第3話 辛い、苦しい。当たり前。
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ゲートの周囲にはダンジョン内と同様の影響があり、影響のある一定範囲は“特異領域”と呼ばれている。
そんなダンジョンやゲートの性質を利用した特殊な訓練室。
ダンジョンゲートが部屋の中央に設置されており、この部屋の中ではダンジョンと同等の動きが可能となる。
訓練室にあるゲートの入口は封鎖されているが、それでもゲートに違いはない。
この訓練室の管理は厳重であり、基本は複数名の教官の立ち会いがある状況でしか利用の許可は下りない。また、A・B組以外の生徒が使う際には更に条件と申請書類が増えることになる。
今回、内部進級の一部の生徒たちの暴走もあり、学園側が佐久間や堂上の意向を汲んだ形となっている。
教官の監視のもと、武器は使用しないという条件で使用の許可が下りたが、堂上の心の区切りに学園側が付き合ったとも言える。表向きは。しかし、普段の管理のことや学園の方針を考えれば、あり得ないこと。一連の流れについて、あり得ないと言えるほどに情報を持つ者が居なかったというだけ。
……
…………
「どうだった?」
とある作業室。モニターの前に三つの人影。
「もっと直接的に、堂上が決闘を挑むようなことを期待してましたけど……」
「ふん。そこまで熱血な阿呆ではないだろう。……で、結局、井ノ崎への対抗策は“視えた”のか?」
どこか野性味を感じる声。その質問に対して人影の一つ。川神陽子が答える。
「……微かに視えました。でも、“光”よりもイノの動きの方が速かった」
続けて、もう一つの人影である獅子堂武が続ける。
「映像で見る限り、俺にはまだ視えない」
彼らが確認しているモニターにはイノと堂上の訓練室のやり取り。それが繰り返し再生されており、今は石を投げるモーションの途中で停止されている。
「私にはお前らのようなオカルトはないが……話を聞く限りは、行動の最適解を可視化しているんだろう。特に自分の動き、思考に関して。……お前らには悪いが、初手から最適解で動く敵など、簡単に対策できるがな」
最後の人影。野里澄の口角が嫌らしく上がる。ヨウと獅子堂の二人には、大型の肉食獣が舌なめずりをしている様が野里に重なって視えた。
「……イノにも教官と同じことが?」
「当然できる。その過程はまったく違うがな。井ノ崎はお前らと違い“相手の動きを踏まえた”最適解を選び続けている。……まるでプログラムのようにだ」
モニターに映るイノを見つめる、野里のその目は笑っていない。どこか吐き捨てるように彼の戦い方を語っている。
「プログラム? イノが?」
「そうだ。あいつはダンジョン内の戦闘においては、その状況下で取れる最適解で動いている。少なくとも私が見る限りはそうだ。
獅子堂や鷹尾のように、訓練を積み重ねた動きじゃない。井ノ崎にはまったく才能の煌めきを感じないが、どちらかと言えば、天性の勘やオカルトありきの川神は井ノ崎に近い。だが、現時点では
話をしながら、モニターを操作して別の映像に切り替える。次に映し出されたのは、イノがその正体の一部を明かした戦闘時の映像であり、かつて市川が記録したもの。ヨウと獅子堂は映像のイノを追う。
「私が……イノの劣化バージョン……ですか……」
「あくまで現時点での話だ。川神と井ノ崎ではレベルによる差も大きい。私が井ノ崎と戦えば、たとえあいつが最適解を選ぼうが、現状ではレベル差のゴリ押しでどうとでも出来るのも事実だ。相手にならん。それはお前たちにも同じことが言える」
野里の性格上、それが自分への慰めなどではなく、本当にただの事実を羅列しているだけだとヨウは理解していた。だが、現時点での差を仕方がないと容認できるほど、今の彼女の心は広くない。特にイノに関しては。ヨウには昏いマナが灯っている。
「……イノを同レベル帯で倒すには?」
「ふん。シンプルな一撃必殺だな。お前は天性の感覚やバネを活かそうとし過ぎる。無駄を省け」
即答。野里が考えるヨウのイノ対策。手が増える度に付け入られる可能性も増えていくという見解。相手が最適解を選ぼうが、どうしようもない程の一撃で仕留める。
そんなヨウへの回答を聞き、もう一人が口を開く。獅子堂。
「……俺が芽郁に勝つには?」
「無理だ。諦めろ」
こちらも即答。獅子堂にその答えの意味が染み込むまで数瞬を要した。はっと息を飲み、歯を食いしばる。彼からすれば受け入れ難い答え。
「……あぁ勘違いするな。同じレベル帯での話だ。鷹尾の素の技は本物だ。悪いが濃密な数年分の差がある。それを覆すには、レベル差によるゴリ押しが一番手っ取り早いというだけだ。お前にとっては不本意かも知れんがな。
もしどうしてもと言うなら、肉を切らせて骨を断つ……よりも先。骨を断たせて命を絶つ……というやり方しかない。お前は鷹尾と殺し合いがしたい訳ではないだろう?」
野里は淡々と答える。それでも獅子堂の望む答えではないが。
「…………俺が芽郁を超えるには、命を懸けるか、レベルを上げるしかないのか……?」
「そうだ。諦めろというのは、お前のその拘りだ」
二人のやり取りを、ヨウは冷めた気持ちで眺めていた。
「(本意ではないにしろ、獅子堂は鷹尾先輩のレベルを超えることを目指す。私なら……命を奪う可能性であっても……選ぶ…………イノ……待ってろ……)」
昏いマナがヨウの身の内で燃え盛っている。
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今日も今日とてダンジョンだ。テンションが上がらなくてもね。
また一つ自分の異常性を自覚してしまった。
堂上君と佐久間さんの心が折れたという「恐怖」だけど……僕は最初にゴブリンを見て以降、ダイブを繰り返す中で「恐怖」を感じていない。今までどうして気付かなかったんだろ? 一旦自覚すると、凄く不自然で気持ち悪い。
「……はぁ……」
「………………」
わざとらしく溜息をつき、チラリとメイ先輩を見る。あくまでチラリだ。
今は安全地帯で休憩中だけど、少し前から繰り返している。なかなかな釣れないな。
「……ふぅ……」
「…………チッ。……イノ君、元気なさそうだね」
釣れたけど、いま舌打ちしたよね? この人。ちょっと構ってちゃんしただけなのに、何もいきなり暗黒面を出さなくても……そりゃウザかっただろうけどさ。
「いやぁ、少し凹むことがあっ…………」
「ああそう。気を付けてね」
ぐっ。被せ気味な塩対応……何だよ、ちょっとくらい甘えても良いじゃん。いや、いくら今は肉体に引っ張られてるとは言え、前世の一生を経た中身を持っている訳だし、そんな僕が中学生に甘えるのは駄目だな、うん。分かってたよ。
「……はいはい分かりましたよ、黙ってレベル上げ作業に戻りますよ」
休憩を切り上げて、ちょっとストレッチでもしようかと立ち上がったら……
「……イノ君。辛い時、そうやって茶化すの……私は嫌いだな」
メイ先輩からの苦言が聞こえた。
ふとそちらを見やると……ちょっと近い? あれ、かなり怒ってる? メイ先輩が能面顔だ……と思ったら、いきなり彼女の手が僕の手首を掴む。がしッと音がしそうなほどの割と強い力。一瞬、殴られるかと思ってびくってなっちゃった。ゴメンナサイ。
「……イノ君。少し凹むとかじゃなくて、本当は何があったの?」
「…………」
違う。怒ってるんじゃなくて、心配してくれてるのか。いや、でもさっき思いっきり舌打ちしたよね? ……うん。さっきのは聞かなかったことにしよう。勘違い勘違い。
「……私、こういうの鈍いけど、流石にイノ君のは判るよ」
「…………」
あれ? メイ先輩が真剣だ。もしかしなくても本気で心配してくれてる?
……
…………
どうしたんだろうね?
フワフワしてる。……なんだかさ、誰かに普通に心配されるって、こんなにも嬉しいものなんだね。あんまり気にしてなかったけどさ。
ゲーム的な世界とか、前世とか、ダンジョンだとか、自分のアイデンティティだとか、気になることが多過ぎて気にならなかったというか、麻痺してたけど……僕は割と辛かったんだな。
「……! ど、どうしたの!? イノ君!」
はは、いかにも動じないって感じのメイ先輩が焦ってる。
そりゃいきなり目の前の男子に泣き出されるとそうだろう。
僕は知ってる。
メイ先輩は無表情&もの静かキャラだけど、負けず嫌いで、暗黒面を隠すのが下手で、割と感情の起伏が激しいし、時に意味不明な電波拾ったり、脳筋になったりもする。
逆も然り。
メイ先輩も僕のことを少しは知ってくれてるみたい。
それが嬉しい。
こっちの世界に“井ノ崎真”の家族や友達はいる。でも、よく考えたら“僕”のことを知ってくれてるわけじゃない。“僕”を心配してくれるわけじゃない。
一度溢れたら止まらない。
僕は現れた時と同じく、ある日いきなり消えてしまうかも知れない。
既に僕は僕じゃない別の“ナニか”なのかも知れない。
何故ダンジョンの深奥に呼ばれる?
他のことをしても良いの?
どうして戦うこと、暴力を振るうことがこんなにも平気なんだろ?
僕は前世であっても、平気で子供に暴力を振るうような奴じゃなかった筈だ。
そりゃ記憶も途切れ途切れだったりするけど、決して暴力を肯定するような人間じゃなかったと思う。
「ご、ごめん……なさい。ちょっと、ほ、本当に……苦しくて……」
僕は遂にしゃがみ込む。涙が止まらない。嫌なんだ。全部が。これは多分、子供である“井ノ崎真”の本音だ。なんでこんな事になってるんだろ?
メイ先輩もゴメンナサイ。困らせたいわけじゃないんだけど。今はもう無理。辛い。
……
…………
………………
メイ先輩は戸惑いながらも、僕の手首を掴んだまま、横に座って落ち着くまで待っててくれた。
「……ありがとうございます。もう大丈夫です」
「……本当に?」
まだ心配そうな顔。当たり前か。
「ええ。いくら泣いても状況が変わらないことは知ってますしね」
泣いても変わらない。知ってる。でもさ、たまには吐き出さないとね。僕はそんな当たり前のことも忘れてしまうくらい、状況に流されていたんだ。辛いってことも分からなくなってた。
僕には迷いも不安も恐怖もある。ただ、ダンジョンでの戦いになるとスイッチが切り替わる。これがプレイヤーの仕様なのかは解らないけど、絶対に“僕”のでも“井ノ崎真”の性質でもないのは確かだ。皇さん(模擬)への質問リストに付け加えておかないと。
「……いったい何があったの?」
「…………」
話をしたところで何が変わるわけでもない。こっちの世界の人に僕のことなんて理解してもらえない。そんなのどうせ無駄だよ。モルモット扱いが精々だ。どうせなら、僕の方こそ利用させてもらうさ。
そんな言い訳を自分にしてた。たぶん、そうでもしないと辛かったんだ。いきなり知らない人に囲まれてさ。今なら解る。強がっていただけだ。
僕は本当は誰かに聞いて欲しかった。自分の不安を。怖さを。
「メイ先輩に話しても仕方ないことなんですけど……」
「…………」
悲しげな顔。いや、違うんだ。
「……少し、聞いてもらえますか? 僕の話を……」
「……! ……うん。聞くよ」
話をしよう。メイ先輩に。あと、もし色々と心の整理がついたなら、井ノ崎真の家族や友人……両親や妹、サワくんや風見くんにも。ヨウちゃんは……後回しだな。
「僕が“プレイヤー”云々って話をしていたじゃないですか。それなんですけどね……思ってた以上に、自分が異常だったことを自覚しまして……ちょっとマイってたんですよ」
僕は話す。話せないこともあるけど。それでも聞いて欲しいんだ。
「……“
「ええ。メイ先輩だって不思議に思ってたでしょ。まともに訓練もしていない僕が、どうして平然と武器を振るって戦えるのか、何故躊躇なく魔物を殺せるのか。それがプレイヤーとしての特性なのかは知りませんが……僕は魔物を怖いとは思わないし、自分が傷付くことも他人事のように感じてます」
そう。それこそまるでゲームのキャラを、主観視点と俯瞰視点で操作しているみたいな感じだ。
「相手が初恋の女の子だろうが、幼馴染だろうが、学園の生徒だろうが……ダンジョン内では普通に排除できます。あの時は手加減したけれど……もしかすると、彼女たちを殺しても平然としていたのかも知れません。『まぁ仕方ないか』ってくらいのノリで。そういう異常性を自覚して、改めて怖くなったんです」
僕にはダンジョンで魔物と戦うことへの恐怖心はない。自覚しちゃうと、今はそれが怖い。
たぶん、いや確実に、仮にメイ先輩が相手であっても、それがダンジョンの中であれば、僕は躊躇なく排除行動をとるだろう。それも効率的に。そういう自分がたまらなく怖くなる。そして、前の時は、結果に対して罪悪感が後から込み上げてきた。最低な仕様だ。
「……正直、少し私も思っていた。イノ君の動きはすごく実戦的……敵を確実に殺す動き。でも、普段のイノ君にそんな雰囲気はないから……」
「僕はスイッチが切り替わるように、ダンジョンの中では、あーしようこーしようと、考えたと同時に体が動いています。まるで“自分”を外部から操作しているみたいに。感情も同じで、パチンとスイッチが切れます。僕はそんな自分が怖い」
ごめんなさい。僕は気が楽になるけれど、メイ先輩はこんな話をされても困るよね。
困り顔なメイ先輩。それでも僕のためなんだろう。長考の末に言葉を紡ぐ。
「…………私は……魔物と戦うのは怖い。例え一階層のゴブリン相手でも。……私の家の流派では、怖さは慎重さに繋がり、慎重さは後の先に通ずると教えられている。だから、イノ君の判断の早さや思い切りの良さ、まるで自分の身を顧みないような戦い方が理解できなかった。でも、イノ君はイノ君で、自分の戦い方に恐怖を抱いてたんだね。……私はそれで良いと思う」
「……え?」
まさか肯定されるとは思わなかった。
「……だって、戦いに怖さを感じない。そのことを怖いと感じるのは、紛れもなくイノ君の心。正直、ヘラヘラと軽口を言うイノ君のことはあんまり好きじゃないし、ダンジョンでの容赦のない戦い方は怖いと感じてる。……でも、普段のイノ君に、優しさや思いやりがあるのも知ってるから……イノ君が、自分自身に怖さを感じない方が怖いよ」
「…………」
ありがとう。メイ先輩。こんな僕を肯定してくれて。ただ、普段の僕があまり好きじゃないとか、今は要らなかった気がする。普通に傷付くんだけど?
「メイ先輩。こんな訳の分からない話に付き合ってくれてありがとうございます。ほんのちょっぴり、気が楽になりました」
「……私もありがとう。本当の気持ちを話してくれて。イノ君、いつも一人で抱えているでしょ?」
割と不思議ちゃんというか、何考えてるか分からないメイ先輩だったけど……僕のことをそんな風に見ていたのか。まぁその通りだけど。
「…………」
「……空っぽな私じゃ力になれないかも知れない。でも、イノ君に何かあれば全力で助けるし、私のことも助けて欲しいと思うよ。それは別にダンジョン以外のことでもそう。だって、私たちは“同志”でしょ?」
その真っ直ぐな瞳に嘘はない。思っていたよりメイ先輩は熱い人だった。彼女の想う“同志”もガチっぽい。
僕も改めて覚悟を決める。
所詮は子供同士の幼い約束だ。いつまでも同じ目的を共有できるかは分からない。でも、メイ先輩が望む間は、僕もメイ先輩とちゃんと向き合う。共にダンジョンの最奥を目指す……ぐッ!?
なんだ急に!? 胸が熱い……痛ッ!?
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