7人目 なかじくん
2018年、なかじはとりあえずspoonをダウンロードした。きっかけは覚えてない。多分アプリをダウンロードするとポイントがたまるアプリのポイントのためだった気がする。それからSPOONを触ることは無かった。
それから2年が経ち、spoonが拗ね始めていた頃、2020年の2月頃になかじはspoonを初めた。コロナで時間が在宅時間が増え、丁度転職予定の時期だったので、時間が出来たのだ。
YouTubeや別の媒体も考えたが、映像系でやるほど前のめりな気持ちなかったが当時の「携帯ひとつで」というキャッチフレーズに惹かれてspoonを初めた。
名前はなかじに決めた。それは安直に本名の中島から来てる。
最初はなかじ。それが今のみんなの知るなかじくんに変わったのは、2020夏くらいの話である。何があったかといえば、CHOICEを目指しはじめた頃に決意と区切りとして、更に親しみを持ってほしいと言う理由から彼はなかじくんに改名した。その日からなかじくんは生まれた。
初配信はカラオケBOXで行われた。彼は人の配信を聞く期間があったわけではなく、最初から配信者になるためにSPOONをダウンロードしたので、初配信時にSPOONのルール?や仕組みをリスナーに教わった。記憶によれば来てくれたリスナーは3人。その中でSPOONのファンにランキングが付くシステムなどをを聞き、ファンに順番なんてつけるなよ気持ちわりぃ運営だなぁ。みたいなことを思ったままにいっていたそうだ。
ハートコメントは【神話で返すね】
配信当初から。人と被ることを嫌った彼は、絶対に被らないハーコメを作りたかった。神の話や逸話は被ることは無いということからこのハートコメントにした。実は言葉の意味としては被らないという理由以外に深い意味や理由は無い。
なかじくんの配信者としての流れが変わったのはCHOICEを目指す前後で変わると言うが、その前になかじくんがどう言った人物かを深く掘り下げていきたいと思う。
彼の昔のSPOONのCAST、「自分語り」にもあるが、生まれも育ちも福島県。東日本大震災で被災して避難した。震災当初は、すぐに帰れると思っていたし、あんなに大ごとになるとも思っていなかった。すぐに帰れると思っていたので、実家から持ち出したのは、小物と財布くらいだった。
避難生活をしている中で1ヶ月くらい体育館で生活した。15歳の彼は多感な時期に、知らない集団(世帯)と、ある日突然生活しなければならないと言う稀有な経験をする。
体もある程度大人に近い年頃だったので、断水による水汲みや力仕事では、いわゆる動ける大人の組に振り分けられた。その頃から人間が嫌いになって言った。特に子供が嫌いになった。なぜ自分は仕事をしているのに、あいつらは、泣いて何もしないで、ただこの暗い避難所の雰囲気を享受しているだけなのだろうと。そしてそんな生活が落ち着いてくると、友人や知り合いの安否が聞こえてこないことに気付かされる。アイツらは死んでしまったのかと、考えてしまい。この世界で1番自分が不幸になっているように思えて、鬱蒼としている時に夜泣きをする2件隣の世帯(段ボールで作られた仕切り)の赤ん坊にも、心をすり減らし、また子供が嫌いになっていった。
そんなある日、子供を対象に。おもちゃ屋さんから、支援物資として玩具がたくさん届いた。
おもちゃを前にキラキラした目や顔をしている子供たち、当時15歳のなかじくんには言葉で具体的には言い表せなかったが、確実に場の空気が変わったことを感じた。
印象に残っているのは当時、はやっていた仮面ライダーダブルのベルトや、成り切りセット。「一緒に遊ぼうよ」と、ごっこ遊びに誘われた。荒んでいたなかじくんや他の大人や周りの人の空気が少しだけ優しく変わるのを感じた。「あぁ、子供が笑うことって、人が笑顔になることって凄えなぁ」そう思った。
その時は気づけなかったが、子供の笑顔(人の笑顔)には力がある。その事に後に気づくきっかけとなった出来事である。
ほんの少しだけその日に安寧があったとしても、それはその日のことである。思春期のなかじくんは、それからも色々なことで苦しむことになる。体育館生活から、ひと月ほどして、彼は父親のつてで一家で東京の一軒家に住むことができた。そして学生生活が再開された。
【福島から来た転校生】この言葉は、東京の学生にはさぞ刺激的なエンターテインメントの様に映っただろう。
彼らは転校生に起きていることなど、テレビの情報でしか知らず、無遠慮に「地震どうだった?、被爆したの?」など、無神経に聞いてきたと言う。対岸の火事とはよく言ったもので、自分達に関係無い不幸な人間は、彼らの暇つぶし。まるでテレビのSHOWを見ているようなものだったのだろう。彼の親しい人達が死に、悲しんだことや喪失感のことなど知らずに。
それから彼は荒れた。配信でたまに、若い時はヤンチャしていたと表現することがあるが、具体的に言うと、周りの人に手が出るようになってしまう。親不孝にもなる。家に帰らないし喧嘩ばかりする。むしゃくしゃして学校のガラスを割るなど。荒れに荒れた。
新しい人間関係、友達を作れば?と言う人もいたが出来なかった。想像してほしい。ある日突然それまで仲の良かった人達が、
パンっと手を叩くみたいに簡単に、126人彼の前から消えてしまうことを。
それならいっそ、大切な人なんて作らなければ楽なのに。そう思うことにして教室の隅にいるようになった、なかじくん。いや中島少年が出来上がった。
それからすぐに父の仕事の都合で転校して千葉の学校に移った。そのころの彼といえば、もうそろそろいいや、死んじゃおうと思うようになっていて、自分の周りからも人が離れていく。周りに人を寄せ付けない時期だった。しかしその中島少年に友人が出来た。最初は「なんかこいつ後ろついてくるなぁ」位のものだったが、いつしかそいつが大切になっていった。そいつは蓮舫みたいな顔をしていて、人を下げる言葉を絶対に使わないし、悔しい時に悔しいと叫べる。心のままに生きる正直なやつで、マイナス感情が無いポジティブなやつで、死ぬほどゲームがうまい、陰キャだった。
きっと定かな理由なんて、今でもわからなくて、なんとなくこいつなら大丈夫だって思って、彼は震災からの"自分のこと"を初めて事情を知らない友人に話した。友人は昔、無遠慮な質問をしてきた奴らとは違い、しっかりと自分の言葉を受け止めてくれた。気付いたら大粒の涙が中島からとめどなく流れていたと言う。それからはそいつに向き合える普通のことが出来る普通の自分になろう。と決意した。友人がいなかったら、本当に今のなかじくんは無く、その普通になることこそがとても難しいことだったが、友人のおかげで中島少年は前に進めたのである。もちろん今も仲のいい友人だ。
それから友人と共に高校生活を過ごして、気付けば高校三年生、進路を考えた際にあの時の子供の笑顔のことを思い出した。子供の笑顔に関わりたいと考えて、おもちゃのデザインを生業としたいと思い、デザイン系の専門学校に行き、無事希望の職業に就職。しかし新卒から3年で仕事を辞めることになった。
それはどうしてもやりたいことを、その就職期間に見つけてしまったからだ。離職してから彼が訪れたのはとある玩具屋さんだった。それは、あの日の中島少年が、体育館で見た光景を作ってくれたおもちゃの会社。そう、彼は今の自分を形作る上で大切なあのおもちゃ屋さんが、東京にあったことを知ってしまったのだ。
そうして、周りから反対されつつも、正社員の職を捨てて、アルバイトとしてその玩具屋さんで働き、改めて現場で見る子供の笑顔を思い返す。なかじくん23歳の頃の出来事だった。
面接官が、顔をくしゃくしゃにしながら、体育館での出来事を聞いてくれて、「あれから8年ですか」と言った言葉が印象的だったと言う。ついでに母親の「へー、辞めるの?・・・援助はしないよ」も印象に残っている。
そこでのアルバイトも2年がたち、自己との対話も落ち着き、一区切りついたなと思い、円満に退社。新たな仕事に就く。そして新しいやりたいことを見つけて、転職をしようと思った時に世界にあることが起きた。コロナウイルスの蔓延である。
世界の空気が暗くなった頃に仕事が無くなり、昔のこともあって、今度は、大人になった自分が、あのころのおもちゃ屋さんのように自分が出来る範囲で他の人を笑顔にしたい。そう思って25歳の時に配信を始めた。これがなかじくんが配信を始めた理由である。
ちなみに初めての人にもおかえりと言う彼の枠のスタイルは、自分にふるさとが無いから、本当は自分が言いたくて、でも荒れていた時期に言えなかった、ただいまという言葉の受け皿を自分で作っている。つまり自分へのおかえりも含めて、枠に来るみんなにおかえりと言う言葉を枠で使ってると言う。
さて、話をSPOONをを始めたなかじくんに戻していこう。最初の頃のいわゆる「なかじ」は、枠に来てくれる人と関わる気はあったけど、ネットの人と自分から積極的に関わろうと思ってはいなかった。彼が変わったのはCHOICEを目指そうと思った時。外と関わることの必要性が生まれてネットの人と関わろうと決めたてからである。きっかけの1つとして、【咳き込んだチャパ王】と言う今も現役で配信をしている配信者の企画で、当時のいわゆるオモカテ企画に出させてもらったことがあった。そしてそこで跳ねた。SPOONで「オモカテ」を聞きに来てくれてる人に自分が通じて、許可証を貰ったような気分だった。
Q 何故CHOICEを目指したのか。
CAST、自分語りでも語られていないし、このインタビューでもなかじくんが全てを語ることは無かったが、その1部を話してくれたことを紹介しよう。自枠に引きこもっていた時期、そこに来てくれていたリスナーが、個人的な理由でSPOONを辞めると言った。もちろん送り出すべきだったが、それがネガティブな理由だったこともあり、更には目の前から大切な人、仲のいい人が居なくなることにトラウマが出来ていたため、ネットでも別れが嫌だったので、なかじの口からはこんな言葉が出た。
なかじ「俺がチョイスとったら戻って来るか?」
友「無理だろ。まぁ出来たらな」
当時のSPOONは今とは違い運営が選ぶシステムで、(今は月にどれだけお金を使われたか?が重視される)更に、選ばれるのは月に10人前後。現在は400人と、配信を初めて半年のなかじくんが、なれるわけが無いと言われるのも無理もない事だった。
それからの彼は自分を変えた。彼がCHOICEを目指そうとして変えた意識や心構えを1部紹介しよう。
SPOONの中で、唯一無二になろうと思った。それは需要が無いからみんなやってないのか?それともやれている人間がいないのか。そしてそれが自分に出来るのかのトライアンドエラー。それは現在の【なかじワールド】という世界観の作り込みになる。筆者も枠にいかせて貰うことがあるが、例えるなら車のレースで1人だけつらっと飛行機に乗っているような自由度を感じさせる。
それはそのなかじワールドと言う言葉が自称ではなく他称になることによって意味を成してくる。なかじワールドは、彼が言い出した言葉ではなく、彼の世界観を周りが名付けたもので、他称である事が大切だったと語るりそれは人に自分をオリジナルとして形容させるという難しいことであった
そして、運が良かった部分もある。
例えば最初の企画の出会いがチャパ王じゃなかったら、今の自分が無かったとなかじくんは語る。
ちなみにCHOICEを目指し出したときは、やっぱりかっこいい方が受けるのかな?と思い、イケカテ寝落ち枠をたくさんしたが、合わなさを感じ、やめた失敗体験もちゃんとある。全てが成功ではなく、努力の過程は間違いなくあった。
そうして何が自分にあっているのか模索した結果が今日のなかじくんである。
そうして、2021年の夏。目指す宣言をして名前を変えてから1年後に彼はCHOICEに選ばれた。
目指すきっかけとなった人はCHOICEになって戻ってきて「ただいま」と一言さらりと言って、もちろんなかじくんは「おかえり」と答えた。それから少しして、友人は「お前を見届けたからまたリアルに戻るわ」と彼女が出来てまたやめた。今度はネガティブな理由では無かったので、いってらっしゃいと見送ったが、どうやら今はその彼女と別れたらしい。
余談ではあるが、なかじくんと素の自分との性格はは180度違うという。
中島くんは今でも人と関わりたくないし、大切な人も作りたくない。なかじくんはある意味中島くんがなりたい自分の完成系だという。
ひとつの区切りをなかじくんが、次にやろうとしたことはグループ活動だった。それはなかじくん個人のモチベーションの維持そしてなかじくんの活動の次章の幕開けでもあった。それが【すてっぱ】である。
すてっぱとは【"ギャップ"をコンセプトとしたがギャップになってないアイドルグループ】をコンセプトとして、なかじくん自身が一緒にやりたいと思う人を一人一人口説いて言ってグループになったものである。
よくあるノリで、その時のグループを作ったのではなく、すべてなかじくんが1人ずつに声をかけて言った。勧誘方法はメンバー候補に、自分のやりたいことのプレゼンをして、それでメンバーがやりたいと思ってくれての今に至る。グループ名のすてっぱは、メンバーの総意でSTEPupから来ている。
なぜアイドル活動?となるかもしれないが、実はメンバーにも正式に説明したことはない事だが、すとぷり(すとろべりーぷりんすというイラストを使った顔出しをしないアイドル)の表現方法に感銘を受け、その中でも、おかえりらぶっ!という楽曲に特に感銘を受けたことが始まりである。ちなみにすとぷりはなかじくんが配信を始めるきっかけになったグループであり楽曲である。メンバーは全員がSPOONの人だったり、SPOONの人でしたの人で構成されていて、今の主戦場がツイキャスという配信アプリになる。
Step+up【すてっぱ】
https://twitcasting.tv/steppa_sp
➥ツイキャス
https://lit.link/steppa
➥関係リンク
Q、配信していて良かったこと悪かったこと
全体の99%(努力や過程]は割と嫌なことだと言う。良かったことは1% それは99%の過程が実った成果だと言う。それは努力をしたことによる成功や繋がりだったりする。例えば気持ち的に、配信活動やりたくねえなあって時に定時配信なんかもめんどくさいなぁってこともあるが、有言実行をモットーとしており、自分に課したことはSPOONでは成し遂げてきたし、リアルでもそうありたいと生活している。
その結果、なかじくんに引っ張られてなかじまくんがポジティブになった。最初のうちは逆も然りで中島くんが、「出来るわけない、めんどくさいなら辞めちゃいなよ」と囁いてくることもあったそう。
あとは、悪かったことの中に、リアルが信じられないくらいおざなりになっているということが上げられる。中島くんが、「一時期よりだいぶコロナ明けて、もう世界は動いてるぞ。生活の余白でやっていた部分がメインになってるぞ!」って思ってるけどまぁ最悪おかえりとただいまが言いたいだけなので、そこのところの調節はやろうと思えば可能だという。しかしその過程で笑っていて欲しいと言うので、やはり難しい。なので、1人のなかじくんファンとして、しばらくリアルには我慢をして欲しい。
Qなかじくんの代表作
個人とグループは棲み分けてるのでと言う話から別々に聞いてみた。
個人だと、なかじのらじお部屋出張版。
CHOICEを目指すための手段の一つとして、対談ラジオ枠をやっていた。来てもらったゲストとの対談だったが、耳障りのいい綺麗な綺麗事を喋る。とても「配信者」をしていた時代で、とても嫌そうに彼は話した。何故それが代表作なのかと筆者が質問したところ、結果としてやりたくなかったことで、それは自分が成長するための99%の努力の中のかなり大きいパーセンテージをしめる配信で、今のなかじくんを形作る上の。修行、苦行になりえたことだからと言うことだ。
そしてそこから、【なかじの「ま」】という対談配信が生まれた。本来の中島くんが人格の主導権を握る対談枠で、なかじのらじお部屋がなかったらそれはなかったと言う。綺麗な綺麗事だけではなく、毒づくこともあれば、人間の嫌な部分で質問していることもあると言う。それはなかじくんという配信者がひとつの形としてある程度出来上がったから成立した。なかじのらじお部屋がなかったらなかじの「ま」も出来なかった。だからなかじのらじお部屋出張版は代表作として確立されると言う。
ちなみに読者の皆様の心配している事だろうことを追記しておく。なかじくんに聞いたところ、
なかじの「ま」は楽しい!と言ってくれたので安心してほしい。
すてっぱ
リアルでのLIVE
2022年に1日2公演。50人がMAXの箱で100人のLIVEを成功させる。チケット代が3000円だったし、地方の方は来てくれるのか?と言う心配もあったが、予約フォームを開設して3日で完売した。
ライブ内容としては顔出し、リスナーの呼び込み。お金を取って会う。
顔出しなくていい。お金を払わないと会えない。お客さんはリスナー。
これは意図的に全てSPOONの逆を行ったと言う。
演目は配信でやってることと同じで、歌や雑談やミニゲームなど。特別なことはしなかったと言う。それでも成果を出せたことそして、次回につながるイベントにできた。超えなきゃ行けないハードルを越えられたことがグループとしての現時点の代表作となった。ちなみになかじくんやすてっぱが掲げたハードルを下記に記載しておく。
1.アイコンとリアルのギャップは乗り越えられるのか?
2.演目のクオリティは対価として皆様に満足してもらえるのか
3.上記のことから次回を望まれるか。
これらの目標を設定して次を視野に入れる意味のある時間にできたことが代表作たる所以だろう。
最後にこれからの理想について聞いた。
根底の軸は絶対に変えない。木に例えるなら、幹があって枝があるということに矛盾は感じないが、まずその木がどれだけ大きくなるかと言うことに重点をおき、グループ活動も個人活動もして、常にワクワクし続けたいという。そうしてより1層大きな【なかじくん】になっていきたいたと彼は言った。
まだまだ発展途上のなかじくん。今後彼が、彼という物語を唯一無二の神話に出来るのかどうか?なかじくんの物語から目が離せない。
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