王都アズハールにて・9

 口の広いかめの水面に、夜色の外套と月が映っていた。周囲を取り囲むのは無数の人影で、それが都に蔓延る鼠の群れだと気づかない者はここにいない。

 アズハール王──サイラス・アル=アズハール十二世は、円卓の中央に置かれたそれを淡々と眺めていた。武器こそ今は手元にないが、重厚な鎧がその屈強な肉体を、首の下から足先までがっちりと固めている。

 誰かの視界のように揺れる鏡のような水面は、景色からぼんやりと浮いた二人を映し出す。旅人らしき褪せた金髪の男と、赤い目をした小柄な少女。そうか、この娘が噂にきくラヴィか。


「姫が誘拐されたと聞いた時は、生きた心地がしなかったが……。蓋を開けてみれば、このような絡繰だったとは」


 そう言って頭を抱えるのはシャマールだ。隣に立つライラが、小さく頷く。


「誘拐は我々を混乱させ、捜索に兵を割かせる為の真っ赤な嘘。姫は自ら賊に協力している、と」

「馬鹿な……」

「……この垂れ眉の男がすべてを企てたのなら、なかなかの策士です。──はて。どこかで見覚えがあるような」

「名はユーリィ=アズラエル。武器商人で、我が隊の武器や防具を用立てして貰っていた。ライラ殿も、どこかでまみえたことがあるのやも知れん」


 ライラは、水面に映る旅人を注視した。周囲から浮いた様子で、ぼんやりと虚空を見つめている。


「このユーリィとやらは、彼らをわざと捕縛させ、自ら助けることで協力させた。実にまわりくどいやり方だ。ゆきずりの旅人なんぞを巻き込んで、いったいどうしたいのでしょうね。……腕っぷしが強そうにも見えません」


 ライラは胡散臭そうに肩をすくめ、興味をなくして目を伏せた。術者の気が逸れたからか、水甕の水面はぷつりと暗転して幕をおろす。


「ふん。茶番だな」


 サイラスが鼻を鳴らした。


「旅人の方はともかく、ラヴィの娘は戦力になると踏んだのか。かつてあの一族は海の向こうの大陸を支配し、攻め込む数十万もの敵兵を、たった五十人の部隊で殲滅したときいている」

「流石は歴戦の王、博識でございます」ライラが淡々と賛美を贈る。


「我が士官シャマールは、その末裔らを殲滅したのだ。自慢の槍よ。臆すことはない」

「……勿体無い御言葉」シャマールが王の前に膝をついた。


「シャマール、ライラ。お前たち二人で賊どもを迎え討て。鼠一匹たりとも逃がすでない!」


 鋼鉄に覆われた拳が、余興とばかりに甕を叩き割る。赤いベルベットのカーペットに破片が飛び、水が染みて、じんわりと輪をつくった。


「はっ!」

「御意」


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