王都アズハールにて・7

「私は、独居房に案内されるとばかり思っていたのですが」


 生暖かい風が吹き抜けた。ユーリの背後の、姿勢を低くした獣たちの目が、ギラギラと獲物シイハを狙っている。少しでも動けば一斉に襲いかかってきそうだ。戦いに於ける技術のほどはわからないが、奴らが手練ればかりだとしたら……さすがにこの人数は捌ききれない。


「ああ、それなら──」ユーリが視線をスライドさせる。


 つい今まで気づかなかったが、向かい側にも同じような水路の出入り口があった。なるほど、ここは外界と繋がった中継地点というわけか。いや、じゃなくて。

 水路をバタバタと、こちらへ向かって走る音が聞こえる。二人。歩幅は狭いが、片方は飛び石を渡るように軽快なステップで進んでいるようだ。


「まさか、」


 気づいた時には走り出していた。一触即発の懸念が過ぎ去ると同時、そこからにょっきりと現れた白い髪に心がざわつく。相手も顔を出すやいなや、同じようにハッとして叫んだ。


「シイハ!!」


 ユイは跳躍した。月を背負うほどに高く跳び、重力を纏いながら、眼下のシイハ目掛けて落下する。


「ぶ、わッ!?」


 本人も予想外だったようで、歓喜の表情が嘘のような困惑に変わった。しかし、勢いは止まらない。

 次の瞬間、地響きが波紋のように広がった。ユイの着地点はべっこりと凹み、固い石畳の地面がガラスの板のように割れている。


「私を殺す気ですか……」


 すんでの所で避けたらしく、ユイはシイハの顔の真横、両側に膝をついていた。もはやその脚力は鈍器である。


「ご、ごめんなさい!」


 慌ててシイハの上から飛び退き、何度も頭を下げた。


 ──「ヒュウ、」口笛を吹いて感動の再会に横槍を入れたのは、ユーリである。いつの間にやら、傍らには銀髪の美しい少女が立っていた。


「あ! あの人……サーラが助けてくれたの」ユイが彼女を指して補足する。

「それはそれは……連れを助けて頂き、ありがとうございます」


 上体を起こして頭を下げると、サーラは返事の代わりに優しく微笑んだ。

 だが、状況が大きく変わったわけではない。相変わらずユーリたちの背後には、やや隊列の乱れた武装集団が控えているし、彼らの目的も謎のまま。タダでは帰してくれそうにない。


「ここが独居房じゃなくて悪かったよ。でも、目的は果たせただろ?」

「くえない男だな」シイハが答える。


 ユイを売ったのも、それでいて助けたのもすべて彼の計画通りだったのだ。確実に分かるのは、これから起こるとんでもない何かに巻き込まれようとしているということ。

 面倒臭いなあ。煙草が吸いたい。シイハは奥歯を噛む。


「じゃ、改めて交渉といこうじゃないか。嘘はナシだぜ」


 商談でも持ちかけるような軽い口振りで、ユーリは言った。


「──俺たちは、王を討つ」


 黙って聞いていたサーラが、ぎゅっと胸に手を当てた。


「玉座を奪い、この国の奴隷を解放する。それが本当の目的だ。……シイハ、ユイ。お前たちが団に加われば、大きな戦力になる。協力してくれないか?」

「ノー、という選択肢は?」


 ユイは、シイハとユーリを交互に見比べてから、思い出したように身構えた。


「お前たちは脱獄犯。そこのラヴィに至っては死刑囚だ。手配書が回るのも時間の問題だぜ」

「ならば、早急に都を発ちます」

「アズハール領を徒歩で抜けるなら、少なくとも三日三晩はかかるな。広大な砂漠に身を隠す場所はないし、知ってのとおり道も悪い。半日とかからずに騎馬隊が追いついて、捕縛されるのが関の山だ」

「…………」


 ぐぬぬ、と唸るのが聞こえてきそうだった。シイハは観念して、ようやく立ち上がる。


「なさそうですね。選択肢」

「なくはないんだぜ。蛇の道ってだけで」

「……シイハ」ユイが、不安そうにシイハを見上げた。


「わかりました。協力しましょう。その代わり、事が済んだら私たちを安全に領から脱出させてください」


 心底嫌そうに、シイハが折れた。一方のユーリは満面の笑みで返す。


「ああ、構わない。目的地は?」

「世界の果て、ですよ」






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