虫こぶの実

 それはまだ青空に星が見えていた昔、ミケネコ村に一匹のキジトラ猫がやって来ました。過酷な旅路を渡り歩いてきたのか、足にも背にも傷がありました。大きな体の侵入者に、三毛猫たちは総毛立ち、ひと塊になって対峙しました。

「ここはあたいらのにゃわばりニャー」

 と気の荒いジュリアンが牙を剥くと、大将猫のエリザベスもシッポを炎のように逆立て、自慢の爪を光らせて凄みます。

「この鉄の爪で全身の皮を剥いでやるぞい」

 キジトラ猫は大きな金色の目を見開き、キラリと光る立派な牙の間から赤い舌を出して言いました。

「おいら、ランマル。ひとりぼっちで淋しいにゃ。これあげるから、仲間に入れてにゃ」

 彼がふところから出したのは、怪しい香りを放つ、緑色のコブだらけの木の実です。

 エリザベスはシッポの毛をふくらませたまま、目をエメラルドに輝かせて問いました。

「それは、ニャンぞい?」

「虫こぶの実だにゃ。さあ、にゃめなされ」

 ランマルは催眠術師のような深い金の目で彼女を見つめ、緑の実を差し出しました。

 用心深いエリザベスは、隣の猫に命じます。

「マリー、ニャめるがよい」

 耳とシッポが三毛の白猫マリーは、おそるおそるその怪しい匂いを嗅ぎました。すると頭がボーとしてきて、しだいに気持ちよくなりました。なめてみると、体が宙に浮いたような感じになるではありませんか。もう夢中で虫こぶの実にむしゃぶりついていました。

「マリーよ、もうよいぞ」

 とエリザベスが注意しますが、マリーは緑の実にかじりついたまま離れようとしません。

 周りの三毛猫たちもその匂いに引き寄せられて、争うように虫こぶの実をなめました。やがて実をなめた猫たちは、恍惚となって踊りだしたのです。驚いたエリザベスは、まだ実をなめていない猫たちに命じました。

「これは悪魔の実に違いないニャ。こやつを捕らえろ」

 キジトラ猫のランマルは、三毛猫たちに体じゅうを引っ掻かれ、降参して縛られ、牢屋に閉じ込められてしまいました。

 大将猫のエリザベスは、残った虫こぶの実を自分の棲み家へ持ち帰り、こっそり匂いを嗅いで、なめてみました。するとすぐに酔っぱらい、ミャアミャア歌いながら家じゅうをゴロゴロ転がって踊りました。こんなに気持ちいいことは初めてで、もう虫こぶの実に夢中です。そして三日で虫こぶの実をなめつくしてしまいました。

 一方、牢屋のランマルは、三毛猫たちに忘れ去られ、飲まず食わずで死にかけていました。そこへ耳とシッポが三毛の白猫マリーがやって来て、牢を開けました。

「大将様の使いで来ました。大将様は、虫こぶの実をもっと持ってきたら、あニャたを仲間に入れるとおっしゃっています」

 そう言って、マリーはランマルに水と食べ物を与えました。


 元気になったランマルは、マリーと一緒に旅立ちました。

「虫こぶの実は、地の果ての、マタタビの森にあるんだにゃ」

 と遥かな空を見ながらランマルは言います。

 地の果ては蜃気楼のように遠く、極暑の砂漠を渡り、嵐に舞う木の葉の渦を抜け、深い雪の山を越えました。旅の途中で、マリーはランマルの子を五匹産み、子連れで旅を続けました。ランマルとマリーは、子供に、サン、リン、ミク、ミミ、ピピと名付けました。

 ついに地の果てのマタタビの森が大草原の向うに見えた時、三羽のカラスが空から襲ってきました。ランマルとマリーは子供たちを守るため、死に物狂いでカラスに飛びかかりました。爪と牙を最大限に剥き出して、絶叫しながら戦いました。カラスのくちばしや爪も恐ろしいほど尖っていて、ランマルは背中や足に傷を負いました。それでも一羽のカラスの首に咬みつき、地面に叩きつけました。だけど、二羽のカラスがミミとピピをつかんで、遠くの山へさらっていったのです。

 ランマルとマリーは、怒りや悲しみの声をもらしながら、恐怖に震える三匹の子猫を連れて、地の果てまで歩いて行きました。

 マタタビの森には、虫こぶの実を守る大虎がいました。ランマルは、大虎の前にひれ伏して頼みました。

「どうか虫こぶの実を分けてください」

 すると大虎は眼を太陽のように恐ろしく見開いて言いました。

「わがはいには子供がいない。おまえの子供のうち一匹を、かわりにくれるなら、分けようぞ」

「どうか、りっぱな虎になるよう、育ててくださいにゃ」

 ランマルとマリーは、泣く泣くサンを大虎に渡し、虫こぶの実をもらいました。


 ミケネコ村への帰途も、遠く過酷な旅でした。

「リン、ミク、わたしたちから、離れちゃいけニャいよ」

 山の手前でマリーは子供たちにそう言いました。

 なのにリンはモンシロチョウを追いかけて、姿を消してしまいました。マリーもランマルも狂ったように捜し回りましたが見つかりません。風に揺れる山林に、大鷹の鳴き声が響いていました。

 雪山高く昇ると、体の弱いミクは、凍えて動けなくなりました。マリーとランマルでけんめいに体を寄せ合って、ミクを温めました。

 ミクは息も絶え絶えに、ランマルにせがみました。

「お父さま、もう一度だけ、聞かせてくださいニャ。これからわたしたちが行く、ミケネコ村のことを」

 ランマルは愛娘をを抱きしめて語りました。

「ミケネコ村は、緑がきれいで、マグロの実だとか、チクワの実だとか、食べ物がいっぱいあって、水もおいしいにゃ。そして、ミクの友だちも、いっぱいいるにゃ。おいらたち、ミケネコ村で、仲間たちと、楽しく笑って暮らすにゃ」

「お父さまの持っている、虫こぶの実が、ミケネコ村の仲間たちを、幸せにするんですよね?」

 ランマルはふところから虫こぶの実を出して、ミクに香りを嗅がせました。

「ああ、そうだにゃ。おいらたち、ミケネコ村で、みんにゃ、幸せになるんだにゃ」

「わたしたち、ミケネコ村で、幸せになるの」

 そう夢見るようにつぶやきながら、ミクは息を引き取りました。

 マリーは虫こぶの実を投げ捨てて叫びました。

「こんニャもののために、わたしたちの幸せは、壊されてしまったのよ」

 それでもランマルは虫こぶの実をひろい、旅を続けました。

「おいらたち、ミケネコ村に戻って、仲間たちと、楽しく笑って暮らすにゃ」

 そうランマルは繰り返しますが、マリーは絶望のあまり、目が見えなくなってしまいました。そして極暑の砂漠を越える途中で、とうとう力尽きてしまったのです。

 ランマルはマリーの目を必死でなめて言いました。

「死んじゃだめにゃ。おいら、また、ひとりぼっちになっちゃうにゃ」

「せめて、あなただけは、生き延びてくださいな」

 それがマリーの最期の言葉でした。

 ランマルは心身傷だらけで旅を続けました。


 ランマルが三毛猫村に帰り着くと、エリザベスはもう死んでいて、新しい大将のジュリアンが牙を剥いて言いました。

「ここはあたいらのなわばりだニャー」

 ジュリアンも他の三毛猫も、ランマルのことを覚えていません。

 ランマルは大きな金色の目を見開き、キラリと光る立派な牙の間から赤い舌を少しだけ出して言いました。

「おいら、ランマル。ひとりぼっちで淋しいにゃ。これをあげるから、仲間に入れてにゃ」

 そして彼は、怪しい香りを放つ、緑色のコブだらけの木の実を、ふところから出したのです。











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