王都アズハールにて・11

 大理石の床。玉座へと導くように、赤いベルベットのカーペットが敷かれている。横広のゆったりとした椅子には、今は誰も座っていない。

 王の間というわりに、殺風景な部屋だ。赤々と燃える松明の照明とそれ以外には何もない。

 

「誰もいない」ユイが呟く。


 そこは不気味なほど静かで、この空間だけが外界から切り離されているような気さえした。


「そのようですね」


 先発の二人の姿もない。ただひたすらに真っ直ぐな道を、違えず追ってきたはずだったのに。シイハは辺りを見回した。四隅に置かれた香炉が蒸気のように煙を吐き出し、視界がうっすらと白んでいく。

 目を凝らすと、少し向こうに人影が見えた。何事かを争う、二人の男のようだ。次の瞬間、片方の男がもう片方の男を銃で撃った。頭蓋が割れ、脳髄が散る生々しい音が聞こえる。


「なんですか、これは……。ユイ、聞こえますか? ユイ……!」


「…………」


 返事はない。むせ返るほどの香の匂いが、嗅覚からじわじわと五感を麻痺させていく。

 人影はひとつ、またひとつと増え、狼狽えている間にすっかり取り囲まれてしまった。その光景は、どこか戦場を思わせる。争う声、銃火器や爆薬の破裂音、命の糸が切れる気配。悲鳴、慟哭、絶望──。


「ふざけるなよ……」


 わかっている、これは幻覚だ。何もかもが突拍子もなさすぎるところをみると、さらさら隠す気もないのだろう。


 助けてくれ。苦しい。痛い。

 そう言いながら、地べたを這いずる肉塊が別の人間によって踏みつけられた。何度も、何度も、息絶えるまで、何度も。

 人間らしい──とは何か。紫煙を吐きながらぼんやりと考えたことがある。生に執着することは浅ましく、同時にと言えるだろう、という結論に至った。

 その時にシイハが思い出したのは、自身が敵兵の頭を踏み砕いた場面だった。

 そう。そこにいる脚の持ち主は他でもない、シイハ自身である。


 「──あれ?」


 背後から耳障りな声が聞こえて、反射的に振り向いた。シイハは目を見開く。白いもやを掻き分けて現れたのは、よくも見知った人物だったからだ。


「シイハ? シイハじゃないか!!」


 有り得ない。だからこれも幻覚だ。

 そう理解したのに、全身が驚きと感動に震えた。


「……イーグル、」


 口をついて、かつての親友の名がぽろりとこぼれる。美しい刀を腰に携えた長身の男は、長い茶髪を揺らし、深緑の糸目を精一杯に開いてこちらを捉えた。嫌味ったらしいほどにかっちりと着こなした軍服の襟には、数々の勲章が輝いていた。

 

「嗚呼、やっぱり……。本当に良かった……、お前が無事で……あの後──革命戦争の終結後、行方不明になったときいて気が気じゃなかったんだ」


 一歩、また一歩と距離が詰まる。ほのかに香る巻き煙草の匂いも、声や表情も、話し方も──いやはや。何もかもが完璧なまでに彼を模倣している。


「……ッ」


 気づけば辺りは真っ暗で、舞台上の二人にだけスポットライトが当たっている。シイハは近づいてくるその男を拒むように、片手を突き出して制した。


「近づかないでください。その男はとっくの昔に死んだんだ。いきなり目の前に現れて、気味が悪いったらありませんよ」

「何を言ってるんだ、シイハ? まさか、戦争の後遺症か何かで、俺を忘れてしまったのか。お前とともに戦場を駆けた、このイーグル=ロウを!」


 やめろ。やめてくれ。

 偽物のくせに、そんな傷ついたような顔をしないでくれ。


「それ以上、そいつのフリをするのはやめてください。気分が悪くなる」

「シイハ……、そんな……嘘だろ」


 語尾はほとんど掠れていた。人が心の底から絶望した時のような表情だ。


「そうか。わかった」


 男がゆっくりと目を伏せる。

 次に目蓋が開いた時には、鋭く刺すような瞳孔をしていた。シイハはこの眼をよく知っている。獲物を捕らえる時の、鷹の眼のようだと思った。

 一歩、後退する。間合いに入ったら、


「忘れたというのなら、思い出させてやるまでだ!」

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