美しき夜の歌・3
キャプテン、と呼ばれた男は
どちらも耳に馴染みのない名前であった。皆、同じ島国の出身で、今は故郷を離れ、ほとんど陸には上がらずに船上で暮らしているのだそうだ。
「うちらは海から海へ、各国の物資を運搬して生計を立てとる。食糧なんかは報酬とべつに依頼主から支給してもらうんが普通やから、食うには困らんわ」
月華の言葉通り、それはそれは、食べきれない量の料理を豪勢に並べた丸テーブルが幾つか。椅子はなく、イグサを敷いた床に円になって座り、いつもより低い目線で卓を囲んだ。
アリーシャは地べたに座る行為に抵抗があるのか戸惑っているようで、悩んだ挙げ句、席の近くに置いてある木箱に行儀よく腰掛けた。
ラウンジらしきこの空間は充分広いが、それでも二十名ほどの屈強な男たちがひしめいている。いつかの狭い檻の中を思い出し、シイハは眉間に皺を寄せた。
「お上品に匙なんか使わんと、手でがつがつ食うてええよ。うちらの国の風習なんや」
「わあ、美味しそう!」
自分の顔ほどもある蒸しパンを手に、ユイは目を輝かせる。
「たんとお食べ。食材も血肉になったなら喜びなはるわ。いつも腐らせてしまうから」
「毎日こんなに豪勢に振る舞っても腐る量とはいったい……」
月華はにこにこと笑んでいる。シイハが切り出す前に、「さて」と急に真面目な声色になった。
「三日前。潮の流れが悪うて、うちらはあの熱砂大陸に寄港した。海の機嫌は変わりやすうて適わんわ。少し待って、さあ出立しようと錨を上げたところやったなあ」
燐が横でうんうん、と頷いている。
「遠くの方で、こっちに向かって走ってくるちっこい影が見えたんや。両手に重そうな荷物を抱えて、ダチョウみたく全速力でなあ。それが」
「それが、このユイ。抱えられた私。そして彼女だったと」
そう、と月華は人差し指を立てた。
「面白いモン見せてもろたし、何やら複雑そうやったし、うちらの船に乗っけてやることにしたんよ」
「そうでしたか、ご迷惑をおかけしました。偶然、こちらも大陸を発つ船を探していたところです」
「それならちょうどよかったわ」
食事には手をつけず、月華はくしゃりと笑った。
「長い船旅になる。ゆっくり休みい」
──月華は、先に自室へと戻っていった。
「船の中を案内するよ」燐が言う。
「お願いします」シイハが立ちあがると、ユイも自然に席を立った。
「私は部屋に戻ってますね」アリーシャは微笑み、シイハたちと同時に食堂を出てから軽く会釈をして、背を向ける。
「あの子にはなんだか冷たいね」
「彼女はコブツキなので」
燐がこぶ? と反芻したが、シイハはそれを無視した。
食堂を出てすぐ。等間隔に並ぶ裸電球が照らすのは、吹き抜けの広いホールだ。上と下にそれぞれ続く階段があり、アリーシャは下の階へと降りていった。今更ながら、大きな船だ。帝都から出港する中型客船ほどはあるだろう。
燐は自然、上の階へと足をすすめた。ひとまず拒否する理由はないので、シイハとユイもあとに続く。むっと潮風の匂いがした。
階段の先には、暗幕で覗き窓が覆われた部屋がひとつと、その反対側に簡素な合金のドアがひとつ。潮の匂いはここから漏れている。
「こっちは甲板だよ」
燐が合金の方を押して開けた。
びゅうっと風の音がして、前に垂れた自身の金髪が眼球を叩く。
案外整然とした、淡いメイプルの甲板だ。中央の大きな柱には立派な帆が張ってある。頭上には満天の星。月は見えない。
「このままいけば、明後日には帝都の港町に着きそうだ」
「どうしてわかるの?」とユイ。
「星の位置と、船の向きと速度ですよ」と言いつつ、ローブの内側のコンパスを開く。
針は、シイハの知見通りに真っ直ぐ北を指していた。
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