王都アズハールにて・10
ユーリが風を切って、吹き抜けの渡り廊下を走る。数メートル先には王の間への入り口がぽっかりと待ち構え、ぞろぞろと四方から現れた士官たちで守りが固められた。
彼の頭の中にある王宮内の地図は確かなようで、ときに道なき道を飛び移ったりしながら、警備の手薄なルートで上へ、上へ。王宮の最上階──王の間へと進んでいく。
それでも、運悪くすれ違ってしまった警備兵たちの首はすっぱりと胴体から離れ、数瞬遅れて鮮血を噴き出す羽目になった。断末魔、悲鳴、嗚咽。華やかな王宮は一転、地獄と化している。
「シイハ、これは旅に必要なことなの?」
ユーリの背中を共に追いながら、戸惑いの表情を見せるユイ。シイハはすぐに答えることができず、ほんの数秒口を噤んだ。
「──とにかく、攻撃された時だけ自分を守りなさい。……これは、私たちの戦いではありませんので」
「……わかった」
造形の凝った、穴が空いただけの窓から、地上の様子が見える。いつの間にやら、城壁を取り囲むように火の手があがっている。松明に赤々と燃える種火を持つのは、貧民たちだ。ぎらぎらと光る各々の目玉が、一様に王の間を睨んでいる。
「あれが民の意志だよ」
ユーリが得意げに代弁した。小さな炎の点は繋がって線となり、ここから見える限りの城壁の辺を縁取っている。
「そうですか」
反逆の意思は、この都に暮らす貧民──つまり、民のほぼ半数以上にもたらされているらしい。それはそれで、いったいどのような悪政を働いたらこうなるのだろうと興味すら湧いてくる。
ふと並走しているサーラを見遣れば、スッと素っ気なく目を逸らされた。その美しい横顔は、これから王の首を獲りにいくとは思えないほどに青ざめている。
「よそ見してないで戦ってくれよ! 彼女は非戦闘員だ!」ユーリが叫ぶ。
「己の手を汚すとは約束していません」
「そのうち、そんな悠長なことは言ってられなくなるぜ」
ユーリが、外套の内側から取り出した小瓶を人間壁の中心へと放り投げた。それは彼らの頭上でパッと光を放ち、次の瞬間、耳をつんざく爆発音が響き渡る。
職人が何夜もかけて組み上げたであろう、磨かれた石の城壁がものの数秒で崩れ落ち、少なくはない犠牲をその腹の下に飲み込んでいく。
嫌な音だな。シイハが眉間に皺を寄せた。目の前が霞んで、ぐらぐらと揺れ始める。
──えせ。
足を止めた。否、気づけば止まっていたのだ。これ以上、先に進むことができない。脳内で嫌な声が聞こえて、身体がいうことをきかない。痛いほどに握りしめた手のひらが、みしりと軋んだ。
──俺の身体を、返せ。
「シイハ」
「……ッ」
ユイに名を呼ばれ、ハッと我にかえる。
「やめよう」
彼女は真っ直ぐな赤い視線で、シイハをじっと射抜いた。
「……何を」
「もうこれに関わらなくていい」
「急にどうしたんです」
「それはこっちの科白だよ。シイハ、ずっと怖い顔してる」
そう言って、袖の内側から一本の煙草を取り出した。あの時、床に落とした貴重な一本だ。
「はい、これあげる。落ち着いて」
「……拾ってくれていたんですか。ありがとうございます。ああ、もうまったく」
手を伸ばしかけて、やめる。変わらず喉は煙に渇いているが、今はそれを嗜む余裕など無いのだ。
しかしながら、お陰で緊張は解けた。身体がふっと自由を取り戻し、泡立った心が凪ぐ。ユーリとサーラの背中は、いつの間にかもう見えなくなっていた。
「それは預かっていてください」
「いいけど、まだ先に進むの?」
「ええ。……確かに、監視の目がない今なら、そっと抜け出してもバレなさそうですがね。この混乱の中じゃ、先ほど脅されたような追っ手などこないでしょうし。けれど、ここで抜けたんじゃ冒険譚としてはB級だ」
シイハがじっと前を見据えた。
「折角ここまできたんだ。見届けて書き記そうではありませんか。この花降る都の、未来。そして、結末を」
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