれ、衝撃を受け流せないと軽々と吹き飛ばされる。更に、まともに防ぐとそのまま両断されるという有様。それが連撃となって止まらない。


 一手を凌ぐだけではすぐに詰む。常に二手三手と先を読んで動き続けなければならない。精神的にも追い立てられる。

 距離をとろうにも、追い足の方が速く、むしろ離れられない。今以上の距離は死の匂いが漂う危険地帯。


 暴風。


 大剣が唸りを上げて振り回される。


「(隙がない。あれだけの重量物をこの速度で軽々振り回すなんて……!)」


 背中にじわりと死の気配を感じながら、狂気の演舞は続く。

 演者の一人であるヨウは、このままだと、ごく近い内に大剣を捌けなくなることを自覚している。さりとて、イチかバチかの勝負に出るようなことはない。冷静さを欠けば、その瞬間、自身が肉片に成り果てることを理解している。


 苦しい。


 呼吸が乱れる。

 徐々に反応が遅れる。次の一手がズレる。修正。ジリ貧。


 対する大剣の演者は野里。

 彼女も理解していた。いつまでもこの速度で大剣を振るえない。

 リズムを変えるなどの小細工を差し込み、暴風を維持しているが、隙を見せれば、その瞬間に相手が飛び込んでくる。こちらも止まれない。


 我慢比べ。


 だが、野里の顔に苦しさはない。そこに現れるのは嫌らしい笑み。


「はっ! な、なかなか……やる、じゃ! ない……かッ!!」

「……………」


 意味が分からない。

 この状況でわざわざ口を開く? なにかの陽動?


 瞬間的に頭に浮かぶ疑問。

 しかし、ヨウはその思考を切り捨てる。


 この女は狂っている。

 きっと意味などない。



 ……

 …………



「あの〜獅子堂さん? アレ、まさか俺達にも同じことしろとか言いませんよね?」


 狂気の舞いの見学者。『特殊実験室A』のメンバーたち。この時点では正式に発足はしていないが……


「……心配するな。あの二人に付き合う必要はない。ただ、佐渡さわたり妹は回復魔法の準備を頼む」


 獅子堂の他に三人。


「分かりました。……でも、腕が千切れる程度は良いんですけど、流石に瀕死級の重傷だと無理ですからね?」


 一人は佐渡さわたりのぞむ

 九條理事派が密かに育てた生粋のヒーラー。回復魔法スキルに限ってはかなりの実力の持ち主。代償としたものも大きいが。


「マズそうなら割り込みますか? 一撃くらいなら、何とか防いで動きを止める事も出来ますけど……?」

「いや、無用だ。川神にとっては業腹だろうが、野里教官にはまだ余裕がある。川神が今のままなら命までは届かない。むしろ一矢報いる形で、野里教官を本気にさせた場合がマズい。……その時は俺が介入する。本気の教官が相手だと、佐渡さわたり姉では一撃を防ぐことは出来ない。絶対に動くな」


 一人は佐渡さわたりのぞみ

 名前の通り、佐渡望は肉親であり、二卵性の双子姉妹となる。こちらも九條理事派が極秘で育成していたという、生粋の盾役。妹である望の守護者。

 目の前のやり取りを見ている以上、獅子堂の言い分も解る。ただ、甘く見られているようで、彼女自身は納得していない。


「……今ので本気じゃないってか……割とニンゲン辞めてる系の人達も知ってるけど、野里教官も悪い意味でイイ線いってるね。……そんな教官に食い下がっている川神さんも大概だけど……」


 一人は浪速なにわ瑛一郎えいいちろう

 佐渡姉妹と同じく、九條理事派の育成サンプル。後衛型の魔法アタッカー。完全に移動砲台としての育成方針であり、他の後衛アタッカーよりも近接戦闘を苦手としている。そして、一番“壊れている”サンプル。


 二人の演者の狂宴を観る。

 獅子堂は解っている。今の川神では教官には届かない。もちろん自分も。

 呪物と呼ばれる特殊な武具を活用し、レベルも大幅に上げたが、まだまだレベル差を言い訳にできる。


 では同じレベル帯なら?


 悔しいが、同じレベル帯になったとしても、あの野里教官を切り崩すイメージが湧かない。そして、それは想い人である鷹尾芽郁も同じ。


「……くそ」


 狂気の舞はまだ続く。



 ……

 …………



 初撃に比べると野里の斬撃も明らかに遅くなっている。しかし、相対的にヨウの動きも鈍くなっており気付けない。気付いても対処できない。


「(くっ!? まだ続く! いつまで!?)」


 ついに浮かぶ焦りというノイズ。

 徐々に衝撃を受け流せなくなり、大剣に触れる度に体が軋む。

 防御系スキル《鋼体》を展開し、部分的に出力を上げて対応するものの、そのタイミングがズレる。

 疲労と大剣の勢いで体幹が流れる。踏ん張りが効かなくなる。


「……ど、う……したぁッ!? そ、そろそろ……終わり……かぁッ!?」

「……くッ!」


 野里の挑発にヨウは冷静さを取り戻す。

 駄目だ。焦りがあろうが、思考と動きは止めるな。


 しかし、どうしても限界はある。野里の肉体にだって疲労は蓄積しているはずなのに。


 そろそろ決めにくる。

 解ってはいるものの、反撃に転じる一手が今のヨウにはない。


「(決めに来る一撃を凌いで反撃。コレしかない……!)」


 暴風の中で耐えながら、その時を待つ。しかし、彼女はそれがどれほど困難なことかも理解している。

 相手のペースに付き合わざるを得ない。もうその時点で実力が足りていない。ここまで粘れているのは、相手の手加減の結果。


 自嘲気味に自らを顧みていると、ついにその時が来る。


 瞬間的に放出されたマナにより、野里の体が膨れ上がるのを幻視する。


 刹那。


 ここに来て、初撃を超える威力と速度での斜めの振り下ろし。

 ヨウの意識は反応するが、体が意識についてこない。

 なんとか左肘で軌道をズラして直撃は凌ぐも、完全にはその衝撃を逃せない。反撃は無理。踏みとどまれない。そう判断した彼女は、体ごと弾かれることに逆らわずに跳ぶ。


「……がッ!」


 追撃が来る! 受け身と同時に再度跳ぶ!


 そう思考し、受け身をとった瞬間、激しい衝突音と共に大剣が眼前に突き立つ。ヨウは咄嗟に理解できない。意味不明。動けない。


「は! コレでチェックだ。奥の手なしとは言え、私に本気を出させるとはな……見事だ!」


 野里は動いていない。

 その場から大剣を投擲したと、状況に遅れながらようやく理解が追いつく。


 無茶苦茶だ。でも、確かに一対一なら有効な一手か。


 ヨウは乱れた息を整えながら思考する。


 野里は現在レベル【一七】の【獣戦士・弐】で、ヨウはレベル【一二】の【舞闘華ぶとうか】。

 共にレアな特殊クラスであり、特殊な武具……『呪物』を用いるという条件も同じ。しかし、レベル差を覆せる程の一手がまだヨウにはない。


「……ふぅ。参りました。まだまだ教官には届きませんね」

「ふん。残念だったな。大剣の扱いに慣れていない今日が、私を“潰す”最初のチャンスだった。まだ甘かったな」


 呪物の習熟訓練の仕上げ。

 野里はこれまで使用していたショートソードではなく、呪物をあれこれと試し、最終的に長さと重量のある大剣を選んだ。

 乱戦の際、振り回すだけで場を切り抜けられるという理由であり、彼女は一人でのダイブを念頭に置いている。


 対してヨウは、既に使い慣れた呪物モノ……拳打用のグローブに手甲と脛当て、鉄板入りのブーツ。

 確かにあわよくばという思いがあったのは間違いない。しかし、野里がそれほど甘い相手ではないことも知っている。


 野里の攻勢を凌ぐだけで反撃の余裕もない上、最後の一撃では、衝撃を殺しきれずに左肘や肩の骨が折れた。防御スキルを使い、マナで強化したにも関わらず。

 大剣を逸らすタイミングがズレただけでこの結果。直撃を受ければどうなっていたかは想像したくもない。

 本気にさせたと言われても、野里はスキルをほぼ使っていない。いまのが本気の筈もない。

 それが解らない程、今のヨウはお花畑な思考をしていない。


「……ゴメン、のぞむさん。治療をお願いできるかな?」


 既に準備万端だった佐渡望が駆け寄る。


「左だけじゃなく、右腕も割と酷い。……《ヒールⅱ》と《リジェネ》を使う。悪いけど、しばらく痛みは残ると思う」


 柔らかい回復魔法スキルの光を感じながらも、ヨウの思考は先程の戦いへと戻る。


 どうすれば凌げた?

 いつなら反撃ができた?

 今日はどの“光”が正しかった?

 レベル差を埋めるには?


「途中まではかなりイイ線いってたと思ったけどなぁ」

「全然。教官に遊ばれてたって感じだよ」

「でも、あれだけの動きが出来るのは単純に凄い。私は教官はおろか、川神さんも止められないと思う」

「ありがと。いまは負けて凹んでるから、希さんの言葉は素直に受け取っておく」


 ヨウはその思考とは別に、他のメンバーと柔和な表情でやり取りを続けている。その姿を見ながら、獅子堂は考える。


 本当にこれで良かったのか?


 川神は一時のスランプを脱し、“光”に頼らずに戦えるようになった。

 デメリットがあるとはいえ、呪物を用いることでダンジョン戦闘を効率よくこなすことができ、短期間で一気にレベルを上げることができた。まだまだ上げることも不可能じゃない。十階層のフロアボス撃破も現実味を帯びてきた。


 しかし、野里教官や川神の狂気は間違いなく加速している。気付かないだけで、自分もそうではないのか?

 呪物コイツのデメリットは、もしかすると聞かされているよりも酷いモノではないのか?

 何故、対人戦に特化した訓練なのか?

 ゴブリン、オーク、オーガ……このダンジョンでは人型の魔物が多く、武器も使用してくる為、対人訓練は有用性がある。その理屈は解る。

 だが、本当にそれだけなのか?

 俺達をサンプルに選んだということは、生徒同士の戦いを想定しているのでは?

 新たに合流した九條派の三人も特に疑問を持っていない。人と戦うのが当たり前と考えている節もある。

 最近の訓練は既に殺し合いのレベル……このままで本当に良いのか?

 野里教官は“ナニ”と戦うことを想定している?


 獅子堂の思考も止まらない。答えも出ない。



 ……

 …………

 ………………



「聞いているとは思うが来年度早々に我々が『特殊実験室A』となり、元々の『特殊実験室』は解散してこちらに合流する。井ノ崎と鷹尾、それに西園寺派閥から教官一人と生徒一人。……まぁ派閥間のパワーゲームの結果だ。基本的には相互不干渉となる。井ノ崎達と西園寺派は勝手に行動するだろう」


 野里が淡々と事務連絡として伝える。


「呪物は? 連中の前では使用を控える方が?」

「構わない。向こうも既に知っている。それにダンジョンでかち合うこともそうないだろう」


「西園寺派の目的は?」

「知らん。が、恐らくは呪物の監視と九條派への牽制だろうな。お前達のことも知られていると考えた方が良い」


「上辺だけでも友好的にします?」

「必要ない。向こうもそんな事を望んでないし、何より私が気に喰わん」


「芽郁と井ノ崎の現在の力量は?」

「それも分からん。しかし、例え同レベル帯であっても、呪物を使う我々の敵ではない。優位な立場でブチのめすのは可能だろう。お前や川神は不本意かも知れんがな」


 ぎりっと拳を握り込む音が鳴る。

 川神陽子。表情は平静で微笑すら浮かべているが、今の彼女の井ノ崎への執着は強い。

 それは獅子堂の鷹尾芽郁への想いよりも、昏くて熱い。

 彼女が想いを遂げるときは、本人と井ノ崎……二人のどちらかが、地べたに口づけしていることが想像に難くない。


「……出来れば呪物なしでイノと本気で一戦したいんですけど?」

「駄目だ。今の我々は九條派のサンプルであり、勝手な行動は許されない。……まぁ少し待て。いずれ舞台は整えてやるさ」


 嫌らしく野里の口角が上がる。

 口では勝手な行動を諌めながら、彼女自身が派閥のルールを守る気がないのは明らか。

 九條派の育成サンプルである佐渡姉妹と浪速の三人は、彼女の動きを監視するという役割も帯びている。そして、野里もそれを承知の上での言動。


「(まったく……不穏なことだ)」


 いつの間にか獅子堂はこのメンバーの中において、常識人としての立場を取るようになっていた。


「(確かに俺もどこか壊れているんだろう。だが、教官や川神をはじめ、九條派のサンプルたちも明らかにオカシイ。……どうしてこんな事になったのか……)」


 彼の疑問に答える者は居ない。



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 ……

 …………

 ………………



 獅子堂武。


 ダンジョン絡みで国と二人三脚で歩む大企業、獅光重工の御曹司。

 創業者である獅子堂護のひ孫であり、幼き頃より帝王学、人の上に立つ者として教育を受けていた。

 家の者たちは彼に期待はしていたが、別に家業を継がせるなどの大仰な考えはなかった。それも当然のこと。獅光重工は巨大になりすぎ、その上で国家機密にも喰い込んでいる。外部の者が思うほど、創業者一族だからと言って勝手が許されているわけでもない。

 ただ、そうは言っても、やはり何処に行っても獅子堂家の者、獅光重工の創業者一族だと、良くも悪くも注目を浴びてしまう。そんな彼を家族が不憫に思っていたのも事実。

 更に、彼はダンジョン学園の初等部へ行くことになってしまった。獅子堂家の者はそれぞれがそれなりに親和率も高く、学園を経た者も多い。しかし、初等部から学園に招聘される程の者は居なかった。


 仕事の都合上、両親は学園都市に一緒には付いていけない。必然、彼は家族とは離れ離れに。元々家に出入りしていた者達が世話係として共に学園都市へ。


 寂しさを埋めるためにか、彼は周囲の大人に当たり散らすことも増えた。学園での問題児と見做されるのに時間は掛からなかったが、それでも彼は同年代の子たち、つまりは自分と同じ境遇の子に理不尽な振る舞いをすることは、“それほど”無かったという。


 困った家族や世話係は、学園都市へ来る前からの付き合いである鷹尾家に相談し、幼い交流が始まった。


 学年が違い、普段は校舎すら違うため、学園内では交流することが無かったが、それでも獅子堂武は、鷹尾家の道場でこれまでとは違う自分の居場所を見つけた。


 道場では、獅子堂家の者としてチヤホヤされる訳ではなく、ただの練習生として扱われることが、彼にとっては新鮮だった。


 一方、その頃のメイは、両親を喪った悲しみを紛らわすために、修練に打ち込んでいる真っ最中。獅子堂に構う余裕はない。


 だが、そんな一心不乱に竹刀を振るメイの姿に、自分を特別視しない様に幼い獅子堂は憧れを抱く。


 獅子堂武と鷹尾芽郁の物語の始まり。


 それは“原作”の強制力によるものなのか、純粋な気持ちだったのか……今となっては誰にも分からない。


 始まった二人の物語は、一体どこから歪んでいたのか。



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