――幕間――

休息

 地平線に夕陽が沈んでいく。赤く焼ける大地は、数時間前に目の粗い砂礫から、滑らかな砂漠へと姿を変えていた。


「旅は予想外の連続です。こうして、引き返すこともまた然り」


 シイハは破損した両腕を不自由そうに動かして、背負っていたリュックをドスンとおろす。そのまま適当な岩に腰掛けると、ユイもそれにならって座った。風が孕んだ砂にまみれて、汚れた襤褸がさらに茶色くなっている。

 

「シイハ。わたしがやる」


 彼が火を起こそうとしていることを悟り、ユイが再び立ち上がる。


「ああ、助かります。燃料は内側のポケットに」

「あの石ころみたいなやつね。わかった」


 口頭で軽く教えただけで、ユイは簡単に火を起こしてみせた。風よけの砂を円形に盛り、中央に固形燃料。その周りに枯葉や枝を、隙間を空けながら組んでいく。着火具は愛用している巻き煙草用のライターで難はなく、昔よりも随分と便利になった。


 そうして焚き火が燃え始めた頃には、とっぷりと夜の帳がおりていた。つと見上げた夜空には、満天の星が瞬いている。


 シイハは外套の内側に収納した工具類を口で挟んで引っ張り出し、小振りなスパナを選別すると、これまた不自由そうに腕の修理をはじめた。


「……シイハ、ごめんなさい。それは代わってあげられない」

「気にひないでくだはい。アズハールの都に、腕のいい技師がいるといいのでふが」


 目線だけをユイに寄越した後、シイハは口からスパナを離して左手に持ち替え、ぎこちなく肩口の緩んだネジを締めていく。右腕の肘から先のパーツは、繋がっているだけでも奇跡といえるほどに砕けており、この場ですべてを修理することは不可能であろうと悟った。


「ああ、ユイ。申し訳ないのですが」と目線でリュックを指し、「煙草、取ってもらえます?」

「た……?」

「昨晩、焚き火の前で吸っていた巻き煙草です。アレがないと禁断症状が……ってのは冗談ですが」

「んっと、」


 ユイは昨晩の記憶を引っ張り出し、シイハが口にしていた小さな筒を思い出した。呼吸に合わせて白い煙が出る、不思議な紙の筒だ。燃料をさがした時と同じようにリュックを漁ると、四角い缶に詰まったそれはすぐに見つかる。


「これ?」

「そうそう、それです。どうも」


 両腕が不自由なシイハに、ユイは缶から取り出した煙草をくわえさせた。焚き火に照らされた長いまつげが揺れて、こちらを向く。至近距離、どきりと目が合う。


「あっ……あの、火を」


 ユイがライターを探そうと後退あとずさるが先か、シイハは焚き火から分離した微かな種火で煙草の先を焼いた。


「必要なさそう、ね」


 たちのぼっていく細い煙を見て、ユイは手にしたライターを仕舞い、ようやく腰を落ち着ける。


「すみませんねぇ。腕が思ったように使えないってのは、存外不自由なもんです。何より、早く貴女の身なりを整えてあげたいのですが。夜明けとともに出発したら、昼には都に着くでしょうから……それまで辛抱してくださいね」


 動きを確認するように手を伸ばしたり縮めたりしながら、シイハが言った。咥えていた煙草は、いつの間にか指先に移動している。


「痛くないの?」

「痛覚はありません」

「そう」

「気になります?」

「機械の腕なんて、初めて見たから」

「ああ、そうですよねえ」


 シイハは自嘲気味に笑いつつ、天を仰いだ。


「でも、正直言うとあまり覚えていないんです。過去にぼんやりと記憶はあるものの、はっきりとしない。もしかすると、夢だったのかも知れません」

「どんな夢?」

「……あれは、そう、恐らく八十年ほど前。戦場でした。私は大勢の仲間と戦火の真っ只中にいて、敵の攻撃を受けました。白く光る熱線を浴びて、四肢が吹き飛び、または焼けて、身体のほとんどを失いました」


 シイハは何度か目を瞬かせ、ぼやけた過去の記憶に想いを馳せる。月のない夜に、宝石のように散りばめられた星だけが白く輝いていた。


「腕だけじゃなく、脚も」コン、と軽く叩いてみせる。固い音がした。「この眼球も──」指で目に触れようとして、やめる。


「あ、これやると嫌がられるんでやめときます。……ま、そんなこんなで、あちらこちら機械になっちまったわけですよ。今、こうして生きているのが不思議なくらいで」

「シイハは、生きることを諦めなかったのね」

「……悪あがき」


 燃え尽きた煙草の灰が、砂の上にほろりと落ちた。


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