テセウスの器・4

 翌朝。

 ようやく街が活気づいてきた頃に活動を開始したユイとライラは、未だ下町を散策中であった。太陽がふたりの頭上に昇り、土色の家々と、そこに生きる人々を明るく照らしている。

 自家野菜を売る女性の騒々しい声や、ジャンクパーツを叩くハンマーの打音。きゃいきゃいと駆け抜ける子どもたちの背中を目で追いながら、ライラが遠くにかすむ摩天楼を仰ぐ。


 先ほど足を運んでみたのだが、こちらとあちらの境界線には城壁のようなコンクリートの高い壁がそびえていた。出入り口らしきものはなく、広大な領地を持つマグノリアの外周をまわってそれを探すなんてのは現実的ではない。


「どうにか壁を越える方法がないか、調べる必要がありそうだね」ライラは溜め息混じりに零した。

「魔法でドカンと壊せないの?」

「無理だな」


 理由を説明しようとして、きっとユイには難解だろうと口を閉ざす。

 ライラの魔術は人間の精神、ひいては脳神経に作用する複雑なものだ。壁や石のような無機物には効果がない。


「そっかぁ……」ユイが肩を落とす。

「大丈夫、きっとなんとかなるよ」


 そう言って笑ってみせると、暫くじっと見つめたあとでハッと目を逸らして、ユイは小さく頷いた。どこか切ないような、不安なような表情が浮かんでいる。きっと彼女は一瞬、ライラの姿に重なったを見ていたのだろう。


 ──ふらりと街路の裏道を覗けば、猫が生ごみの中から餌を漁っていた。そこそこにいい体格をしているところを見ると、食には困っていなさそうだ。


「わ、ネコ!」


 そんな物珍しくもない生き物に、ユイはたたっと寄っていってしまう。黒と白のまだら猫は人に慣れているのか、くわえた魚の残骸を地面に置いて「にゃあ」と鳴いた。


「ユイ、あまり闇雲に走り回ると危ないよ。俺たちは余所者よそものだって見ればわかるんだか──」


 彼女に気を取られ、背後の存在に気が付かなかった。黒い大きな影がライラを覆い、次いで後頭部に強い衝撃。目の前がチカチカと点滅し、成す術なく地面にどさりと倒れ込む。


「ライラさ──!」


 視界の端で猫が餌を回収し、軒先を伝って逃げていく。指先で砂利を掴み、起きあがろうと身体を持ちあげる。が、頭を持ち上げるのがやっとで、目の前がくらくらと揺れていた。

 こんなことならもっと身体を鍛えておくべきだったか。そもそも、背後を取られるなんて一生の不覚だ……!


 こちらに駆け寄ろうとしたユイの腕を、どこから現れたのか、黒いフードを目深に被った人物が掴んだ。振り払おうと抵抗するが、華奢なシルエットのわりにびくともしない。


「離して!!」


 咄嗟に蹴りをお見舞いしようと振り上げた脚が、空いた右手で容易く捻られる。

 彼だか彼女だかわからないが、その人物が何かを耳元で囁くと、ユイが大きな目をさらに大きく見開いた。


 ……意識が、落ちる。

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