6.小豆との出合い
「うーん、いい朝!」
窓から明るい光が射し込んでいる。
なんていい目覚め! 体も軽い!
これまでは、休日初日の朝なんていっつもぐったりしていたのに。なんだかんだシュバルツとハイトさんのおかげで、ちょっとだけ仕事が楽になっていたみたいだ。
そうだ。
せっかくだしこの3連休で、新作パンを考えてみよう。
そうと決まれば話は早い。
思い立ったが吉日。じっとしていることなんてできないので、ベッドから抜け出して着替えることにする。
パン屋の2階が住居スペースになっているので、今わたしがいるのはお店の上である。間取りを説明するなら『2DK』だろうか。
階段を登るとすぐに小さなキッチンとダイニング。奥にユニットバスとトイレ。実家から両親が泊まりに来たときの為に客室のように空き部屋がひとつ。
手前の自室はベッドとデスクとクローゼットだけのこぢんまりとした部屋ではあるが、充分だ。
部屋の壁の色は、一面だけ黄色で、あとはナチュラルに木の色を活かしている。
黄色が好きなので、家具や布類もだいたい黄色を選んだ。
この世界での実家は同じエアトベーレ内でも、港から船に乗らないと行けない小さな島にある。両親は島に唯一の商店を営んでいて、愛情をたっぷり注いでわたしを育ててくれた。ただ、家には住民が出たり入ったりいつも賑やかだったので、自分だけの空間があるというのはそれだけでうれしい。
余談だけど前世も自分の部屋って持っていなかったから、めちゃくちゃ憧れていたんだよね。
全身鏡に映る自分の姿。
赤茶色の瞳は二重で、睫毛は長くてしっかり上を向いている。
くせっ毛でくるくるしている茶髪はショートボブ。
肌は白くて体に凹凸は少ない。手首が細めなおかげで、着やせして見える。
淡い花柄の丸襟つきシャツと、深緑色のスカンツを履いて、くるりと回転してみせる。よし、今日はこれでいこう。
せっかくだし、一番大きい商店街まで足を延ばしてみようかな。
歩くと1時間はかかってしまうし疲れるので、路面魔法車を利用することにする。
名前の通り、レールの上を魔法制御で走る箱形の車だ。イメージとしては『路面電車』かな? これのおかげでエアトベーレ内ならだいたいどこでも行くことができるのだ。
家からいちばん近い路面魔法車の駅まで歩いて行くと、ちょうど到着するところだった。
なんていいタイミング。
乗車口でお金を支払って乗ると、向かい合うロングシートの空いている席に座った。
がたん、ごとん。
景色がよく見える。
遠くの稜線は青々しく輝いていて、新緑の季節であることを告げていた。エアトベーレは山と海に囲まれた都市で、四季もある。
過ごしやすい、いい場所だと思う。
だんだん次の街に近づいてくると建物が増えてくる。
中心地のちょっと手前、大きな川を渡る前に下車して、わたしは商店街へ向かった。
ここへ来るのはいつ以来だろう?
普段の買い物は自分の住んでいる商店街で間に合っちゃうけれど、いちばん大きいから珍しいものも扱っているんだよね。
アーケード街の両脇にずらりと軒を構えるお店を、ぶらぶら見ながら歩く。
艶々している野菜がたっぷり並んでいる八百屋の前で足を留めると、真っ先に緑の野菜が目に飛びこんできた。
「ぷ。すっごく、おっきなピーマン」
不意にハイトさんの嫌そうな表情を思い出して笑みが零れてしまう。
これを買っていったら確実に不興を買うだろうな。封印されているとはいえ、下手したらお店を滅ぼされかねない。
次に目についたのは、八百屋と真逆の地味な色のお店だ。
どうやら乾物を取り扱っている老舗らしい。
昆布や鰹節が整然と並べられている。これ、絶対においしい一番出汁が取れるよね。そしたら和食をつくれるよね。うーん、買ってみようかな。
さらに視線を下げると、箱に詰まっている豆類。
少し赤みがかった茶色の小さな豆。
胸が高鳴る。
これって、もしかして。
「あのっ。すみません、これって、小豆ですか?」
「そうだよ。今年入荷したものはすべて上物だよ」
うわー! どうして今まで思いつかなかったんだろう!
小豆があれば、あんこを炊ける。
あんぱんをつくれる。
ふわふわでもちもちのパンのなかに、ぎっしり詰まったあんこ。優しい甘さのパン。大好きなパン。
想像しただけでよだれが出てきた。
これは即決だ。
「買います。えっと、とりあえず5キロ」
「まいど。6000イェンね」
「あっ、昆布と鰹節も真ん中のものをひとつずつください」
「10000イェン。お嬢ちゃん、たくさん買ってくれたから餅をおまけにつけてあげよう」
「うれしいです! ありがとうございます!」
やったー!
この世界では米というのは貴重なものである。
そしてお餅と小豆といえば、ぜんざいをつくるしかない。
なお、単位に関してはこの世界が『日本』に寄せてくれているのか、非常に分かりやすい。
「まいどあり!」
ずっしり。
……しまった。とんでもなく重たい。これを持って魔法車に乗って帰ることを考えていなかった。
とりあえずいったん休憩しようかな?
近くにあった喫茶店に入る。
「クリームソーダと、ホットケーキをください」
「かしこまりました。少しお待ちください」
「——リーベさまの娘が騎士団の入団試験に合格したそうだよ」
注文をしつつ、耳へ飛びこんできた人名にぴくりと反応。
リーベさまといえばハイトさんを封印した女勇者ではないか。
娘がいたんだ。しかも、騎士団の団員ってこと?
「母親似でとても勇敢らしい」
「将来が楽しみな話だ」
後ろのボックス席で、3人の紳士が楽しそうにコーヒーを飲んでいる。
「魔王が封印されて世界の脅威はなくなったとはいえ、いつ何時、何があるか分からんしな」
ほんとうにおっしゃる通りです。
不測の事態には備えるべき。ちなみにその魔王は人間のパン屋で働いてます。
運ばれてきたホットケーキは分厚く二段重ねで、ほかほかと美味しそうな湯気を立てている。たっぷりのメープルシロップがかけられていて、てっぺんには溶けかけの小さなバターが鎮座している。
クリームソーダは美しく透きとおった緑色のソーダの上に、まぁるいバニラアイスと、シロップに漬け込まれた真っ赤なチェリーがちょこんと飾られている。
ふわ。
シロップの染みたふわふわのホットケーキの甘さが、体の隅々まで心地よく広がっていく。
しゅわ。
バニラアイスを崩しながらソーダと一緒に飲む。
炭酸ってなんでこんなに爽やかな気分にしてくれるんだろう。
……あぁ、至福のひととき……。
大満足で喫茶店から出て、気合い十分。
ずっしりと肩にくいこんでくるリュックの肩紐をあらためて背負い直そうとすると。
「あれ?」
突然、荷物が軽くなった。
「貴様、こんな荷をひとりで背負うつもりだったのか」
「へ」
見上げると、というか振り向くと、銀髪の青年が立っていた。
白シャツ黒パンツ姿のハイトさんと隣には黒フリルスカートの美少女シュバルツ。親子には……見えないな、うん。
「いつの間に!? っていうかどうやってここまで」
「我が君が封印済みとはいえ魔王であることをお忘れですか。移動など、一瞬でできます」
「いやいや、でも、今日は休日ですよ。わざわざこんなところまで」
「忘れたのか、余は貴様と契約してやったのだ。パン屋の為ならこれくらいのこと苦でもない」
「は、はぁ……」
契約っていうか雇い入れなんだけど、まぁいっか。
それにしてもパン屋の為、ね。
魔王ってそんなワーカホリックなの? あ、だから世界を滅ぼす寸前までいったのか。
「なにを笑っている」
「いえ、助かりました。ありがとうございます」
だけど今日に関してはちょっとありがたいかもしれない。
「ふん。まぁいい。では、戻るとするか。……□◇○◇□」
すっとハイトさんが右手を挙げた。
爪が艶々としていて、指はすらりと長くて、甲はほどよくごつごつとしていて、顔だけではなく手も美しいのかこの魔王……。
呑気に感想を抱いたとき。
ぶわぁあああああ!
わたしたちの足元から黒い、波のような光のような何かが巻き起こる。
「きゃあっ!?」
「掴まっているがいい」
慌ててハイトさんのシャツを掴む。
瞳を閉じて——開けると、一瞬で。
わたしたちは【一番星】の扉の前に立っていた。
「少しずれたな。店内に戻る予定だったが、まだ制御が不安定ということか」
封印されていてそれなら、十分ではないだろうか……。
「ありがとうございます。ほんとうに助かりました」
お礼と言ってはなんだけど喫茶店で聞いた話を伝える。
女勇者のことは悪く思ってないみたいだし、近況を知ることができたらうれしいよね。
「そういえばリーベさまのお子さんが騎士団に入られたみたいですよ」
ちらりとハイトさんを見上げた。
「? ハイトさん?」
うん? この前と違って、なんだか微妙な表情になっているぞ?
喜んでもいないし、不機嫌でもない。説明しがたい反応だ。
ハイトさんは耳を澄まさないと聞き取れないくらい、小さく小さく呟いた。
「……子、か……」
——その表情が意味するところをわたしが知るのは、まだまだ先のことである——
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