第15話:選択

 数分前、屋敷の表。


「……」

 ヒース・エンジンは苛立っていた。

 橙色の頭髪の青年は庭園でじっと佇む。

 視線の先には屋敷玄関の様子が見えていた。

 変わらない状況に、自然と左手の指を鳴らす仕草を繰り返してしまう。

 仕草と指の鳴る音を聞いた周囲の護衛の顔色が恐怖に染まり、半歩距離を取る。

 護衛は自分たちの頭目が如何に強大な力を持つのか身をもって知っていた。

「チッ……」

 舌打ちしながら頭を掻く。

 目の前の状況。先ほど伝令から告げられた情報。本来届くはずの知らせ。

 考えがまとまらない。

 多量に魔法を使用した後はいつもこうだった。

 懐からシガーケースを取り出すと、一本だけ抜き出しマッチで火を点けた。


 眼前の状況は悪くない。

 だが、当初の想定よりも大幅に遅れている。

 長槍と盾を持った十人ほどの兵士が隊列をなして道を塞ぎ、盗賊たちの侵入を防いでいた。

 革の鎧に短剣という身軽な装備をしている盗賊の戦力では、軽率に踏み込んだ場合、槍による集中砲火を受け簡単に命を落とすだろう。

 かと言って弓矢による遠距離からの攻撃はすべて盾に防がれる。

 このまま相手兵士の体力が尽きるまで膠着状態を続ければ突破できるだろうが、今は時間が惜しかった。


 何より彼を焦らせるのは逃げ延びてきた伝令からの情報だった。

 裏庭で脱出路を塞ぐはずの人員は早々に敗れ、伝令ひとり残して全滅した。

 表から攻め込んでいる人員より数こそ少ないものの、ほとんどは手練れで、簡単に全滅するような連中ではなかった。

 容易に信じられるものではなかったが、それでも次策は練らなければならない。

 脱出の妨害が失敗したのなら、膠着が続いているうちにも屋敷内にいた人間は続々と敷地外に逃げているだろう。


 煙草の長さが半分ほどなったところで火を握り潰し地面に捨てる。

 ここまでが適正量だった。これ以上は副作用の方が大きい。

 吸う前よりも頭が冴え渡るのを感じた。

 妖精茸。俗にフェアリーマッシュルームと呼ばれる菌類から作られた煙草で、一時的に集中力を高める効能があった。過剰摂取は幻覚・幻聴症状など、名前の由来にもなった副作用が発生する恐れがある。使い慣れたヒースは、自分の適正量を把握していた。

 人並外れた集中力が必須となる魔法使いにはどうしても必要なものだ。

 魔法騎士の中には高潔な精神のためにとして、この煙草を利用しないものも多かったが、彼にしてみれば愚かとしか言いようがなかった。

 何よりも重要なものは目的の達成であり、達成には『力』が必要だ。

 どれだけ汚くとも、生き恥と罵られようとも、ヒース・エンジンは目的達成のためにあらゆる手を使うつもりだった。


「『灯せ』」

 ヒースが左手の指を鳴らすと、右手の上に直径七センチほどの火球が出現する。

 途端に周囲が明るくなった。

 炎の光に照らされた青年は装飾のある金属製の鎧を着ていた。

 鎧で全身を覆う中、右肩付近だけ奇妙に鎧が省略され、腕の可動域が広くなるよう工夫されている。

 右腕の先には手首の位置から、革製に近い厚手のグローブを装着しており、それらの装備は周囲の人間と比べても異質さが際立っていた。

「……ついてこい」

 護衛に声をかけると、未だ膠着状態の屋敷玄関へと進む。


 ヒースが近づくと、兵士と睨み合っていた盗賊の集団が自然と左右に分かれた。

 臆することなく最前線へと歩み出る。

 玄関を堅守する兵士のひとりと目が合った。

 炎の光に照らされた男の目の奥に、恐怖が宿っているのが見えた。


「武器を手放し投降しろ。今下れば生存は保障する。場合によっては、仲間として取り立ててやってもいい」

 ヒースは感情の籠もっていない冷徹な声で告げる。

 決まり切った定型の台詞。彼は相対する敵に幾度となくこの言葉をかけてきた。

 そしてそのいずれもが真実だった。

「……ふ、ふざけるな! 我々が盗賊風情に屈するとでも思うのか!!」

 彼の言葉に激昂した兵士が顔を赤く染めながら叫んだ。

 同調するように他の兵士も声を荒げる。

「我等、マルド様に命救われ、ギリジア家に忠誠を誓った者! 例え身が焼かれようと、この魂燃え尽きるまで貴様らに道は譲らぬと知れ!」


「……わかった」

 兵士の叫びの間も、ヒースはじっと相手の目を見ていた。 

「俺は選択の機会を与えた。これから起こることは自業自得だ。……『忠誠心』、『高潔さ』。そんなもののために、一番大事なものを失う」

 結末を知る盗賊たちは、無慈悲な宣告を聞いて静まり返っていた。

「これは俺が殺すと決めたからではなく――」

 ヒース・エンジンは火球を下手でそっと放り投げた。

「――お前たちが死ぬことを選んだ、、、 んだ」

 兵士の構えた盾に当たると火球は破裂し、火炎とともに強烈な衝撃波を生じさせた。

 その衝撃を正面からまともに受けてしまった兵士は後方へ吹き飛び、壁にぶつかって動かなくなった。

 直撃した兵士以外も火が身体に燃え移り、徐々に大きくなっていく火炎を見ながら断末魔の悲鳴をあげている。

「『灯せ』」

 再び指を鳴らして火球を生み出す。

 幸運にも無事だった残りの兵士に向けて、火球を投擲した。



 長らく膠着していた戦況は、ヒースによって一変した。

 下っ端の盗賊たちが死体になった兵士たちの肉体を余所にどけ、玄関前に道を作る。

「そのまま裏庭だ。進め」

 橙色の髪をした青年の声に、その場にいた盗賊たち全員が従った。

 叫声をあげながら続々と屋敷内を直進していく。

 ヒースも続いて屋敷内へと入っていった。

 破壊した二階から染み出す黒煙と焦げ付く臭いこそあるものの、狙い通り一階はまったく無事だった。


「ボス、お耳に入れたいことが……」

 先行していた部下のひとりがヒースの元へ歩み寄る。

 震える声に緊張した面持ち。こういう時は決まって悪い知らせだった。

 話す様に促すと、冷や汗をかきながらぽつりぽつりと呟き始めた。

「あの、廊下に縛られ気絶していたものがおりまして……。それがですね、恐らく単身潜入させていた者でして……」

 話に耳を傾けながらも、足は裏庭へと向かう。

「あの……ゴーゼンが、何者かに倒されておりました」

 その名を聞いて驚きと『届くはずだった知らせ』に対する回答を得る。

 ヒースは盗賊に仲間内でも特に腕の立つ人間をひとり、襲撃と同時に屋敷に潜入させていた。

 目的はギリジア家令嬢、クイーナ・ギリジアの誘拐。

 王子の許嫁にもなった由緒ある貴族の娘。

 ただそれだけで人身売買において、数え切れないほどの価値を生む。

 屋敷にいるはずのこの女を速やかに強奪するため、信頼のおける優秀な駒を使っていた。

 剣技に精通したゴーゼンならば三人の兵士を相手にしても、軽々と勝利することができる。倍の人数に囲まれても、上手く立ち回り逃げ延びることができるはずだ。それほどの剣の腕だった。

 クイーナを確保した後は即座にヒースのもとに戻り、報告する。

 だが、ここで倒され縛られているのなら、報告が届かないのも道理だった。

「……」

 ゴーゼンに勝利するほどの剣の腕前。さらに、殺さずに縛り生かしておく余裕。

 この場に、ヒースが予想していない異分子が紛れ込んでいた。


 裏庭の扉の前。

 我先にと押し合う盗賊たちが、両開きの扉を外側へ開け放つ。

 最初に目に飛び込んできたのは、走る馬車だった。

 三台の幌馬車が西へ向かって駆けていく。男たちは手あたり次第に武器を投げるが、当然当たるはずもない。

 しかし、ヒース・エンジンは違った。

 呪文とともに火球を出現させ、馬車に向かって投げ込む。

 最後尾を走っていた馬車の荷台に衝突し爆発すると、粉々になった木片が飛び散り、覆っていた布についた火は燃え広がった。

 突然の火に馬は鳴きながら暴れ狂い、御者の指示も聞かずに勝手な方向へ逃走しようとする。それが事態を悪化させ、残っていた馬車の部分も崩壊していった。御者の席にいた兵士は転がり落ち、足を引き摺りながら、燃え盛る馬車の残骸から必死に離れていく。

 

 ひとつ。

 ヒースは心の中で唱えていた。

「『灯せ』」

 連続して投げた二つ目の火球が別の馬車に当たると、同じ様に燃えながら砕け散った。

 ふたつ。

 最後に残った馬車は最も素早く、破壊した馬車よりも随分先を走っていた。

 距離にして五十メートルほど。

 余裕だった。

 みっつ。

 ヒースから放たれた火球の速度は一瞬で馬車に追い付く。


「ちっ……」

 メイド服を着た少女は舌打ちをする。

 手には銀食器。

 意識は自分たちのもとへ飛来した火球へと注がれていた。

 魔法。

 組成も原理も不明。

 使用者の手を離れたあの火の玉がなぜ起爆しているのかもわからなかった。

 経過時間。衝突感知。または意志で自在に起爆が可能なのか。

 試そうにも、それ以前に飛来した二発の火球には手も足も出なかった。

 少女の肉体では力が足りず、離れた位置を走る馬車まで銀食器を投擲することが不可能だった。

 考えもまとまらないまま、荷田はナイフを真っすぐに投げ込む。

 馬車と火球の距離はまだ少しある。この距離ならば、爆破の影響も小さいはず。

 中心へと向かったナイフは、しかし爆発を招かなかった。

 火球に弾かれ、輝く銀色は見えなくなっていく。


 失敗した。

 極限の集中で意識は研ぎ澄まされ、火球の動きはスローモーション撮影のように見えた。

 だが、荷田自身の肉体はそれ以上に遅々として動かない。

 馬車まで残り一メートルを切った。

 迫り来る死の時間の中で、荷田は違和感を覚える。

 火球の、ナイフが当たった箇所。

 太陽の黒点のように、その位置だけが黒ずんでいた。

 馬車まで残り十センチ。

 銀食器を投げるために伸ばした指先に触れる。

 直前だった。

「『砕け』」

 視界が土色に染まる。

 遅れて爆発音。

 衝撃波が馬車を揺らす。

 しかし、与えた影響はその程度だった。

 

 荷田の視界も、隣の隅国の視界も砂煙に覆われ、決定的な瞬間に何が起こったのか知覚することはできなかった。

 聞こえた言葉と、突如現れた土塊。

 その塊から離れて、ようやく理解しだす。

 土塊の正体は、巨大な壁だった。

 馬車と火球の間に不自然な土壁が隆起し、馬車を火球から守っていた。


「……地の魔法か」

 ヒースは呟く。

 状況の大きな変化にもかかわらず彼は冷静で、左手の形は既に指を鳴らそうとしていた。

 離れていく馬車は、それでも百メートルも離れていない。

 まだ届く。

「……『灯――ッ!?」

 呪文を唱えようとした彼の視線を遮るように地面がそそり立つ。

 馬車を守った土壁が、彼の目の前にも出現していた。

 予想外の事態に、ヒースが初めて動揺を見せる。

 動きの止まった彼を横目に、馬車は夜闇に消えていった。


 金属鎧特有のかしゃりという足音がした。

 ヒースは苛立たしげに、ゆっくりと顔を向ける。

 立っていたのは十人にも満たない兵士の集団だった。

 どの男も満身創痍といった体であるのに、瞳だけは気力に満ちている。

「……なるほど」

 ヒースは納得する。

 魔法を使えるものが屋敷を守る兵士の中にいたのであれば、裏庭へと送り込んだ騎兵の全滅も理解ができた。いくら歩兵と騎兵における戦闘力の差が大きかろうと、地形を操るものがいるのなら馬など役には立たなかっただろう。

「追わせはしない。お前たちの相手は我々だ」

 先頭に立つ男が声を張り上げた。

 相対する盗賊は、ゆうに三倍の数がいた。

 明らかに敗北が決定付けられた戦い。

 しかし先頭の兵士は臆することなく、握り拳を突き上げた。

「マーレイ・ランドミリオン、参る」


「……」

 盗賊側の戦闘に立つ男は、それでも無表情に告げる。

「一応聞いておいてやる。……下るか、死か。選べ」

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悪役令嬢、倒錯す 平 四類 @shiki4

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