王都アズハールにて・12
「正気、ですか?」
答えを待つ間もなく、男が消えた。かと思えば、その整った鼻梁がぼやけるほどにぐっと近くなる。
「シイハッ!」
名を呼んでくれて本当に助かった。シイハは数瞬遅れてバックステップを踏み、詰められた距離を取り戻す。先ほどまで立っていた場所の白い靄が円形に切り取られ、半径一メートル以内の視界がクリアになった。
足元には大理石の床ではなく、荒れた大地が広がっていた。渇いた血と砂が混じって、歪なマーブル模様を描いている。
「ひどい悪夢だ」
ばり、ばりっとイーグルの姿にノイズがはしった。身体の表面を覆う青白い電光が拍動している。
シイハはそれに見覚えがあった。人間の身体に取り付ける、機械の肉だ。
自身の皮膚の内側も、例外なくそうなっている。
***
「ライラ殿、これは──」
シャマールが駆けつけた時には、すでに終わっていた。ライラも時を同じくして王の間に踏み込んだはずだが、すでに何らかの罠を仕掛けていたらしい。
「死んではいません。深く眠っているだけです」
謁見にしては無礼がすぎる。床に転がり、大の字で深い眠りについているのはユーリ。その横にアリーシャ──姫様が横たわる。少し離れてあの旅人も、壁に寄りかかってぐったりと頭を垂れていた。
シャマールはハッとして、鼻と口をターバンで覆った。少しずつ外気と混ざり始めた白檀香は、それでも思考をぼんやりと曇らせる。
「さて、如何様に致しますか?」
真っ先にアリーシャを抱きかかえて、ライラが言った。
「迎え討てとの御命令でしたが、もはや剣を抜く必要もない。鼠どもの
くるりと踵を返し、開いたままの大きな扉へと歩き始める。自身の手で賊を討ち取ることに興味はないのだろう。彼は忠実に、王の命令に従っただけだった。
シャマールとて、争いを好むわけではない。このまま彼らを捕らえ、数日後に死刑となるのを待っても良いだろう。
「そうだな……」
顎に手を当て、シャマールは考えを整理すべく首を振った。そしてライラが廊下に差し掛かろうとした時、ふと、違和感に気づく。
「待ってくれ、ライラ殿」
ライラが面倒臭そうに足を止め、振り返った。
「あの娘はどこにいった?」
その刹那、遠くから豪速で石を投げられたかのような強い打撃がシャマールを襲う。咄嗟に槍の柄で受け止めたが、勢い余って後方に吹き飛ばされた。
「よくわからないけど、みんなを助ける!」
「貴様……ッ」
頼もしく躍り出たラヴィの少女が、シャマールを蹴飛ばしたその脚を、再び高く上げた。その勇姿がぐにゃりと歪む。まずい、煙を吸いすぎたか。
「ああ、そういえばいらっしゃいましたね。すっかり忘れていました」
ほとんど棒読みでそう言ったあと、ライラが首を傾げる。
「香が効いていない……?」
そして直ぐに気がついた。少女の手に握られた巻き煙草が、甘ったるく燃えている。
「ほほう、これは随分と変わったものをお持ちのようだ。白檀香の幻惑を退けるほど、独特な香りがするのでしょう……」
「感心している場合ではない! 一旦退くぞ。ラヴィが相手では分が悪い」
眩暈をこらえ、シャマールが唇を噛んだ。
「おや、逃げるのですか?」
「戦略的撤退だ」
不服そうなライラを導くように、先立って扉へとUターン。指揮権はシャマールにある。納得していようがいまいが、従うしかない。
「させない!」
ズガァン! 流星が落ちた。
目前だった扉が壁ごと破壊されて大粒の瓦礫が積もり、あっという間に行く手が塞がれる。
「サーラを離して」
そう言って迫りくる赤い眼光は、もはや人のそれではなかった。
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