奇っ庶務さん ~庶務課の彼女はストーカー~

バンビ

第1話プロローグ

拘置所の接見に来た弁護士が、アクリルガラス越しに俺のことを覗き見る。

奴は数えるのも面倒なほどのため息を何度も、俺に聞こえるようについた。

「貴志さん、何故、一家惨殺などという凶悪犯罪を犯してしまったのか、私のほうにきっちり説明してもらえませんか?」

眼前にいる国選弁護士は、いつも通りの台詞を言い放った。

連続OL監禁殺人事件に、一家惨殺殺人事件、合計五人の死傷者を出してしまった令和一の凶悪犯罪に、マスコミは連日実家に押しかけ、あげくに俺の親族にまでターゲットにしてきたらしい。親父とおふくろは、鬱病になり寝込んでしまい、親戚一同からは絶縁を言い渡されたそうだ。

「公判までに、過去の辛い経験か何かを引き合いに出して、情状酌量を訴えるとか、精神科に相談をして、精神鑑定に持ち込むとか、そうして戦わないことには、あなた、このままじゃ死刑ですよ」

情状酌量?精神鑑定? 冗談やない。俺はむしろ被害者や。あの女からストーカーをされた被害者やと何度も検察や警察で説明しとるのに誰も信じてくれん。

信じられんようやが、俺が手をかけた人数は合計五人で全て成人。

世間からはサイコキラーとして叩かれている。

だが俺は、病気でもなんでもない。視界や意識だって、はっきりしとる。

だがこうして、疲れた顔をした接見に来た国選弁護士の顔を見ていると、まるで悪夢の中に放り込まれたような鬱々とした気分や。

そう、奴は知ってたんや。こうなることを。

奴はずっと前からこうなることを知っていて、俺には内緒で、最終的には俺を利用し、上手く立ち回って生きてきた。

結局、俺は奴の手のひらの上で、踊らされていた道化師のようなもんやった。

「私はどうしても理解できない。理解しかねるんです。貴方が何故に、このような事件を起こしてしまったのか、理由が知りたい。何故にあんな非道な犯行を起こしてしまったのか?私にだけは教えてもらえませんか?」

渡された名刺で確認した弁護士の名は 日山ひやま甲二こうじ52歳 こいつもあの一派の仲間に違いない。

こいつを信用してはいけない。こいつを解雇してもらわなければ……

「かくくん……」

あの女が俺につけたあだ名が脳裏に浮かび上がる。

とたんに激しい頭痛に襲われる。

文章ふみあきという名前から、書くということを想定し、勝手にかくくんと呼んだおぞましいあの女を記憶から抹消したかった。

あああ、頭が締め付けるように痛む。ちくしょう。

「井上さんからも話を伺いましたよ。何を差し置いても貴方は悪くないと。何かとんでもない事情があったのだろうと、彼も貴方のことを心の底から心配されているのですよ」

井上という名前を聞いた瞬間、それまで微動だにしなかった俺の眉が微かに動いた。

その瞬間、弁護士の目の奥に何か光が宿るのを俺は見逃さなかった。

弁護士の日山は、何も語ろうとしない俺に、業を煮やして、アクリルガラスを叩いた。

「いい加減にしなさい。私は貴方を助けたいんですよ。手抜きなんか一切しない。そのために井上さんからも宜しく頼まれているんだ」

日山は言い終えると、肩で息をしながら、再び大きくため息をついた。

「そういえばね、貴方もファンだった、エンゼルスの大谷翔平さんが投手として10勝目をマークしましたよ。あのスプリットというんですか、最速のボールで打者の手元で曲がる変化球。あれが素晴らしいですね。あれだけ速くて曲がるボールは、私は他に知りませんよ」

俺は両の目から涙が溢れ出るのを感じていた。

ファンである野球選手の活躍で感動したのではない。

しかし弁護人の言葉のどこかに、激しい感情の波が洗われた気がした。

あああああああああああ ああああああ

うああああああああああああ

「貴志さん、貴志さん、どうされました?」

俺は能面のような表情から溢れ出る涙を止めることはできなかった。

しかし真相は未だに闇の中だ。俺はどうしてあんな非情な犯行を起こしてしまったのか理解できないままに、踵を返す弁護士の後ろ姿を茫然と見送った。

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