第13話 イサカへ最初に派遣される者
頃合いと判断したロバートは主であるアレキサンダーを見た。アレキサンダーが頷いたことを確認しロバートはゆっくりと、ローズの傍らに立った。
「私が行くというのはいかがでしょうか。自分から行くというのですから問題はないでしょう」
驚いて見上げるローズに、ロバートは微笑んだ。
「危険よ」
ローズの言葉にもロバートは表情を変えなかった。
「存じ上げております。あなたは行くと言っていた。防ぐ手立てもご存じでしょう?それを私に教えてください」
椅子から滑り降りたローズが、ロバートを見上げた。ロバートは少女の目線にあわせてしゃがんだ。
「ここ数日、あなたとお客人の方々との議論を聞いてまいりました。耳学問ではありますが、学ばせていただいております」
ローズには伝えていなかったが、御前会議ではすでに決定事項だった。そのために、常にロバートが控えていた。
危険性はあるが、誰かがイサカの町に行く必要がある。この事態に最も詳しいローズ以外で、行くことができるもの。かつ、万が一、死んだ場合に政治的な均衡がくずれ、政争の原因とならない人物。町の権力者たちや近隣の貴族を抑えるならば、アレキサンダーの乳兄弟であるロバートが、名代としていくのが都合がよい。王家の威光を借りることもできる。
特に、疫病に襲われたイサカは、国境に近く頻繁に国が変わるため、自治組織が高度に発達している特殊な町だった。一筋縄でいかないことはわかっていた。失敗した場合のことも考慮された。ロバートは長く王家に仕える家の長男だ。貴族ではないが、その首には価値がある。ロバートの首一つで、責任問題を解決することも不可能ではないという目算もあった。
「私が行きます」
もう一度ロバートは言った。二人の視線がぶつかった。
「あなたからしたら、くだらないような注意事項を私は山ほどいいます。それをあなたは逐一実行することはできますか?子供の言うことですよ?」
試すようなローズの口調にも、ロバートは表情を変えなかった。
「この場でもっとも、あの町の問題について知っているであろうあなたが言うことです。もちろんです」
「実行していても、一瞬の気の緩みであなたも感染して死ぬ可能性もあります。それでもですか」
「そんなことにはならないよう、あなたの知識を私に与えてくださるのでしょう?」
「感染の危険を下げることはできるけど、完全に消すことはできません。死ぬ可能性もあります。あなたのご家族はそれでいいのですか」
「私の家は代々国王陛下に仕えて参りました。母はすでにおりませんし、父は、この国のためとなれば、反対することはないでしょう」
ローズの表情が変わった。最初の朝、庭にいたときのように、威厳すら感じられた。
「わかりやすく伝える努力はするわ。わからないときは質問すること、質問しようもないときはそれも言うこと。私は優しくはないわよ」
口調も変わった。早朝の庭でアレキサンダーを罵倒した時と同じ、鋭い口調にも、ロバートは表情を変えなかった。
「無論です」
孤児と、王家に代々仕える家系の立場が逆転したかのような会話に、数人の貴族が目を見張ったが、二人は意に介さなかった。
「で、この場合は誰の許可をもらったらいいのですか?」
周りをみたローズに、アレキサンダーは鷹揚に頷いた。
「決定だ」
アレキサンダーにロバートは一礼した。様式美を具現したと言われるロバートのお辞儀は美しい。周囲が一瞬見ほれるのも、ロバートとっては珍しいことではない。それよりも、大切なことが目の前にあった。
「ところでローズ。椅子から一人で降りては危ないといいませんでしたか」
「ごめんなさい」
ロバートが小言を言うと、ローズがしおれて謝ってきた。
ローズは大人用の椅子にクッションを載せたものに座っている。安定性に欠けているため、ロバートが毎回座らせていた。当然、椅子から立ち上がることもできず、滑り降りようとするので、降りるときも手伝ってやっている。
大人用の椅子にローズが座ると顔が見えないというアルフレッドの指示で、クッションを載せたのはいい。結果、ロバートは自分でも小言が増えたという自覚はある。だが、悪いのは、椅子によじ登ろうとするローズである。椅子から滑り降りるローズも悪い。
ロバートは、素直に両手を伸ばしてきたローズを抱きあげ座らせた。
「気を付けてください。怪我をしてからでは遅いのです」
「はい」
ローズは素直だし、返事もよい。可愛らしいが、どうせまた、何かしでかすのだ。ロバートは、今はおとなしく座っているローズの小さな手にティーカップを持たせてやった。
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