王都アズハールにて・6

 シイハが夜までをどのように過ごしたかというと、壁に背を預けて、ひたすら時が過ぎるのを待つのみだった。お気に入りの煙草も紙も筆も、宿の部屋に置いたまま。いつも身体の一部のように背負っている大きな鞄さえ、今ここにはない。

 色んな意味で暑苦しいこの空間は不快で、おちおち眠ることも出来なかった。ああ、煙草が吸いたい。煙草の依存性というのはあながち馬鹿にできない。暫く摂取しないだけで、脳内を甘い煙の香りだけが支配するようになるからだ。

 ユーリは、周囲に飲み水や軽食を分け与えたりしてコミュニケーションを取りながら、そんなシイハの様子を横目で見てニヤついていた。その笑みが何を意味するのか、当の本人はまだ知らない。


「……さて」


 夜も更けた頃。寝静まった囚人たちを一人一人確認し、ユーリが行動開始の合図をする。


「そろそろいこう、シイハ。きっと皆、朝までぐっすりだ」

「……薬でも盛ったんです?」

「疲労が取れるハーブを分けたのさ。よく効くよ」


 そう言いながら、中身を配り終えて空になった麻袋を軽く振った。檻の内側から手を伸ばして鍵を開き、外に出る。シイハが続いた後で念の為、再び施錠しておいた。


「私が投獄されてから今の今まで、見張りの一人も巡回してこないとは。ザル過ぎやしませんか」

「ラッキーだったね」

「ああ、まあ……」シイハが気のない相槌を打つ。


 階段をのぼって城内の通路に出ると、幾らかは空気が澄んできた。それでも、所々に焚かれた香の薫りが濃いことに変わりはない。


「さっきから、この匂いはいったい……」


 薄紫の煙をもくもくと吐き出す炉を見て、シイハが怪訝な表情をした。


白檀香びゃくだんこうだね。この香の薫りは思考を遮り、人を惑わすといわれてる。あまり吸わない方がいい」


 言いながらユーリも外套に顔の半分を埋め、口元をすっぽりと覆う。


「独居房はこの先だ。いこう」


 真っ直ぐにのびた薄暗い通路の、その奥を指した。突き当たりには、上下に続く階段があるようだ。


「上がったり下がったり、忙しい構造です」

「それはそうだ」ユーリが笑う。

「……いい加減教えてくれませんか。貴方が何者で、何が目的なのか」

「さっき言ったろ。この王宮にある、お宝を盗みだしたいってさ」

「質問の答えになっていない。半分くらい」


 不意に、目の前に迫った階段の上から人の話し声が聞こえた。二人は身体を滑り込ませ、階下へとおりる。頭上で兵士たちが談笑しながら過ぎ去り、ユーリがほっと胸を撫で下ろした。


「このすぐ上は、下級兵士の居室なんだよ」


 ついっと天を指しながら、辺りの様子を窺う。他に足音がないとわかると、松明の明かりが揺れる、暗く冷たい最下層へと降り立った。なぜか奥へは進まず、石壁にあつらえられた鉄扉をギギ、と開く。中は下水道のようで、水の流れる音がした。


「実をいうと、シイハたちが投獄されたことには、ちょっとばかし責任を感じてるんだ。バザールで手に入れた〈廃墟の集落〉をシャマールに渡したの、俺だから」

「シャマール? ああ、あの翡翠の槍を持った士官ですか」宿屋での一悶着を思い出し、つい舌打ちが漏れる。いけない。

「俺とあいつは幼馴染みってやつで、けっこー付き合い長いの。あの冒険譚に書かれてたキャラバン隊には、シャマールの妹が所属してたんだ。うん、すごくリアルな描写だったよ。何年もずっと行方不明で、ようやく見つけた手がかりだ。……それでさ、何も考えずに情報を与えちまったってわけ。悪かったな」

「…………」


 シイハは口を噤んだ。まさか、ただの無礼者だと思っていた男に、そんな深い事情があろうとは。そして、こんな面倒な事態を招いたのが自身の冒険譚であることに、改めて辟易した。


「王は直ぐに、ラヴィ掃討作戦の命令と許可を出した。あいつは姫の側近として仕えるほどの、優秀な士官でもあったからね。作戦の指揮はシャマール本人が取った。帰還していたということは、きっと成功したんだろうな」

「そうですか」


 掃討作戦、と脳内で反芻して、シイハはぼんやりとユイのことを思った。王宮は、たったひとりはぐれた生き残りをも、例外なく処分するつもりなのだ。……彼女を見つけたら、すぐに発とう。無事だといいが。


 ユーリは朗々と、もはや聞いていない王宮のことなどをシイハに話しつつ、壁掛けの松明を一本拝借。足元を照らしながら鉄扉をくぐり、下水道の中を進んでいく。


「そういえば。俺が何者か、って言ってたっけ」


 ひと一人分ほどの狭い幅を、彼の背について歩いた。暗視機能を兼ね備えたシイハの眼ならば、さほど暗さは感じない。水路の少し先に現れた白い光を捉え、当たり前に出入り口があったことに安堵した。


「言いました」


 微かに聞こえる複数の人間のざわめきと、息遣いを感じ取る。透き通ったあれは、思うに青白い月の光だ。そこに近づくにつれ、人の気配は段々と大きくなる。

 そうして、つつがなく水路を抜けた先の光景を背に、ユーリは振り返った。その数、ざっと五十余名。月明かりに揺れる影は、黒い外套で素顔を隠し、重く武装した人々だ。ユーリの発現を前に、一斉に膝を折った。


「盗賊団〝カシミア〟の頭領さ」

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