美しき夜の歌・5
椅子に肘掛けがあってよかった。元々備えてあった丸椅子は最早荷物置きと化しているが、これひとつでは、シイハかユイのどちらかが地べたに座ることになって可哀想だ、と月華が手配してくれた。気が利くじゃないか。そう、頬杖をつけるか否かで、寝心地は大きく変わるのだ。
目を覚ますと、狭いベッドの真ん中を陣取ったユイがすやすやと寝息を立てていた。平和だ。このままずっと平和ならいい。
さほど時間が経ったようには思えないが、窓のない室内で正確な時間を計るのは難しい。シイハは音を立てないように立ちあがり、部屋のドアを開けようとノブを押した。──開かない。
「起きたんだ」
燐だ。ドア越しにギリギリ聞こえるか、聞こえないかくらいの声だった。
「今日は部屋の外に出ないで。キャプテンからの命令よ。いいね? 言っとくけど、拒否権はないわ」
「り、」
「理由は言えない。じゃあ」
言いたいことだけをつらつらと並べて、足音が遠ざかっていく。廊下はしんと静かで、人の気配はなかった。
「んな、唐突すぎでしょう……」
状況を飲み込むのに時間を要していると、「……シイハ?」と背後から起き抜けの声が聞こえた。
ユイは眠そうに目を擦り、状況を飲み込もうと思案したが何も浮かばなかったようで「なにかあった?」と首を傾げる。
「部屋の外に出るなと言われました。理由は言えないそうで」
「そっか……」
そう言われたところでユイが行動を起こすわけでもなく、ドアまで歩いてきて、ちょん、とそれを突いてみたりしている。
「致し方ありませんね」
シイハは少し離れて、
「蹴破ってください」
***
──ドォン!!
景気の良い音が響き渡った。舞い上がった木屑と埃の中に鉄の破片を見つけ、どれほど厳重にこのドアが閉じられていたのかを理解する。
成る程。千切れてバラバラになった鎖は太く、到底常人では破れそうもない。
「ほんと、誰もいないね」
ユイがキョロキョロと辺りを見回して、不思議そうに言った。その声に応えるかのように、部屋をひとつ、ふたつ跨いだ先のドアから呼びかけられる。
「ユイ? そこにいるの? い、今のは……」
アリーシャだ。暫く姿を見かけなかったが、どうやら、シイハたちと同じ状況に陥っているらしい。部屋の前には木箱や樽が積み上げられ、鎖や錠前に比べると、えらく短簡な方法でドアを塞いでいる。
「随分と扱いが違いますね、遺憾だな」
「ああ、シイハも……。よかった、二人とも無事なのですね」
「それはこちらの科白でもあります、アリーシャ。怪我は有りませんか。なにか変わったことは?」
「怪我はありません。心配してくれてありがとう。このドアが開かないこと以外は、特に何も……」
と言いつつも、少し不安げな様子だ。シイハは暫し思案して、その物理的な鍵を眺めた後、ドアの向こうの彼女に見えずとも首を横に振った。
「こちらからも開きそうにありません。私とユイで、船の中を調べてきます。すみませんが、貴女は此処で待っていてください。きっとその方が安全でしょうし」
「……わかりました。お気をつけて」
返事を聞き、「わー、そうだねえ。これは開かないねえー」と楽しそうなユイに目線でゴーの合図をする。
ユイはぴょんぴょんと跳ね、シイハとともに静かな廊下を進み始めた。何故だろう、心なしか嬉しそうである。
「機嫌がいいですね」
「うん!」ユイは元気よく答えた。
「状況がわからない以上、誰かに見つかると厄介です。もう少し警戒して、」
「だって、久しぶりにシイハとふたりで、並んで歩いてるんだもの」
「…………」
傍らの少女は、にこにこと屈託のない笑顔を浮かべている。
「……もう、好きにしなさい」
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