第2話中田商店
その日は朝から滝のようにゴーゴーと鳴り響く猛烈な雨が降り続き、傘は全く役に立つことなく、雨合羽の中のシャツもずぶ濡れで、マンホールからはゴボゴボと水が噴出していた。
午前二時、ギイイイイイイィイイ 錆びついた大きな門扉を開けると、耳を塞ぎたくなるような嫌な音が響いたが雨の音でかき消されていることが幸いした。
雨でぐっしょりと濡れたシャツに、嫌な汗が流れていくのを感じた。
石鹸を作る工場やのに、清潔なイメージが全くなく、悪臭をまき散らして、汚いイメージを植えつけた場所、それが「中田商店」庶務課の中田
つか社長令嬢なのに、此処じゃなくて、ウチの倉庫の事務員って、よっぽど此処の現場が嫌やったんやなアイツ……
せっかく豚みたいなアイツにはお似合いの職場やいうのに、しかし臭えな。この会社……
ヘドロみたいな臭いを充満させやがって……
ホンマきっしょいねん。そら奇っ庶務さんて渾名もつけられるわ。
施錠されていなかった大型門扉を開けると、二メートルほどの有刺鉄線に遮られた。
指を網に引っ掛けながら、雨で鉛のように重くなった服を絞り、裸足になり、足の指で網をしっかりと捕らえた。
掴んだ網を引き寄せて、ゆっくりと登っていく。まるで木の幹にしがみつくカブトムシのようで、自分でも笑えてきてしまう。
我が町に「豚石鹸」と言われる工場があり(此処のことね)そこから放たれる悪臭は、生ゴミの濃い臭いをさらに油臭くした感じで、その向かいにある中学校の学生さんたちは、その臭いにより、風向きによっては、約8割くらいの生徒が鼻炎で悩まされていた。
(ちなみに中田はそのせいで、随分酷いイジメにあっていたらしい。私学の中学校に行きたかったらしいが全滅したそうな。ま、アイツのオタマじゃ当然やろ)
建物は、全体的に少し昔の線路沿いの家のように赤錆で真っ赤になっていて、それは血を思わせるほどに不気味で、そこに大きな看板で「中田商店」と記載されていた。
空や路面には、豪雨にも関わらず、たくさんのカラスがいて、「ガアー ガアー」とうめき声をあげていて、まるでケンシロウの世紀末を思わせるような光景やった。
それはサイコホラーの住宅映画に出てきそうな、おどろおどろしい建物であり、絶海にある孤島の刑務所、アルカトラズを想像させた。地元じゃ幽霊屋敷扱いされてたらしい。
一歩踏み込むごとに、裸足の足元からベトリと、嫌な感触を感じた。
油まみれの床を歩いているような感触で、床はギトギトしていた。
俺は最初見たとき、この「中田商店」というのは刑務所かあるいは新興宗教の施設かなと思うてた。
というのは、ここに出入りする奴らは、ほとんどが黒人やら、アラブに住んでそうな顔の濃いいおっさん、どう見てもワケありの、上半身入れ墨男らが、出たり入ったりしていて、毒ガスのマスクみたいなのを被ったり、豚の生首を担いだりするのを、近所のほとんどの人が目の当たりにしていた。
ホームレスみたいな臭そうなオッサンも出入りしてた。
卒倒しそうなくらいのあまりの臭いに、目まいがしたが、勇気を振り絞り、懸命に前を向いて歩く。どこからかポタリポタリと雫が落ちるような音がして、振り向いてみると、半身を切り裂かれた豚が、紐に吊るされて、そこから血が床に滴り落ちていた。
「ぐうっ」
懸命に吐き気をおさえて、違う方向を向いたが、先ほどの残像が蘇る。
「ぐぇっ」
耐え切れず、俺は胃の中の消化物全てを床に吐き散らした。
油と吐瀉物の、強烈な臭いに目眩がするし、胃が痛む、この痛みは過去にも経験したことがある胃潰瘍クラスの痛みだ。
恐らくは極度の緊張によるものだろう。
ひざががくがくし、腰が引けて、戦意喪失寸前の状態ではあるが、確かめないことには家には帰れない。
恐怖感におじけづきながら、ギトギトの床をゆっくりと歩を進めていく。
とてもじゃないが、石鹸工場とは思えない。
使用済みの天ぷら油で手作り石鹸が出来るように、石鹸を作るには油がいる。それが豚の油で使用されているから豚石鹸と呼ばれて久しい。
石鹸の清潔なイメージが豚の油から作られるなどと、真逆なイメージをユーザーどもは知る由もなく、皮肉としか言いようがない。
建物に入っていくトラックには常に豚の生首が満載で載せられていて、周囲は悪臭が立ち込めていて、特に夏場は酷い。
プラカードなどを持って、出て行けと揶揄する近隣住民までいるらしい(当然や)
ネチャネチャした油まみれの床を裸足で歩いていく。足の裏側に油が引っ付いている感触が気味悪く、再び嘔吐してしまいそうになる。
しかし、この工場と家が一括りになっているとは、よくこんなところに住めたものだと感心してしまう。
住めば都というが、俺はこんな地獄みたいなところはゴメンやわ。
アイツがバカみたいにコロンや消臭スプレーを身体に吹きかけていた理由が分かったような気がした。こんな臭いに囲まれてたら、鼻もバカになるわな。
奥の扉を開けると、さらに嫌な感じの臭いが鼻につき、再び胃の中のものを戻してしまいそうになる。
なんやろこれ? 錆びた血のような臭い……
さらに奥に「中田」と書かれた表札があり、そこが奴の住居だと知る。
ガラガラと横開きの扉を開ける。施錠はされていなかった。
音は響いたが、幸い外の雨の音でかき消され、中から人が出てくることはなかった。
ヒタヒタと裸足のまま、玄関に行くと、何故か血のりのようなものがベットリついた大型の
俺はその
念のため、護身用に出刃包丁に、催涙スプレーと、スタンガンは所持していたが、それだけではどうも心もとなく、血まみれの
奥の部屋が奴の部屋か???
以前、飲み会か何かで、確か自分の部屋は二階だという話を聞いた記憶があった。
とりあえずは、廊下の先にある居間の方へ忍び足で歩く。
「うぐっ」
居間に入った瞬間に、全身が総毛立った。
大人の男女と思われる遺体が、三体、重なるような恰好で寝かされていた。
損傷は激しく、恐らくはこの
口からは舌が飛び出しており、喉元は真っ赤に鬱血し、かなり苦しそうな表情を浮かばせていた。
「ぐえええええええええ」
俺は今度こそ、我慢できずに思い切り吐いてしまった。荒されたリビングが俺の吐瀉物まみれになった。
こうなってしまった以上、ここにいる意味はない。俺は後ろを振り返り、ガクガクと振るえる足を押さえながら、懸命に歩こうとした。
まてよ……
アイツがいない……
何故だ? アイツはどこへ消えた? 俺は再び三体の遺体をのぞき込んだ。
顔面の損傷は酷かったが、ちらと確認しても、アイツの遺体はない。
考えている暇はない、一刻も早くここから立ち去らねば……
そう思った瞬間に、パトカーのサイレンの音が、外の豪雨の音と濁って、この建物の周囲に近づいてきているのを五感で感じ取った。
俺は全身を小さな虫が一斉に這い出てくるような寒気を感じ取っていた。
奇っ庶務さん ~庶務課の彼女はストーカー~ バンビ @bigban715
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