殺し屋イチ



 途切れ途切れになった意識が勝手に繋がり、胃の内容物を全て押し出したかのような吐き気に襲われながら、私は目覚めた。


 と言っても、ここは天国ではない。

 もちろん地獄なわけもない。


 私が地獄に落ちるわけないという謎の自信はまあ置いておいて……ここは、普通に地面の上だった。


 崖の下とも言える。



「……やっぱりそうよね」



 当たり前に起きるべくして起こった現象に落胆する程、馬鹿げたことはないだろう……夜が明ければ朝がくるし、ご飯を食べればお腹が膨れる――そんなわかりきったことに一々心を動かしていては、人間は生きてはいけない。


 余計なことは考えないのが吉である。

 だから私も、考えないようにしよう。


 


 そんなのは、当たり前のことだった。





「ねえ君、それ、どういう理屈なの?」



 自分の血で真っ赤に染まってしまったドレスの土埃を払いながら、さて、ここからどうしようと思案していると――不意に。


 背後から、声がした。



「あ、驚かせちゃったかな、ごめんごめん……俺は別に、怪しい者じゃないんだ。ただ、君が突然飛び降りたから、急いで追ってきただけだよ」



 私の背中に向けて語り掛けてくる声は、恐らく男性のもの……ただ、芯がありつつも透き通った川のせせらぎのような声色は、どことなく女性らしさも感じさせた。


 でも。


 私を気遣うその声に――全くと言っていい程、優しさがない。


 肌で感じる、本能でわかる――振り返った先にいるのが、善良な一般市民ではないと、私の全身が告げている。



「顔、良く見せてよ。じゃないと、……間違えたら、また百番目モモに怒られちゃう」



 モモ?


 それは文脈的に人名なのだろうけど、謎の男の言い方の所為なのか、なぜか酷く冷たい物体の呼称のように聞こえた。



「振り返ってくれないみたいだから、俺がそっちにいくね」



 言って。


 私の後方にいたはずの彼は、綺麗な弧を描きながら空中を舞い――私の目の前に着地した。


 薄明りに照らされ、男の姿が浮かび上がる。


 全身を真っ白な服に身を包み、蛇のように長い手足を携え、星明りを反射する見事な銀髪と、同じく銀色をした瞳を輝かせ、私を見下ろす長身の身体は、触れれば折れてしまいそうな線の細さで、完璧なバランスで配置された顔のパーツが神秘的な、透き通るガラス細工のような肌を煌めかせる――そんな男の姿が。



「……うん、君で間違ってなかった」



 彼はその整った顔面を私に近づけ、うんうんと無邪気に頷く……私で間違ってなかったということは、私が目当ての人物だったということだろう。


 一体、この人は私に何を――




「俺の名前はイチ。君を殺すよ、レイ・スカーレット」




 彼の左手が首にかかり。


 視界が――暗転する。


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