Ep.4 スカーレット・デュオ

テセウスの器

 ユイは静かに、年季の入ったラジオの通信を切った。最近敷かれ始めたぴかぴかの鉄道レールを横目に、まだ人の手が入る前の朽ちた遺跡をぼんやりと散策している。

 此処はユイが生まれ、十六歳まで育った場所だ。もうじき更地になって、軍事施設かなにか、そういうものが建つのだときいた。発電所だったっけ、いや、火薬庫かも。まあ、どうでもいいや。


 姉妹たちは元気かな。どこか、もっと便利の良い場所に移り住んだかな。数年前、政府の偉い人が海底にトンネルを掘ってから、帝都が目と鼻の先になった。此処よりずっと住みやすいはずだ。

 帝都にはなんでもある。人の肉の代わりになる食べ物も、病気を治す施設も薬も充実してる。どうか元気でいてほしい。いい思い出はないけれど、ユイだって人並みに家族の心配くらいはするのだ。


「家族、か」


 ぽつりと呟いて、木漏れ日の射す広場の中央に立つ。此処は、彼と初めて一緒に眠った場所だ。褪せた金の髪。錆色の目。煙草の匂い。目を閉じると、懐かしい光景が目蓋の裏に浮かんで、消えていく。


 ユイはその場に座り、膝に顔をうずめた。色々なことを、本当に色々なことを思った。今までのこと、そしてこれからのこと。


 ただ、脳裏にずっと残っているのは、彼の最後の言葉だった。


 ──もう二度と、私の前に現れるな。


「…………」


 深く溜め息を吐く。あの時、彼がどんな顔をしていたか思い出せない。どうしてそんなことを言ったのか思い出せない。

 あまりのショックに心臓を鷲掴みにされて、五感に頼った他の情報がなにひとつ入ってこなかったのだ。ただ、その冷たい声だけが、今なおユイの胸に残り続けている。


 ザッ。

 砂を蹴る音がした。


 こんな辺鄙へんぴな場所に、来訪者とは珍しい。盗賊でも野生動物でも、もう好きにしてくれればいいか。ユイは深く顔を沈めて、目を閉じた。


 そのだかだかは、ユイの目前にぼうっと立つ。こちらをじっと見おろしているのがわかる。不思議と、危害を加えようとする嫌な気配はしなかった。


 ──「ん? きみは……」


 高くもなく、低くもないその声に薄っすらと聞き覚えがあるような気がして、ユイは顔をあげた。逆光に浮かぶのは、あの頃よりも少し短くなった肩先までの銀髪に、切れ長の金色の目だ。白い肌に木漏れ日がちらちらと揺れて、ヘンなまだら模様を作っている。


「えっ、ライラ……さん?」


 ライラはすっかり背が伸びて、ユイより頭ひとつぶんも高くなっていた(当時も身長差はそのくらいだったのだが)。自分ひとりでいると、案外時の流れには鈍感なものだな。周りはこんなにも目まぐるしく変化していくのに。

 

 そんなことより、なぜこんなところにいるのだろう?

 彼が暮らしていたアズハールは暴動の後、すっかり荒れて焼けて、亡国となったはずだ。今は、都のかたちが残っているのかすらも怪しい。


「なにをしているのですか? こんな何もないところで」

「それはこっちのセリフだよ。ライラさんこそ、どうしてここにいるの?」

「べつに、通りかかっただけです」

「何もないところを?」

「…………」


 ちら、と目線が逸れる。砂地に駱駝が繋いであり、足元に生えたカラカラの固い草を食んでいた。


「それより、はもう一緒じゃないんですか」


 カマをかけるような言い方で、ライラが問う。そんなの、ひとりでいるのだからひとりに決まっている。ユイは立ち上がり、首を横に振った。


「フラれたのか、それともフッたほうかな」

「からかわないでください……」

「すみません、つい悪いクセでね。立ち話もなんですから、少し話しませんか」

「いいけど、ここで?」

「……あちらへ」


 茫漠と広がる砂地には、まだ新しい蹄の跡が点々と続いている。辿っていけば、アズハールのあった場所に到達しそうだ。

 ユイが知らないだけで、実はまだあそこには、賑やかな花の都があるのかな。少し考えたが、ここにいるよりマシな気がして、結局頷いた。


「では、お手をどうぞ」──。

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