王都アズハールにて・4
◇◇◇
寂れた居住区を、少年と少女が並んで歩いていた。灰色の街並みはどんよりと暗く、雨上がりのような湿気がたちのぼっている。
ここは、王都アズハールの南端にひっそりと佇む貧民区だ。ほとんど行政の介入しない、ゴミ溜めのような無法地帯。まばらにすれ違う人々は一様に項垂れ、その目には一寸の光も宿していない。
「貴女自ら、このような場所に出向くことはなかったのでは? ──アリーシャ姫」
少年が紅蓮の衣を翻し、傍らの少女に問うた。とはいえ、つま先から頭までをすっぽりと黒い外套で包んでいるせいで、その表情を窺い知ることはできない。
「いいえ、ライラ。私は曇りなきこの目で、都のすべてを見ておきたいの」彼女は凛と答えた。
「……御意」
「あれは、何?」
ふと泳がせた視線の先に、馬車の荷台に乗せられた若者たちを見る。痩せた膝を抱えたその手足は、頑丈な鎖で繋がれていた。
「奴隷です。これから市場にいって、競売にかけられます」
アリーシャが息を呑んだ。
「人が人を売り買いするだなんて……王は──お父様は、これを見過ごしているというの……」
「あの奴隷たちの買い手は誰だと思いますか? 王宮に多額の税金を納めている、貴族たちです」
事実だけを淡々と述べ、ライラは釘付けになっている彼女の手を引く。あまり見ていると、逆に目をつけられてしまう。ここで目立ってしまうのはまずいのだ。
逃げるように奥地へ足をすすめると、先ほどの寂しい景色から一転、広場には賑やかな人集りができていた。くしゃくしゃになった一枚の新聞を手から手へ、皆で回し読みしているようである。
「昨日被害に遭ったのはラウル邸だとよ!」
「ラウルって、あの宝石商の?」
「まるまる肥えた醜い豚め! ざまあみろ!」
「やっぱり、〝カシミア〟は私たちの味方よ。ヒーローだわ!」
人々は、口々に歓喜と興奮が混ざった声をあげ、心を躍らせていた。
「〝カシミア〟……」ライラが、彼らの言葉を反芻する。
「私もその名前には聞き覚えがあるわ。確か、貴族ばかりを狙った盗賊団……
「悪徳な貴族から金品を盗んで貧民に分け与えている、義賊だときいております。なるほど、ここではヒーローなのですね」
アリーシャは暫し、その様子を黙って見詰めていた。喜びを分かち合った人々が散開し始めた頃、ようやく気が済んだのか踵を返す。
「視察はここまでにいたしましょう。そろそろ、見張りにかけた催眠術が解けます」
ライラがすかさずそう促すと、彼女は「ええ」と頷いた。
「わかったわ。ありがとう、ライラ。私の我儘に付き合ってくれて」
手を組み、祈るように頭を下げる。
「従者に頭を下げるのはおやめください」
ライラが決まり悪そうに彼女を嗜めた時、複数の男たちがザッ……と二人の行く手を阻んだ。反射的にアリーシャを背後に庇い、彼らの目論見通り(かどうかは知らないが)に立ち止まる。
「ライラ……」
「ご心配なく」
不安そうに名を呼ばれ、即答する。ライラは身体も小さく、武器のひとつも持ってはいないが、その強さはもっと別のところにあった。もとより、彼女はライラの強さを心配しているのではない。
「貴族サマが、こんなゴミ溜めに何の用だぁ?」
体格のいい髭面の男が一歩前に出て、真っ先に口を開いた。薄汚れた手に拾得したばかりの廃材を持ち、地面にコツコツと当てて硬度を確かめているようだ。さすがは鉄製の棒切れ。小気味のいい音がする。
背後に控えたごろつきたちも、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべている。ぎらついた何対もの目玉が、舐めるようにアリーシャを見ていた。
「ごろつきの威勢がいいということは、これでも秩序が保たれている証拠です」ライラがアリーシャに向けて補足する。
帰路についていた周囲の人々も足を止め、まるで見世物でもあるかのように、こちらを見てざわめき始めた。
「き、貴族だって?」
「確かに、見慣れない奴らだな。それにあの服……一級品の絹じゃねえか」
「あいつら、さっきの話聞いてたよな? 衛兵に告げ口でもするつもりかよ」
「……やっちまえ」「そうだ!」「殺せばいい!」「ここから出すな!」「やれ!」「殺せ!」
戸惑いの声はやがて、男たちへの下卑た声援へと変わる。
「……不敬な」
ライラが誰にも聞こえないように呟き、制止するように手のひらを翳した。
「死にたくなければ道を開けなさい」
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