──夢と目醒め──

Side:Y

 泥に塗れた残飯を、痩せ細った幼い子どもが口にする。

 よく見ればそれはおれで、傍らには血のついたナイフと、裕福そうな大人の亡骸が転がっていた。

 生きる為に奪ったのだ。仕方がない。

 少しの罪悪感に苛まれたその行為は、誰にも咎められなかった。それどころか、持ち帰った金品を仲間に分け与えると喜ばれた。幼い己が足りない頭で、この国ではそれが正しいことなのだと理解するのに、そう時間は掛からなかった。


 己は顔が良かった。背も高く、成長期を迎えると身体つきも逞しくなった。おまけに口も達者で、同性にも異性にもよく好かれた。


 この国の姫に目をつけたのは、王宮の侍女と大人の仲になった頃だ。外交の為に利用され、他国に売られようとする彼女の心に付け入る隙など、幾らでもあった。


「なるほど。では、貴方も彼女を利用したのですね」


 違いない。


「やっていることは、貴方の憎む貴族と変わらないのでは?」


 動機が違う。この腐った国を建て替える為には、彼女の恋心を利用する他なかった。


「本当に?」


 ああ。


「他に方法があったのでは?」


 そうかもしれない。


「結局、貴方のやったことは、私欲の為に弱者を利用する行為では?」


 ……そうかもしれない。


「彼女が傷つくとは思わなかった?」


 …………。


「彼女はどうなってもいいと?」


 ……それは違う。

 己は本当に彼女を大切にしたいと思っている。それだけは変わらない。彼女が己を、自分を利用した最低なクソ野郎だと罵っても、いつか寝首を掻かれても。それだけは、絶対に変わらないんだ。


「──…………」


***


 薄っすらと目蓋が開く。ひどく頭が痛い。

 壁掛けの松明の薄明かりが風に揺れ、二つの影が踊っている。ひとつは自身で、ひとつは目の前にいるこの男のものだ。


「ライラ、か」

「よくご存知で」


 男は端的に答えた。

 辺りをぐるりと見回せば、凡そ自身がどのような状況であるかは把握できる。拘束はされていない。身体も自由に動く。頭上には白銀の月が煌々と照っている。

 ユーリは、鬨をあげたあの水路の中継地点まで連れ戻されていた。


「へえ、逃してくれんだ?」


 ライラが、金色の瞳をつっと細める。直接対話するのは恐らくこれが初めてだが、いつかシャマールが話していた通り、感情の読めない男だ。


「──間もなく、アズハールは崩壊する。王宮内のわずかな兵は多くが負傷し、サイラス陛下は名誉の戦死を遂げました」

「王が死んだ? 願ったり叶ったりだが、唐突だな」

「事実を述べたまでです」

「どうでもいい。これ以上の愛国語りは聞きたくないぜ。俺は反逆者だからな」


 ユーリは立ち上がり、少しふらついて、服についた埃を払った。

 こうなったらどこか遠くに逃げて、ほとぼりが冷めるまで身を隠すか。砂漠を抜けるのは骨が折れるだろうが、安全なルートは覚えている。

 ……嗚呼。耳を澄ませば、戦の音が聞こえてくる。柔らかくとも、爪痕くらいは残せただろうか。

 ピィ、と指笛を吹けば、飼い慣らした鷹がどこからともなく飛んでくる。足の筒に宛先の違う二通の書簡を巻き付け、再び空へ返した。黒い大きな大きく翼が羽ばたき、羽を舞わせて去っていく。


「アンタ、どーすんだ。これから」


 準備運動がてら身体を捻りながら、ふと訊いてみる。ライラはユーリに背を向け、静かに溜め息を吐いた。


「さて、ね。正直、この後のことは何も考えていませんでした」

「なんだそりゃ。まるで、騒ぎが起こることを初めから知ってたみてぇな言い方だな」


 ライラが意味深に黙したのを見て、ユーリはハッと息を呑む。

 思えば、姫を攫うのも、王宮内に潜り込むのも上手くいきすぎたほどだった。

 不思議ではあったのだ。警備兵の一人すら、彼女が何日も地下牢に潜伏していたことに気づかなかったのだから。

 人を惑わせ、幻覚を見せる白檀香の匂い。思い返せば、王宮中の香箱が白煙を吐いていた。


「知って……たんだな」

「機が訪れただけですよ。私も、貴方と同じく──救いたい人がいたのでね」


 月が蒼い。ライラは赤い外套を翻し、王宮とは真逆の方向へ、ゆっくりと歩き始める。


「救いたい人?」

「国の為に利用され、他国に売られようとしていた哀れな女です」


 その瞬間。

 長い銀糸を靡かせる後ろ姿が、彼女と重なって見えた。


アリーシャ姉さんを、よろしく頼みましたよ」

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