どこかの神様の祈り

 『私』が眼を覚ました時、青いビー玉のようなは私の目の前に静かに浮いていました。


 暗い暗い宙にひっそりと、もう一人の小さな星のお友達を連れて大きな宙を旅していました。


 少し遠くの黄金色の星に照らされて、暗い暗い宙の中を、小さな瞬きを繰り返しながら進んでいきます。


 それは私にとってはあまりに小さく些細な宝石のようでした。


 触れれば壊してしまいます。


 息を吹けば揺らいでしまいます。


 一度、爪先で少し触っただけで何やら大きな波が起こって、青い星は真っ白になってしまいました。随分と慌てたのを覚えています。あれ以来、直接触ることはしていません。


 随分と時間が経って、星はどうにか青い星に戻りました。


 私はその星をいつまでもいつまでも、眺めていました。


 時々、違う星の方へと旅をしたりしましたが、結局しばらくすると元の青い星の所へと帰りました。


 何故でしょう、初めて見た星だったからでしょうか。


 私はずーっとずーっと、独りでその星を眺めていました。


 星はよくよく観察すると、表面で何やら小さなものが動いています。


 耳を澄ませてじーっと聞いていると、それが動物というものなのだと私は知ることが出来ました。


 青いところは『海』というそうです。


 茶色いところは『陸』。


 緑色は『森』。


 『ソラ』というものだけは、内側からだけ見えるものだそうで、私には見えないのでそれが少し残念です。


 『星』は、私と彼らにも同じものが見えているようで、それが少しだけ嬉しく想います。


 この星で一番お喋りなのは『人』です。


 二番目は『鳥』でしょうか。


 『イルカ』と『クジラ』のおしゃべりも私は好きです。優しい言葉と、明け透けな言葉がすごく楽しいのです。


 『虫』のおしゃべりも大好きです。『スキスキスキ』『さわってさわって』『とぼうとぼう』。単純で、軽快で、楽しくて、なんだか私も一緒に踊りたくなってしまいます。


 声を出さない生き物たちも、眼には見えない生き物たちも、なかなか楽しくてとてもとても素敵です。


 そうやって、何億年もの訓練の甲斐あって、私はすっかりいろんな生き物の姿を見て、声が聞こえるようになりました。まあ、それくらいしかすることがなかったので、出来て当たり前といえばそれまでですが。


 というわけで、私はこの星が大好きです。残念ながら、彼らと一緒にお喋りしたり、踊ったりすることはできませんが。


 しかし彼らから私の姿が見えていないのは、大変惜しいところです。もし見えていたら、必死に手話や文字の勉強をするのですが。


 さてさて、ところでこの星で一番、お喋りなのは『人』だと言いましたが、一番悩むのも、また『人』です。


 他の生き物がぱっと決めてしまうことも、彼らはずっと悩んでいます。


 どうやって生きればいいんだろう。


 本当にこれでいいのかな。


 私は—―僕は―――俺は―――儂は―――生きていていいんだろうか。


 今の人生でいいんだろうか。


 そんなことを彼らはずっと、ずっとずっと悩んでいます。


 時にはそれで自分の命まで落としてしまうことがあります。


 悲しそうな顔をして。


 辛そうな声を出して。


 苦しそうにその命を絶っていきます。


 それを見ると、なんだか私まで悲しくなって涙を零すけれど、私には彼らを救うことはできません。


 だって爪先で触れるだけで、この星は簡単に壊れてしまいます。


 できることはありません。


 救えるものはありません。


 時々、そんな悲しい声を聴きながら、たまにそれが嫌になって逃げだしながら。


 それでも私は、ずっとずっとこの星と一緒に暗い宙の中を旅してきました。


 いつしか、彼らの真似をして、私も祈るようになりました。


 救うことはできません。


 手を差し伸べることもできません。


 触れ合うことも、喋ることも、一緒に踊ることも、それどころか眼を合わせることさえできません。


 だから。


 だから、せめて。


 どうか。


 どうか―――幸せに生きてと。


 ただただ願うことしか出来ません。


 この言葉はこの想いはきっとあなたたちの誰に届くこともないのかもしれません。


 きっとあなたたちが信じる『神様』と私はきっと別ものだから。


 でも、それでも―――たった一人でも、救われる人がいる様にと。


 私はずっとあなたたちのために祈っています。



 ねえ、そこの迷えるあなた。



 『私、生きていていいのかな』



 今日でその迷いは何度目でしょう。



 『こんな私でいいのかな』



 『昔の私はもっとすごかった気がするのに』



 『なんにだってなれる気がしてたのに』



 『なのに大人になったら、まるで何にもなれてないじゃん』



 『こんな私じゃ、もうだめだよ』



 『こんな私じゃもう生きていけないよ』



 『ねえ、救ってよ―――神様』



 ―――私の声は届きません。



 どれだけ言葉を繋いでも、あなたたちには届きません。一人にだって届いてはくれません。



 声をどれだけあげても意味はないのです。



 救いの手はどう頑張ったって差し出すことはできないのです。



 それに嫌気がさしたことは、何億回、何兆回だって足りません。



 零した涙は誰に知られることもなく、暗い宙に消えていきます。



 祈ることすらもう嫌だと、もう全部諦めて。



 こんな星、握りつぶしてしまえばと、そう想ったことは何京回だって足りません。



 でも、でもね。



 私は—――諦めたくはありません。



 あなたたちの幸せを。



 あなたたちの命を。




 諦めたくなんてないのです。

 



 だから―――、だから―――、どうか。




 諦めないで、と。




 そう私は祈っているのです。





 どこかの―――あなたへ。




















 ※



 
















 『ねえ、そこのあなた』



 『生きていくことは不安ですか?』



 『悩んでばかりで辛いですか?』



 『そうですか、そうですよね。知っていますよ、だって私はずっとずっとあなたのことを見てきたんだから』



 『生まれてきてからずっと、眼を離したことは一度だってありません』



 『あ……すいません。3018日前に、一度だけとなりの赤い星に行って、眼を逸らしました。で、でも、それ以外は、ずっとずっと見てきました。見てきましたとも!!』



 『……おほん。だから、私はあなたのことをずっとずっと知っています。寝ているときも、遊んでいるときも、笑っているときも、泣いているときも。ずっとずっと見てきました』



 『今日で、あなたが生まれて六千と七百二十一日が経ちました』



 『あなたの迷いを私は知っています。あなたが傷ついた出来事を私は全部知っています。あなたが独りで泣いた夜の数だって私は知っているんですから』



 『あなたがこれまで何を捨てて歩いてきたのか』



 『あなたがこれまで何を諦めて生きてきたのか』



 『あなたが生きていく中でずっとずっと、切って捨ててなくしてきた、あなたの可能性を私は全部見てきました。一つだって忘れずに覚えています』



 『小説家にはなれませんでしたね』



 『写真家も今のままでは難しいでしょうか』



 『陸上は中学で足を怪我したっきりでしたか』



 『漫画は……今日で辞めてしまうのですか?』



 『心が折れて、崩れて、たくさんものを切り捨てて、諦めてきたのですよね』



 『それはきっと辛いことなのでしょう』



 『生き物はみんな、生きていくうえで可能性をどんどん捨てていきます』



 『なんにでもなれた誰かが、枝を一つ一つ切り落として、道の一本一本を塗りつぶして生きていきます』



 『どうやら、それが生きると言うことみたいです。たくさんのものを切り捨てて、たくさんの諦めを胸に抱いて、気付いたら子どもの頃より、成れるものは、選べる道はずっとずっと少なくなって―――そうやってみんな生きていきます』



 『そうしたら、やがて痛みばかりが、迷いばかりが増えたような気がして、あなたたちは立ち止まってしまうのでしょうね』



 『ごめんなさい。私はあなたを救ってあげることができません』



 『この手ではあなたの悩みを掬いとってあげることができません』



 『ただね、それでも、私はあなたを―――諦めてあげられません』



 『だってあなたは、今日までたくさんのことをしてきたではありませんか』



 『頭の中でたくさんの妄想をして、たくさんの物語を考えてきたではありませんか』



 『わくわくしながら、ドキドキしながら、いろんなことを考えて。時々、妹ちゃんに見せながら、ずっとずっと生きてきたではありません』



 『たくさんの道から、あなたの道を選び取って』



 『今日という日まで、ちゃんとちゃんと生き抜いてきたではありませんか』



 『捨ててきたたくさんの可能性のその上に、選ばれなかったたくさんのもしものその先に、今日のあなたは確かに歩いてきたんじゃありませんか』



 『捨てると言うことは、きっと代わりに何かを選ぶことなのでしょう』



 『だから選ぶと言うことは、きっと代わりに何かを捨てることなのでしょうね』



 『たとえ、それが一時の諦めだったとしても。たとえそれにあなたが「過ち」という名前を付けたとしても』



 『それでもあなたは、確かに、今日、この日まで、何かを選び取って生き残り続けてきたじゃありませんか』



 『今のあなたはそれを無駄だったって、意味なんてなかったってそう言うのかもしれませんけれど』



 『それでも私は想うんです』



 『たくさんの折れた枝の先に、沢山の潰えた道の先に』



 『選び取ったたった一つの今この時に』



 『今、あなたは、立って歩いて居るのでしょう』



 『今日、あなたは確かに生きているのでしょう』



 『ちゃんとここまで生きて、来れたのでしょう』



 『ねえ、お願い』



 『だからどうか諦めないで』



 『だからどうか前を向いて』



 『何度立ち止まったって構いません』



 『何度振り返ったって構いません』



 『生きると言うことが、何かを捨て続けるということだというのなら』



 『生きると言うことはきっと、選ぶと言うことはきっと』



 『たくさんの可能性を、たくさんのもしもを捨てて』



 『それでもなお』



 『たくさんの折れた枝の先に、たった一本の幹を伸ばしていくということなのでしょう』



 『あなたという命を終わりの時まで、一本の木のようにどこまでも伸ばしていくということなのでしょう』 



 『ねえ、お願い』



 『だからどうか恥じないで』



 『だからどうか嘆かないで』



 『誰よりも何よりも、あなたが選んだ、あなたが伸ばしたたった一つのあなたの枝を、あなたの選んだ今のあなたを』



 『どうか、どうか愛していて』



 『どうか、どうか諦めないで』



 『そう―――私はずっと―――、ずっと―――、祈っています』



 『いつかの終わりの時まで、どうかあなたが前を向いて生きていくことを』



 『毎日、毎日、いつまでだって祈っていますから―――』



 『そうして、あなたが諦めないでいてくるれるのなら』



 『私はいつまでだって、あなたの幸せを願っているから―――』



 『だからどうか幸せに』



 『そしていつか旅の終わりの時』



 『あなたが、その命の枝に付ける名前を』





 『私はずっと楽しみにしていますから』





 『どうかあなたの人生が幸せでありますように』





 『小さな迷えるどこかのあなたへ』























 ※




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る