第3話 少女と王太子1
座れと言われたが、少女は躊躇した。一日歩いてきた土ぼこりまみれの服のままでは、高価な布張りの椅子が汚れてしまう。
「あの、椅子が汚れます」
「どうぞ、おかけください」
少女は遠慮したが、王太子に付き添う背の高い人に、軽々と持ち上げられ、座らされてしまった。
「あ、ありがとうございます」
少女は戸惑いながらもお礼を言った。
「紅茶もどうぞ」
優雅な仕草で紅茶の入ったカップを示された。
高級なのだろう。きっと。割ってしまったらどうしよう。カップをゆっくり両手で持ち、少女は紅茶を飲んだ。温かい紅茶に、笑みがこぼれた。
「で、どうしろというんだ?」
かかった。王太子からの質問に内心少女は安堵した。まず、こちらの知る内容に興味を持たせることが出来たのだ。
「感染源の調査でしょうか、防疫でしょうか」
「両方だ」
「まずは、疾患の詳細な情報をいただきたいです。私が知っているのは市井の噂話程度のもの。町の名前も知りません。おそらくこの国の政治を担う方々のもとにはもっと詳細な情報がはいっているはずです。私は町の名前も知りません。」
「町の名はイサカ。国境沿いの交易都市だ。白い水のような下痢が、1日数十回、冷え切った患者は、枯れ木のようになって死ぬそうだ」
王太子が口にしたのは、ここ数日の国家機密だった。少女は知らなかったが、ここ数日、この話題で王宮は荒れていたのだ。その症状は、少女が思っていた通りのものだった。
「かつてと同じものです。人の移動を止めないと、感染が拡大し続けます。交易都市であれば人の移動は多いはず。危険です。不用意に感染者に接触した人間は、罹患する可能性があります。感染源があるはずです。多くは井戸です。あるいは何等かの水場。下水が流れ込んでいる可能性が高いですね。生水は危険です。水は一度沸騰させ、すべての食品は一度過熱し、煮沸あるいは高濃度アルコールで消毒した食器で食べることで感染予防ができるはずです。治療は経口補水液。煮沸した水に塩と砂糖を少量ずつ混ぜ、冷ましたものになるでしょう」
少女はよどみなくかたった。ここ何日も、このことばかり考えていたのだ。今、この国にはない習慣だ。孤児院で根付かせるのにも数年かかった。シスター長が決意して実行したことで、変わったのだ。国を変えるには国を統べる王族に、決意して実行してもらわねばならない。
「町を閉鎖してください。感染者の発生状況から、感染源の特定が出来るはずです。調査してください。防疫体制を確立してください。広がる前に止めないと、止まりません」
感染症との戦いは時間との勝負だ。症状から推定されるのはコレラ。感染経路が限られるコレラであれば、封じ込めは困難だが不可能ではない。国全体に広まってしまったら、どれだけ多くの人が死ぬことか。死んでしまったあの子。一番仲が良かったリズ。あの子のような子供がたくさん死ぬことになる。それを止めたかった。
少女は王太子に鋭い目を向けた。
「君は誰だ」
王太子は、王太子妃と同じ質問をした。
「孤児です。名乗るほどのものではありませんが、疫病のことをきき、知っていることをどなたかにお伝えすることで惨劇を食い止めることができればと思い、参りました」
張り詰めた空気の中、腹が鳴る音がした。
「すみません」
部屋にただよう緊張感を無視した自身のお腹の音に赤面した。朝、孤児院を出る前に食べていらい、何も食べずにずっと歩き通しだった。
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