王都アズハールにて・5
男のこめかみに、ぴくりと青筋が浮く。
「テメェは、自分の立場ってモンが……わかっちゃいねぇらしいなァッ!!」
怒号とともに廃材が振り上がる。ライラの頭蓋まで残り数センチといったところで、男は腕を振り上げた格好のままぴたりと静止した。
「あ……?」
そのままガクガクと脚を震わせ、その場に膝をつく。力の抜けた手から、支えを失った廃材がカランと滑り落ちた。
「おいおい、どうした。ビビっちまったのか?」
仲間の一人が男に歩み寄り、その肩を叩く──と、硬直した身体がどしゃっ、と前に倒れ込んだ。
「ヒ……ッ!」
悲鳴をあげて後退する仲間の足元に、じわじわと透明な液体が広がっていく。それは、男の穴という穴から漏れ出る血混じりの油だった。
「ライラ! やりすぎよ!」
恐れていたことが起きてしまい、アリーシャが叫ぶ。
「王族への反逆は死刑。期が早まっただけですよ」
ライラの強さとは、人が許容できる暴虐の限度を遥かに超える、暗黒の《魔術》であった。それは、人体の構造を根本から捻じ曲げたり、脂肪をあらぬ形に溶解したりと様々で、一般には想像もつかない。
恐ろしく、非道な光景に皆声もなく、辺りがしんと静まり返る。
「次は身体の内側と外側をひっくり返して、縄状に捻ります。ゆっくり、ゆっくりと苦痛を与えながらね」
「ひ、ヒィィッ!!」
一歩、また一歩とライラが近づくと、ごろつきたちも同じだけ後退する。
「やべえ! 逃げるぞ!」
誰かがそう言ったのを合図に、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。気づけばその場には、観客すらも誰ひとりとして残っていなかった。
「ああ、なんてこと……」
アリーシャがわなわなと声を震わせる。精神的な負担からか、心臓が大きく早鐘を打っていた。
「申し開きはありません。王宮に戻り次第、何なりと罰をお与えください」
ライラは跪き、深く頭を下げた。
◇◇◇
どうして今、そんなことを思い出したのか。アリーシャはハッと我にかえった。
過剰防衛の罰として、ライラには数ヶ月の謹慎を命じた。しかし、あの時の彼の判断が誤っていたとは皮肉にも言い難い。ああしなければ、自分や彼がどんな目に遭っていたか。
精神的なショックが大きく感じるのは、ライラの《魔術》の特性のせいだ。彼はただ、自分を守ってくれただけ。それだけのこと。
ううん、そんなことより。兎にも角にも、今は自らに課せられた使命を全うせねばならない。王宮の中で蝶よ花よと育てられ、目を背けていた現実──アズハールの闇を晴らすという、大きな使命。その為に、自分はここにいるのだから。
「……サーラ?」
呼びかけられて、強張っていた表情を意図的に和ませる。この少女──ユイを助けたのも計画の内で、大体の事情は把握しているつもりだ。
先日、父王は都の南東に暮らすラヴィの掃討作戦を命じた。例の冒険譚によると、彼女こそが間違いなく、はぐれたラヴィの生き残りであろう。同族が狩られたことはきっと、未だに知らない。
「なんでもないわ。いきましょう」
睡眠効果のある薬草を壁掛けの松明で燃やし、見張りがうとうとと居眠りを始めたのを確認。煙を吸わないように鼻と口を覆い、一方通行の狭い通路を、足音を殺して一気に駆け抜ける。
とはいえ、兵士の真横を通過するのは、さすがに肝が冷えた。もし万が一にでも見つかってしまえば、こんな暗い場所に数日間も潜伏していた意味がなくなるからだ。
「あと少しよ!」
「うん」
壁の横穴から身を捩じ込み、地下水路へと降り立つ。あらかじめ空けておいた小さな細い穴だが、小柄な少女たちならば通り抜けるのは容易かった。
足元を、汚物を喰って太った鼠が走る。思わず悲鳴を上げそうになったが、なんとか喉元で堪えた。一方のユイはぴょんぴょんと器用に跳ねて、軽快な動きで着いてくる。
暫く走った先に、白い光が見えた。出口だ。ここを抜けた先で、相方と落ち合うことになっている。
暗闇から逃げるように光へ手を伸ばし、二人はそこから飛び出した。
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