テセウスの器・2
乾いた風が、砂粒を運んでくる。
旧市街地の街並みは、廃材を組んで建てた風通しの良さそうな家々の赤茶色で、それもまた風情があっていいなあなんて呑気に考えた。
「なんか、雰囲気変わったね」
キョロキョロと辺りを見回しながら、ユイはライラのあとを着いていく。
「そりゃあ、色々ありましたから」
変わったといえば、彼も少し大人びた。あの頃は死んだも同然のように顔色が悪かったし、もっとぶっきらぼうでとっつきにくかった。そもそもあまり口をきいてない。
「……六年」
「え?」
「あれから、六年も経ったんです」
二人を取り囲むのは、活気のある町だった。煌びやかな装飾も、立派な宮殿もなくなったけれど、行き交う人々の顔を見ればわかる。誰もが生き生きとして、真っ直ぐに前を向いているのだ。
「アリーシャや、ユーリは……?」
「わかりません。きみが彼と別れたあと、暫くは鷹で連絡を取っていたのですが」
「……そっか。やっぱり、それも知ってるんだね」
「ええ。先ほどは試すようなことを言ってすみませんでした」
こちらです、と通されたのは、薄っぺらい板張りの民家のひとつのようで、麻のカーテンが入り口にかかっているだけの簡易的な空間だった。突風ないし嵐がきたらきっと無事ではすまない。雨風を凌げるかすら怪しいが、そういえばこの辺りには滅多に雨など降らないんだった。
緋色のラグのうえには、
「ここ、ライラの家?」
「はい」
「素敵なお部屋だね」
「ここに誰かを招いたことはないですが、きっと褒めてくれるのはきみくらいです」
ライラは壁側に置かれたぺたんこのクッションに座り、傍らの肘掛けによいしょと身体を預けた。癖なのか手近な書物に指先が触れて、そういえば来客中だったとやめる。
「そうだ。話を、するんでしたね」
「うん。でも、今更何を話せばいいのか」ユイが向かい側に座って、苦笑した。
「ライラさんは、今までなにをしてたの」
「ただのライラで構いません」
「じゃあ、ライラさ……、ライラも。わたしに敬語は必要ないよ」
一度目を伏せ、ライラは静かに頷く。
「──俺は革命戦争の後、都を離れて各地を放浪してたんだ。たまたま知り合った流浪のサーカス団に身を寄せて、五年くらい旅をしてた」
なるほど。それで性格が丸くなったのか、と納得した。サーカス団というなら頷ける。彼は確か、本物のマジシャンだったはずだから。
「俺の話より、きみの話が訊きたいな。例の彼──シイハはどうしたんだ?」
「……」
ユイは肩掛けの鞄からラジオを取り出した。それはジャンクになる一歩手前といえるほどの
『……気温は二十七度をキープ……で……セントです』
脆弱な電波をなんとか拾い、スピーカーはざらついた音声を吐いた。少しの間耳を傾けてから、ライラがこれは、と驚いたように呟く。
「そう。シイハの、声……」
ユイは電源を切った。
「これだけが手掛かりなの。このラジオの声だけ」
「どうして彼の声が? 頭を打ってラジオパーソナリティーにでも転身したの?」
「わからないけど……それはないと思う。シイハと離れてから、しばらくは何も手につかなくて、ひとりで帝都に住んでてね。たまたま通りかかった骨董屋で、このラジオを見つけたんだ。それで、なんとなくだけどシイハを捜さなきゃって思ったの。でも、どこにいるのか全然わからなくて」
考えれば考えるほど、気持ちが落ち込んできた。そもそも、彼には一方的に拒絶され、袂を別ったのだ。それなのに、まだしつこく追いかけようとしている。そんな自分に嫌気がさした。
「わたし、シイハに嫌われちゃったのかな。シイハが居なくなるとき、『二度と私の前に現れるな』って言われたから」
「ふむ……」
ライラは手近な深皿に水を汲み、ユイと自身の間にごとりと置いた。王宮から持ち出した愛用のものなのか、上質な陶器だとわかった。
「それは、彼自身に訊いてみるといい」
そう言って手を翳すと、水面が青く光る。風もないのに銀髪がふわりと逆立ち、深皿の面である楕円の映像が脳内に流れ込んだ。
それは、見渡す限りの黒曜の景色。溝に添って奔る緑色のメカニックな光が、角ばった建物の造形をありありと浮かび上がらせた。そこはどうやら都市のようで、そういった建造物の群れが隙間なくそこかしこに建っている。メトロポリスというのだろうか。見たことのない金属の冷たい質感で覆われて、少し怖い気がする。
目線は遥か高い位置からぎゅっと凝縮されて、やがて一点に集中した。黒いとげとげした攻撃的な城の一室。目の前には、すらりとした体躯の茶髪の男が跪いている。優しそうにゆるく弧を描いた緑色の瞳の中に、褪せた金色の髪先がちらついた。
この男には見覚えがある。
世界樹の下で彼に会ってから、シイハの態度がおかしくなったのだ。
(シイハ……!)
ユイは叫びたくなるのをぐっとこらえて、流れ続ける映像に集中した。
男の瞳に映るその人物──シイハと思われる──は、豪奢な椅子に長い脚を組んで腰掛けていた。
一言、二言だけの短い会話を終え、一挙動で銀髪の男の鼻先に銃口を向けると、躊躇いなく引き金をひく。
「──あッ!」
映像が急激にぶれた。
最期に捉えた錆色の瞳は、一緒に旅をしていた頃よりずっと生気がなかった。
広がる血溜まりとともに、映像がゆっくりとフェードアウトしていく。
「ああ、なんてこと……」
幻覚を視せたのだとしたら趣味が悪すぎるし、ライラとはここで絶交だ。だからこそわかる。まぎれもなく、これが彼の現状なのだと。
「水鏡。特定の人物の視界を覗き見る魔術です。殺された、あの男は……」
「知ってるの?」
ライラが眉を寄せる。
「帝王──イーグル=ロウ。機械都市マグノリアを中心に、この世界のおおよそ大部分を統治している。……今となってはもう、過去形ですが」
ライラは、何も映さなくなった深皿を静かに片した。
「それにしてもなぜ、
「もともと住んでた場所、とかかなあ」
そう言えば、シイハの出自については詳しく訊いたことがなかった。というよりは、あまり憶えていないように感じた。
「──わたし、マグノリアにいく」
ぎゅっと唇を噛み、決意を固める。
あの銀髪の人は誰? どうして彼を撃ったの? どうしてマグノリアにいるの。なにをしているの。なにを見て、なにを思っているの。
どうして、もう二度と会わないと言ったの。
いかなきゃ。会いにいかなきゃ。シイハが姿を消した、本当の理由を確かめるために。
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