ノゾミミャミャ
それはまだ夕陽が川面を金色に輝かせていた昔、ミケネコ村の南の広場の西の、小川沿いにある小さな林で、キジトラ猫のノゾミが、三匹の子供を育てていました。
サバトラ猫のマルオと茶トラ猫のトラピーと三毛猫のサクラが、やっと乳ばなれして、ムシやクモやネズミや小魚などの狩りを習っていました。
「ミャミャ、ミャミャ」
と母を呼んで、子猫たちはいつもノゾミについて回りました。
ノゾミはりっぱな体で動きもしゅんびん、ミケネコ村でいちばんの狩の名手なのです。
ある日の夕方、ノゾミが木の上でうつらうつらしていると、村の樹々から小鳥たちが飛び立ちました。
スズメやヒバリが危険を知らせる鳴声を発して、どこかへ逃げて行きます。
ノゾミはシッポの毛を逆立てて目を覚まし、空を見上げました。
巨大な鳥が二羽、ゆうゆうと旋回しています。
ノゾミは河原で遊ぶ子供たちに叫びました。
「マルオ、トラピー、サクラ、戻って来ニャさい」
子供たちがノゾミの方を向いた時、巨鳥が急降下して来ました。
ノゾミは木から飛び降り、子猫たちへと駆けました。
危険を察した子猫たちは空を見上げ、恐怖のしゅうげきに、とっさに身がまえました。全身の毛がぼわっと逆立った直後、一羽目の鳥の両足が、マルオとトラピーのからだを、いっしゅんでわしづかみしました。マルオとトラピーが悲鳴をあげた時には、もう空へと舞い上がっていました。二羽目の片足の爪がサクラをつかんだその時、のぞみが大ジャンプして、巨鳥のもう一方の足にしがみつきました。それでも鳥は翼をはためかせて、空へ上がっていきます。ノゾミは鳥の胸に爪を刺し、首に咬みつきました。
「ギャアア」
と巨鳥は叫んで、サクラを離しました。
サクラはノゾミのシッポにしがみついて、
「ミャミャ、ミャミャ」
と呼びました。
巨鳥は西の果樹園の大きな木にぶつかり、
「ギャアア」
とまた叫びました。
そのしょうげきでノゾミは落下しました。下草にげきとつするまぎわ、
「ミャア」
と叫んで、ノゾミはサクラを抱きしめました。
抱きしめて守りました。
経験したことのない痛みが右の後ろ足と前足から突き上げ、頭までジンジン痺れました。
サクラが胸にしがみついて、ミャミャ、ミャミャ、と泣き叫びました。
バサバサ音が響いて、傷ついた巨鳥もかたわらに落ちて来ました。
赤い目玉がノゾミをにらみます。
ノゾミは力を振り絞って立ち上がり、サクラと巨鳥の間へ踏み出しました。
そして爪と牙を剥いて、
「ニャ~オ~」
と、いかくしました。
傷だらけの巨鳥は、バサッと飛び上がり、空へと去って行きました。
恐ろしい鳥が見えなくなって、サクラがノゾミに抱きついて泣きました。
「ミャミャ、怖いよう」
だけどノゾミは折れた右前足と右後ろ足の方へ崩れ落ち、気を失ってしまったのです。
「ミャミャ、ミャミャ・・」
サクラは泣きながら、両前足で、しんぞうマッサージを続けました。
二匹の息子を失った悲しみに、ノゾミは泣いてばかりいました。
右の足が前後とも折れてしまったので、あんなに上手だった狩りもうまくできず、足を引きずり変なかっこうで歩くので、周りの猫たちにバカにされました。
「ネズミも獲れニャいニャんて、猫失格ニャ」
「走れニャい猫は、この村にはいらニャいニャ」
「恥さらし」
「村から出て行け」
などと言われても、何も言い返せず、叩かれても、蹴られても、石を投げつけられても、反抗できないノゾミなのでした。役立たずの猫には、村名産のマグロの実やチクワの実も分けてもらえません。
それでもノゾミは娘のために、村の片隅の林の中で、這いつくばってムシを取り、なんとか生きていました。
村いちばんの貧乏になった母を、サクラは恥ずかしく思いました。
サクラは昼間は寝てばかりで、猫の学校もサボり、夜になると悪い仲間たちと遊び回っていました。
サクラの口癖は、
「ニャめんニャよ」
で、いつも尖った爪を剥き出して、つっぱっていました。
ある夜、サクラたちは神社へ行き、大スズを鳴らすヒモにぶら下がって、誰がいちばんジャラジャラ鳴らせるか、競い合っていました。
サクラの番になり、ヒモに飛びつきました。
「ニャめんニャよ。あたいがいちばんニャ」
サクラが大きく揺れて鳴らすと、あまりものはげしさにヒモが切れ、大スズが落ちて、割れてしまいました。
「うわあ、たいへんにゃあ」
と叫んで、悪い仲間たちはいちもくさんに逃げて行きました。
しんせいな眠りについていた村の神さまが、驚きのあまりほこらから落ちて、ぎっくり腰になりました。
神さまは全身真っ白の毛を逆立てて怒りました。
「ふとどきものお」
神社の隣の温泉にいた茶ブチ猫のカンタが、逃げようとするサクラを捕まえました。
「ニャめんニャよ」
とサクラは叫んでもがきましたが、やせた彼女の体は、カンタに首の後ろを咬まれ、軽々と引きずられました。
神社に次々と猫たちが集まりました。
大将猫のジュリアンが、サクラの目の前へ来ました。サクラをにらみつけるジュリアンの瞳に、銀の月が鮮やかに反射しました。
ジュリアンは荒い息をサクラに吹きかけながら言いました。
「ニャンだ、おまえがしんせいなスズを壊したのかい? まだ子猫ではニャいか。おまえの保護者は、誰ニャン?」
サクラは強がって、ニャめんニャよ、と言おうとしましたが、恐ろしさのあまり、「ニャめニャめよ」
と、うわずった声をもらしました。
震える爪も剥きだして見せましたが、ジュリアンがカマのような爪を剝くと、すぐに引っ込めました。
「ニャめニャめ? それがおまえの母親の名前かい?」
ジュリアンの目の中で銀の月がギンギン燃えます。
サクラはぽろぽろ涙をこぼしました。
足を引きずって歩く村いちばん貧乏なノゾミが母だとは、恥ずかしくて言えません。
だからこう言ったのです。
「あたい、ミャミャ、いニャいニャ」
ジュリアンの裁きの目が、サクラを呑み込みました。
「母がいニャいとは、捨てられ猫かい? だったらしんせいなスズを壊した責任は、自分でとってもらうよ。みニャのもの、こいつの皮を剥いで、毛皮をつくりニャ」
たくさんの猫に押さえつけられたサクラの前に、皮職猫のジロベエが立ち、ナイフのように尖った爪を剥きだしました。
サクラはまた強がって、ニャめんニャよ、と言おうとしましたが、あまりに恐ろしくて、
「ミャミャ、ミャミャ」
と叫んでいました。
その時です。
一匹のキジトラ猫が、折れた前後の右足を引きずりながら駆けて来て、ジロベエの前へ、どっと倒れ込むではありませんか。
「どうかお許しください。悪いのは、みんニャあたしですから、かわりにあたしの皮を剥いでくださいまし」
そう言ってキジトラ猫のノゾミは猫たちに平伏しました。
「あんたは、誰ニャ?」
とジュリアンが問いかけました。
ノゾミがジュリアンの足にすがりついて、何か言おうとすると、サクラが叫びました。
「あたい、こんニャ猫ニャんて、知らニャいニャ」
泣き崩れる娘を見て、ノゾミは涙こらえて言いました。
「あたしゃ、ノゾミという、独り者の猫ですニャア。じつは、あのスズを壊したのは、あたしですニャア。だから、この罰を受けるのは、あたしですニャア」
「ニャニャニャニャ、ニャンとニャ?」
とジュリアンは驚き、猫たちに命じました。
「みニャのもの、その子猫を放しなさい。そしてこの悪い猫の皮を剥ぐのニャ」
自由になったサクラは、猫たちから逃げ、草の陰に隠れました。世界の果てまで逃げて行きたいのですが、胸が痛くて動けません。草のすき間から、神社の方を見つめました。
母のノゾミが猫たちに取り押さえられています。折れた足を引っ張られ、痛みに悲鳴をあげました。サクラの胸も悲鳴をあげました。
サクラはノゾミの乳で育ったかすかな記憶を思い出していました。ノゾミは世界で一等の母親でした。狩りも一等で、サクラたちに教えてくれました。それがどうしてこんなにみすぼらしい姿になったのでしょう。サクラのためです。サクラを巨鳥から救うために、命をかけて足を折ったのです。
茶トラ猫のジロベエが、ノゾミの胸に爪を突き刺し、皮を剥ごうと引き裂きました。
「ミャアアア」
母の絶叫が夜を壊しました。
サクラの胸も壊しました。
「ミャミャ、ミャミャ」
サクラは駆け出し、ぴょーんと飛んで、ジロベエの首に食いつきました。
ぎょうてんしたジロベエは、でんぐり返って逃げました。
「ニャめんニャよ、ニャめんニャよ」
と叫んで、サクラは母を押さえつける猫たちにぶつかって行きました。引っ掻かれても、咬まれても、必死にぶつかりました。
周りの猫たちが尻込みすると、サクラはノゾミの胸にできた傷口をなめて、呼びかけました。
「ミャミャ、ミャミャ」
ノゾミはそんな娘を抱きしめて、しょっぱい涙をなめました。
「サクラ、サクラ・・」
サクラは母を見つめて叫びました。
「ニャンであたいニャんか、守ろうとするのよ? ニャンであたいニャんかのために、足を折ったり、皮を剥がれたり、そんニャばかニャことするのよ?」
「ごめんニャさい。ごめんニャさい」
とノゾミは言います。
サクラは首を振りました。
「あたい、許さニャいんだからね。許すもんですか。ああ、ああ、こうニャたら、ミャミャを、一生ニャめてやるんだからね」
そう言って、また傷口をペロペロしました。
そんな母と娘を、もう誰も責めるものはいませんでした。
ほこらに戻った神さまが、痛めた腰をなでながら言いました。
「神社の大スズは、その娘と一緒に、みんにゃで直しなさい」
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