第6話
僕は流れる涙を袖と掌で拭い、玄関口の真下まで走ると、白い鴉に向かって叫んだ。
泣いていては伝えられ無い。
だから、僕は泣いていては駄目だ。
見つけたんだ、模造銃で墓地の周辺を荒らしていた人間がいることを。
子供の鴉を狙ったのかも知れない。
でも証拠が無いんだ。
本当にごめん。
僕は必死に事の顛末を叫んだ。
証拠は無いけど確信はあるんだ。
模造銃は発射されたと思われる部屋の窓は一軒家の二階の窓だった。
その窓がある部屋に誰がいるのか僕は知っていたのだ。
あの時に青年が指を指した部屋。
そこは兄の部屋だったのだ。
僕は必死に叫んだ。
模造銃を所持しているかどうかだけでも確認すれば良かったのに、いや、絶対に持っていた。微かに見せびらかして来た記憶があるのだ。でも僕は怖くて確認することが出来なかった。部屋に近寄るのも怖くて出来なかった。本人に問うことも出来なかった。僕の留守中に猫がもしも撃たれたら、殺されたら、そう思ったら出来なかった。猫のことが無くても僕は出来なかった。怖くて出来なかった。ごめんね。ごめんね。僕が弱虫だから、何にも役に立てなくて。ごめんね、僕は恩返しがしたいなんて思っていた癖に、怖くて出来なかったんだ。弱虫でごめんね。僕を選んで頼んでくれたのに。
また涙が出てきて、僕は声を上げて泣いた。
悲しくて悲しくて仕方がなかった。
自分が情けなくて情けなくて仕方が無かった。
怖くて怖くて何も出来なかった。また僕は恐怖に負けたのだ。
これからも同じことが起きてしまう可能性が十分あるのに、それを止める為の一歩を僕は踏み出せなかった。
風が吹いた。
今度の風は目の冷めるような冷たい風だった。
鴉たちが一斉に飛び立った。大きな羽音がして、音なのに僕はそれがとても美しいものだと思ったのだ。
最後に白い鴉が飛んだ。大きな羽は真っ白で陽を浴びて煌めいていた。
僕はそれを見ながら泣いていた。
ごめんね。あの時、猫を探してくれてありがとう。それなのに、何も出来なくて、ごめんね。
ごめんね、ありがとう。
僕は今日からこの家に住むんだよ。来てくれて嬉しいよ。
ありがとう、ごめんね。
◇◇◇
気が付くと僕は布団の中で猫を抱きしめて泣いていた。
窓から見えた空は薄明かりで、朝がもうすぐそこまで迫っている様だった。
僕は起き上がって着替えた。猫がご飯を食べたら、ゲージに入れて出立しよう。僕はこの家にもう居たくない。
自家用車に乗り込む前に、猫の入ったゲージを胸に抱えて墓地付近へ行き、ありがとうと声に出した。白い玉の散らばる地面が悲しかった。
◇◇◇
その後、僕が引っ越したばかりの年に兄の結婚が破談になったと聞いた。なんでも本性が女の家族に露見したことが原因らしい。
間を置かず別な若い女を漁っているらしいと人伝に聞いた。
その年は台風で杉の木が倒れ、二階の一室、兄の部屋が使えなくなったと聞いた。瓦も並びが歪み、二階の全部屋が雨漏りする状態になったと親が喚いていた。
その後も自宅の電話機への落雷により通信関係が壊滅したとか、強風で車庫が倒れ全ての車が下敷きになったとか、雨漏りが階下にも影響を及ぼしていたらしく、一階の一室の床が陥没したとか、実際に僕が見た訳では無いので、程度の程は不明だが、聞いた限りでは不運が続いている様だった。
しかし全て金で解決できることなので、金持ちの彼らには容易い不運であろう。
鴉は三羽も命を落としているのだ。金で買えない命を。
あれから鴉たちには会えていない。
僕はあの家には二度と行かない。
家の周辺の墓地区間以外の土地を買い上げ、杉の木を全部切り倒すことにしたのだと聞いたが、土地は購入したものの切り倒し作業は一向に進まないらしい。作業車が入れないだとか、売れる木が全く無いから処分するために代金が倍になると見積もりされたとかで頓挫しているそうだ。
墓守の鴉たちはどうしているだろうか。
鴉としての一生をそれぞれに過ごせているなら良いのだけれど。
あれからどうなっただろう。
夕焼けが色濃く室内を照らした日や、真夜中に煙草を吸っている時、外灯の下に大きな鳥の影が一瞬見えた時に思い返すのだ。
燃える夕焼け
熱い風
遣り切れない自分の無力さ
弱虫な自分
血が煮えたつ様な強い強い感謝の気持ち
冷たい風
羽が舞う様に飛び立った数えきれない鴉たち
広がった真っ白い羽
身体中の全てで泣き叫んだ、あの夢と現の狭間の出来事を。
◇終
「鴉からの頼まれ事」 九々理錬途 @lenz
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