九〇番目 001
異変は唐突にやってきた。
やっとの思いで山を下り、あとは市街地に続く起伏の少ない道を歩くのみといった段階になって――突然、違和感。
「……あれ?」
私の前を行くモモくん……彼の小さな黒い背中が、いきなり遠くなったのだ。
さながら狐にでもつままれたような感覚である。数秒前まではハッキリと見えていた後ろ背が、今や米粒程の大きさに見えた。
「……?」
もしかして、立ったまま気絶でもしてしまったのだろうか……モモくんは立ち止まった私に気づかず、スタスタと歩いて行ってしまったとか?
まあ、考えていても仕方がない。幸い完全に置いていかれたわけでもないし、駆け足をして彼に追いつけば何の問題も――
「これはこれは、思わぬ獲物が釣れましたね」
背筋を凍らす殺気。
何者かに後ろから話しかけられた私は、思わず小さく悲鳴を漏らした。
「しっ。静かに、声を出さないでください……もし声を出せば、わかりますね?」
左肩に手を置かれ、耳元で怪しく囁かれる。氷のように冷たい声が、全身をゾクリと舐め回してくる。
「……」
「良い子ですね。ゆっくり後ろに下がりなさい」
私は謎の男に言われるがまま、後ろ向きに歩くしかなかった。例え指示に逆らっても死ぬことはないけれど、異変に気付いたモモくんに危険が及ぶことは想像に難くない。
だったら、ここは大人しく命令に従う方がいいはずだ。
大丈夫……何があっても、私は死なない。
「そうです、そのままゆっくり――」
「何してやがる、クオン」
謎の男のさらに後方から――声。
少女のように可憐で、しかし真っすぐ芯の通ったその声色は……とても聞き馴染のあるものだった。
振り返るまでもない、モモくんである。
この地点からはるか先を歩いていたはずの彼が、一瞬のうちに背後に回り込んでいたのだ。
「ちぃ!」
男は肩に置いていた手をドンと押し出し、私を突き放した。体幹が皆無なのでみっともなくその場に倒れこんでしまったが――これでようやく、謎の人物の方へ振り向くことができる。
蒼い長髪を後ろで一つに結び、線の細さを強調するタイトな服を身に纏い、切れ長の目でモモくんを睨みつける男は――とても不機嫌そうに唇を歪めた。
「いつもいつも私の邪魔をしてくれますねぇ、モモ」
「お前が勝手に突っかかってきてるだけだろうが、クオン」
モモくんは、長身の男のことをクオンと呼んだ。その名前はどこかの場面で聞いたことがある気がするが……そんなことは今考えなくていい。
重要なのは、あの人が敵だということ。
私に話しかけてきた時の殺気――あれは、表の世界で生きる人間が有していいものでは到底なかった。
ここ数日、イチさんたちと過ごしていた私は本能で理解する。
あの人も、殺し屋だということを。
「お前、こいつの存在をどこで知った……それに、俺がいる前で攫おうってのは、調子に乗り過ぎなんじゃねえのか?」
「たまたまですよ。今日も今日とてあなた方ダウナーの動向を探っていたら、偶然そちらのご令嬢を見かけましてね……もちろん、あなたがいる以上手は出したくなかったのですが、生憎時間がなかったものでして」
「時間だと?」
「今回のクライアントはお急ぎのようでね。そこの不死身のご令嬢を、何としても攫わなければならないのですよ」
まただ。
あのクオンという人も、私のことを不死身だと知っている……と言うことは、彼のクライアントはお父さんではなく、その先にいる元凶。
「……お前を雇ったのは、『変革の魔法使い』って野郎か?」
同じく察しがついたモモくんは、ストレートに疑問をぶつけた。
対して、クオンさんは一瞬目を丸くし、大きな溜息を吐く。
「ヤジの馬鹿が教えましたか。全く、あいつにも困ったものです」
「お前らアッパーどもを雇うくらいだ、相当こっち側に染まってるんだろうな、その魔法使いはよ」
「……おや、部外者の前で自らナンバーズ計画に触れるとは、あなたらしくもない」
言いながら、彼はこちらを一瞥してきた。その口ぶりからして、やはりあの研究の関係者なのだろう。
「そいつにはナンバーズ計画の大枠は話してある。お前みたいな連中から守る上で、知っといてもらった方がいいからな――なあ、九〇番目のクオンさんよ」
九〇番目。
彼もみんなと同じ――被験者の子どもの一人。
「……相変わらず、人殺しのくせに人助けが好きな人だ。あのダウナーのクズどもを匿うのと同じように、そこのご令嬢も助けるというんですか」
「ああ?」
モモくんはドスの利いた声を出す。
アッパーの中にはダウナーの存在を許さない奴がいると、彼は言っていた……もしかしたら、クオンさんもそうなのかもしれない。
「ま、正面切ってあなたとやり合って勝てるとは思っていませんが、おめおめと引くわけにもいかないのでね。迅速に、仕事をさせてもらいますよ」
言って。
クオンさんは――スキルを発動する。
「【
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