第14話:救助

 盗賊の男は脳震盪を起こして意識を失い、前のめりに倒れる。

 当然男の前にいた荷田は倒れてくるその巨体に押しつぶされた。

 ぐえっと小さく呻いて、少女の身体は伸ばした左腕を残して完全に覆い隠された。

「荷田さん!」

 隅国が駆け寄る。

「……問題ない。引っ張りだしてくれ」

 唯一見えている手をぐーぱーと開閉しながら無事を知らせる。

 隅国はそれを確認するとようやく一息つき、安心した顔で少女を男の下から引き摺りだした。

 救い出された荷田はメイド服をぱたぱたと叩いて埃を落とす。

「何とかなったな」

「何とかなったな、じゃないですよ! もう少しで死んじゃうところだったじゃないですか!?」

「でも生きてるだろ」

 なら良し。平然とした顔でそう言い放つ。


 令嬢は安心とは違う深い溜め息をつき、肩をがっくりと落した。

 直後何かを思い出したように、はっとして顔を上げる。

「で、で!!! 荷田さん!? いつの間に魔法なんか使えるようになったんですか!?」

「は? 使えるわけないだろ」

 荷田は倒れ伏す男から銀食器を引き抜く。

 前向きに倒れたせいで、背面に刺さっていた銀食器は簡単に回収することができた。これが反対の後ろ向きに倒れていた場合、男の首筋のフォークは自重で深く押し込められ致命傷になっていただろう。

「じゃあ、さっきの炎は?」

「これか?」

 荷田は小さな右手を広げる。そこにはマッチ箱のやすりと焦げ残ったマッチ棒があった。

「手品みたいなもんだ。事前に手に紐で結びつけておいて、指パッチンで擦って点けた」

「え、え、じゃあ魔法は使えないんですか?」

「そう言ってるだろ。俺はお前から呪文しか教わってない。そんな呪文を唱えるだけで使えるもんなのか?」

「いえ、魔法には呪文と手の形が必要ですけど。じゃあ荷田さん、指を鳴らす仕草をしたのってまったくの偶然……!?」

「片手で火を点けられるのはこれしか考え付かなかった」

 隅国は驚きのあまり声を失う。金魚のようにぱくぱくとして言葉にならない空気が口から漏れていく。

「盗賊の中にも火の魔法使いがいると言っていただろ。ほんの少しでも相手の注意を引く糸口になればと思ったが、予想以上に上手くいった」

 小さい指から糸を外して、縛り付けていた小道具を捨てる。

 もし戦いが拮抗した場合、決め手となるのは一瞬の隙だと荷田は経験から知っていた。その一瞬のため、戦闘の最中不必要に声を上げたり、相手の目を引くような行動を取っていたのだった。


 呆然とする隅国を尻目に、荷田は男の身体を物色し始めていた。次々と身に着けているものを外し、服を脱がす。

「ちっ、酒だけか」

 少女は悪態をつくと、手に持った革の水筒を適当に放った。

 さらに男の持っていた縄を見つけると、身動きできないように身体の至るところを縛り始める。これには隅国も協力し、作業は数分で終了した。荷田の指示や動きがやけに手慣れていたことは、気にしないことにする。

「これはお前が持ってろ」

 少女は床に乱雑に置かれている盗賊の所持品の中からひとつ手に取ると、隅国の方へ投げる。ガシャンと重い物音の先を見ると、正体は先ほど男が使っていた両刃の刀剣だった。

 刃は鞘に収められ、革のベルトと繋げられて腰に巻いておけるようになっていた。

「えぇ、でもこれはどうするんですか?」


 隅国は右手に持つ使い慣れた武器、絵画の額縁を振って見せる。

 その言葉に荷田は心底呆れたような顔をした後に天井を仰ぎ見て、深いため息をついた。

「じょ、冗談ですよ! うぅ……バイバイ、額縁」

 壁から外してから時間が経過し、既にどこの壁に掛けられていた額縁か隅国にはわからなくなっていたため、彼女は廊下の端に適当に逃がした。

 新しい武器である剣を拾い上げると、ベルトの使い方に四苦八苦したのち、なんとか腰に装着した。

「……わかっているとは思うが、俺たちは盗賊を倒すために屋敷をふらついているわけじゃない。目的はまだ達成していないぞ。」

 荷田の言葉に、隅国が強く頷く。


 再び屋敷内の探索を再開する。

 既に隅国が探し終えていた部屋も相当数あり、荷田も隅国のもとに来る途中、いくつかの部屋を見回ってから来ていた。それらを合計すると、残す部屋の数はかなり少なくなっていた。

「ところで荷田さん」

 廊下を横並びに歩きながら、隅国が口を開く。

「次回のために魔法の使い方を覚えておきましょうよ」

「……勝手に話せ。勝手に聴く」

「まず、魔法を使うにはある条件が必要なんです」

 ぴんと指を立てて、荷田に視線を送る。

「条件?」

「そうです。条件の一つ目と二つ目は、『手の形』と『呪文』。えっと、荷田さんはもう、どなたかが魔法を使うところを見たんでしたっけ?」

 隅国は自分が朝食の時に目にした、父マルドの火の魔法を思い浮かべながら尋ねた。

「メイド長が使うところを見た。水の球を創り出して、それで水やりをしていた」

「なるほど、水の魔法ですね。その時のメイド長がどんな『手の形』をしていたか、覚えてますか?」

「……こうだ」

 荷田は小さな手を組み合わせ、祈るような形を作る。

 相手の反応を伺おうとした荷田は隣を歩く隅国の顔を覗く。自分より遥かに背の高い隅国の顔を見るためには見上げる必要があり、少女は祈るポーズのまま自然と上目遣いになった。

「ふふ、関係ないけど、可愛いですね」

 こちらは真剣に話を聴いているのにこのアマは、と荷田は怒りでいくつか脳内血管がパァンと破裂するのを感じた。だが、ここで感情に任せて口を出しても売り言葉に買い言葉。状況は悪化するのみだと考え直す。今の言葉を聞かなかったことにした。

 荷田は隅国イチリに出会ってから数時間で、彼女の扱い方を理解し始めていた。

「……次は『呪文』だな。メイド長は、確か『ミタセ』とか言っていた」

「ええ、『満たせ』ですね! 水の魔法の呪文です。属性ごとにそれぞれの『手の形』と『呪文』があって、自分の属性にあったものを使えば、それだけで発動します。例えば私クイーナの場合は、火の魔法」


 隅国はおもむろに右腕を持ち上げ、身体の正面で、指を鳴らすポーズを取る。

「『灯せ』」

 呪文とともに、指を鳴らす乾いた音が廊下に響き渡った。

 が、それだけだった。

「……おい、何も起きないぞ」

「そうですよね……。という説明の通り、私が使えればよかったんですけど……」

 肩を落として申し訳なさそうに呟く。

「三つ目の条件、『イメージ』。自分の行いによって魔法という空想が現実に生じると信じられる、確固たる想像力と集中力。これが魔法を使う上での鬼門なんです! 実際、この世界の人たちはこの関門が突破できず、ほとんどの人が魔法を使えないんですよ!」

 隅国は目を瞑り、ふんふんと鼻息荒く説明する。

「なんだかんだ、荷田さんなら何気なく使っちゃいそうですよね。あの走る車から銃で人間を撃ち抜くくらいですから。その集中力を活かせば、もう簡単に――」

「だとしたら俺には使えないな。指の先から超常現象が発生するなんてこと、とてもじゃないが想像できない」

「別に指先からじゃなくたっていいんです、魔法は想像力次第ですから。ほら、今攻撃してきている盗賊だって恐らく炎の魔法使いですけど、屋敷を燃やしたわけでは無いですよね」

 隅国の言葉に、荷田は思い出す。

 衝撃で四散した壁。高速で飛来する壁の建材。無様に吹き飛び転がる令嬢。

 確かに屋敷を破壊した一撃は単純な炎では無かった。

「言ってしまえば爆発みたいなものも火の魔法と言えますからね。水や地の魔法が防御一辺倒なのに対して、蝋燭の火から火薬に近い事象までカバーしているのが、火の魔法の強みです!」

 そう言って隅国は豊かな胸を張った。恵まれたプロポーションを持つ令嬢が取るそのポーズは、傍から見たら中々に様になる光景だった。


「使えないやつが偉そうに……」

 荷田は威張る令嬢を置いて廊下を歩く。

 しばらく進んだ先にある扉の前で足を止めた。

 木製のドアに耳を当て、室内の音を確認した後に静かにドアノブを捻る。鍵はかかっておらず、押すだけで開いた。

 上級使用人の部屋。簡素ではあるもののベッドと机が備え付けてあり、小さなクローゼットのようなものも壁際には設置してあった。テトラやトリーなどの若い低級使用人の場合、複数人が一つの部屋で寝起きをしているが、この部屋はあらゆる家具の配置が一人用の想定で作られていた。

 荷田が合図をすると、隅国が腰の剣をいつでも抜ける姿勢で部屋に入り、内部を見渡す。

 ベッドの下、クローゼットの中など隠れられる場所を慎重に探ると、荷田の方に視線を送って首を振る。この部屋にもいない。

「ちっ」

 少女は舌打ちをする。加えて右足の先でタンタンと床を叩いた。

「もう、荷田さん。イライラしたって事態は進展しませんよぉ」

 のんびりとした口調で隅国が部屋から出てくる。

 荷田は眼鏡の奥から、緊張感のない令嬢を睨みつけた。ひっと小さく声を上げると隅国は縮こまる。

 

 少女は再び舌打ちをすると、手のひらを上にして前に腕を伸ばした。

「……おい、隅国。メイド長に薬煙草とやらを貰っていただろう。それ、一本寄越せ」

「な!? だ、ダメに決まってるじゃ無いですか! 今の荷田さんは未成年なんですよ!?」

「一本だけだ。それなら焚火と大差無い」

 早くしろと言わんばかりに手招きする。

「ホントですかぁ? え~、でもなぁ……。うーん……」

 隅国は渋々ながら懐から巾着袋を取り出して、封を開ける。周囲に奇妙な甘い香りが広がった。

 ちらちらと手元の煙草と少女を交互に眺める。

「……一本だけですよ」

 目を細めて、訝しそうに少女の顔を見た。

「約束は守る」

 そう言って袋から一本抜き取ると口に咥え、用意していたマッチを擦って煙草に火を灯した。

 思えばカーチェイスの前から切らしていた久方ぶりの煙草。

 少女は目を瞑り、旨そうに吸う。

「ごほっ!! ごほっ!」

 しかし、大きく息をしたかと思うと、咳と共に勢いよく煙を吐き出した。

「あ、あ、あのババアなんてもん持たせてくれてんだ!!」

 すぐさま煙草を地面に叩きつけ、靴で火をもみ消す。

 一連の動作の間も変わらず小さく咳をしていた。

「……隅国、お前は絶対にこれを吸うなよ。四肢欠損レベルの怪我でもしない限り、吸わずに痛みに耐えろ」

「ふふ、下手ですねぇ、荷田さん。説得が下手っぴですよ。そこまで言われたら吸って下さいと言っているようなもんですよ……!」

 荷田はフォークを投げつける。隅国は突然の攻撃に驚くが、卓越した反射神経で辛うじて回避した。鼻先を掠めたフォークが遠くで床に落ちる音が聞こえた。

「……言葉で制止しているうちに聞いておけ」

「じ、冗談じゃないですかぁ……」


 ガタッと、フォークを投擲した方角から音が鳴る。

 二人は反応して同時に振り向いた。

 捜索していない部屋は残りわずか。

 隅国はすぐさま音の元へ向かって床を蹴った。

「待っ――」

 荷田の言葉を聞き切らぬまま凄まじい速さで駆ける。一息で数メートルほど跳躍し、該当の扉の前に滑り込んだ。

 ドアノブを捻っても開かないことに気付くと、拳を握って扉を二度強く叩いた。

「トリー!! トリーですか!? クイーナです、助けにきました! もしいるなら開けてください!!」

 廊下に響き渡る大声と共にさらに幾度か拳を叩きつける。

 再び室内で物音がしたが、返答は無かった。


「テトラもいます」

 追い付いた荷田が横に立ち、扉に向かって呟く。

 しばらく衣擦れの音がして、部屋の奥からドアの前まで、人が近づいてくる気配がした。

「……本当にテトラなの?」

 若い女性の声。

 荷田は咳払いをした後、応える。

「……はい。今日トリーさんに頂いた飴の味はストロベリィでした」

 数秒の後、ゆっくりと扉が開いた。

 全開ではなく、指がようやく差し込める小さな隙間ほど。そこからトリーが瞳だけを覗かせて外の様子を確認した。

「テトラ……!」

 視線の先にメイド服を来た少女を見つけると扉を開け放ち、廊下へと飛び出す。

 令嬢には目もくれず、身を屈めて少女へと抱きついた。

「良かった……! 急に屋敷が爆発したかと思ったら、表で兵士たちが戦い出して、怖くて部屋から出られなかったの……。テトラ、会えて良かった……!」

 掠れた声で話しながら必死に、少女の細い腰を抱き締める。

 抱きつかれた荷田は無表情のまま、トリーの頭頂部を見ていた。体格差から動くこともできず、自由なのは首から上だけだった。

 首を捻って横にいる隅国の様子を伺う。

「……良かったぁ」

 彼女は満面の笑みでほっと溜め息をついた。

 目元が赤くなり、細くなった瞳から涙が零れそうになるのを必死に堪えている。

 それは明らかに冷徹な令嬢クイーナ・ギリジアではなく、隅国イチリだった。

 何の役にも立たなかった自分が、誰かの命を助けることができた。

 隅国の心には、自身の身体となったクイーナと、そして荷田への感謝が浮かんだ。


「……トリーさん、裏庭へ行きましょう。屋敷から逃げるための馬車があります」

 荷田はトリーの肩を叩き、自分のエプロンで涙に濡れた顔を拭いてやる。

 顔を上げた先輩使用人は少し驚いた顔をしていて、目の前の少女の顔を見ると微笑んだ。

「……ふふ、あなたはこんな時でも表情が変わらないし、冷静なのね。なぜだか、私よりずっと大人みたい。すごく頼りになる」

 荷田の差し出した手を掴むと、ゆっくりと立ち上がる。落ち着きを取り戻したのか、視界が広がったトリーは少女の隣にいる人影を認識する。

 傍らに立って微笑む令嬢の姿にようやく気づいた彼女は、ドアを叩いていた令嬢の「助けにきた」という言葉を思い起こす。向き直り、髪が逆立つほど素早く頭を下げた。

「お、お、お見苦しいところをお見せしました……!! わたくしトリー、無事でございます! お手数おかけ致しました……!」

 少女への優しい言葉とは違う、明らかに怯えを孕んだ調子で叫ぶ。

「いえ、いいのよ……。使用人を守るのも当然のことなのだから……」

 笑いながら目元を拭い身を翻すと、先導するように裏庭の方向へと歩き出す。

 無視をされたのに嬉しそうにしている令嬢の姿を見て、使用人はより一層顔を青くしていた。

 隅国に続き、荷田とトリーも並んでおずおずと歩き出す。

 厨房以外にも裏庭へと出ることのできる区画は他にもあった。

 隅国は昼間の敷地内探索の際に蓄えた地図を頭の中に思い描き、最短でたどり着ける道を選んだ。

 

「……テトラ、メイド長は無事なの?」

 トリーは上体のみを屈めることで少女と頭の位置を合わせ、耳元で囁く。

 小さい声であったが、閑散とした廊下であるため、先を歩く隅国の耳にも届いていた。

「ええ、メイド長は先にお逃げになっているはずです。恐らく使用人としては、ここにいる私たちが最後でしょう」

「そう……」

 トリーは胸に手を当て、ほっと息を吐く。

「それで……どうしてクイーナお嬢様がここに?」

「兵士たちは防衛で手一杯です。状況を鑑みて、お嬢様自らがトリーさんの救助に出ることをご希望しました」

「嘘……信じられない。クイーナ様が……?」

 心底信じられないと目を見開き、両手で口を覆う。

「ご覧の通りです」

 荷田は言葉と共に前方の令嬢へと視線を移す。

 廊下を転がり回ったせいで深紅の髪は乱れ、剣撃によって豪奢な服は破け、肌が覗いている箇所もあった。いくつかの傷は未だに血が止まらず、布を赤く染めている。

 再び荷田はトリーへと視線を戻す。彼女は静かにその後ろ姿を見つめていた。

 が、令嬢が振り返ると誤魔化すように目を逸らした。


「着きました」

 振り返った隅国が目的の場所を手で示す。

 屋敷の東側にあるテラス。このテラスからならば、苦もなく屋敷の外へ逃げる事ができる。

 今度は使用人二人が先を進み、反対に隅国が殿を務めた。

 テラスに出て裏庭へと続く階段を下る。手元に明かりも無いため、石造りの階段を踏み外さないよう慎重に動く。

 建物から離れるたび、秋口になったばかりの夜風が強くなっていくのを感じた。

 全員がゆっくりと下り終えたところで、裏庭奥の林から人影が近づいてくるのが見えた。

 使用人の間に令嬢が割り込み、腰に付けた刀剣の柄に手を置く。

「誰ですか?」

 人影を睨みながら隅国が口を開く。

 相手は構える隅国に対して一瞬のみ躊躇したものの、歩みは止めずにお互いの顔が認識できる位置までにじり寄った。


「お嬢様、私です。マーレイです」

 低い声。名乗った男は両手を広げて敵意がないことを示す。

 年齢は三十代ほど。短く切り揃えられた頭髪、口元には整えられた髭。鍛えられた胴には鈍く光る鎧を身につけていた。新しいはずの鎧はところどころが凹み、返り血で赤く塗れている。

「……」

 名乗られた隅国は当然、聞き覚えはなかった。肉体がクイーナであるとはいえ、隅国の記憶は今朝からのものしかない。

 だが、その顔は昼間の敷地内散策の折に隅国を睨んできた兵士のものだった。

 隅国は胸に溜まった息を吐き出し、剣の柄から手を離した。

「メイド長はどうしていますか?」

「モノさんですね、既に先行の馬車に乗って脱出されています。貴方を待つと聞かないものだから、乗って頂くのに苦労しました」

 答えながらマーレイは奥の方へ向かって手で合図をする。すぐさま馬の嘶きが耳に届き、どこからか数人の兵士と馬車が姿を現した。

 馬車は大きな荷台にテント状に布が張ってある幌馬車ほろばしゃだった。中には木箱が積み込まれており、本来は人を運ぶためのものでないことがわかる。

「このような馬車で申し訳ありません。ですがこれもお嬢様の身の安全を考えてのこと。念のためお嬢様の脱出と合わせて馬車を複数走らせ、追手がいた場合も撒けるよう別々の道を使わせる手筈です」

 近くにいる兵士たちのうち三人は御者の役の様で、手に長い馬鞭を持っていた。

 全員が鎧に血を浴びており、裏庭でも壮絶な戦いが繰り広げられていたことがわかった。


 早々に警戒を解いた隅国に対して、最後まで用心深く備えていたのは荷田だった。

 目の前の男たちに関しては名前を聞いたトリーが何事もなく信頼したことや、メイド長の名前を出したことからも注意を緩めていた。恐らくこのマーレイと名乗った兵士も、安心させる目的からそのような行動を取ったのだろうと推察する。

 しかし、まだ盗賊が消え失せたわけではない。

 未だに屋敷の表側では戦闘が続き、いつこの裏庭まで戦火が及んできてもおかしくない状況だろう。

 むしろ最初にメイド長から聞いた彼我の戦力から鑑みると、裏庭の兵士が生き残っていること自体、意外なほどだった。

「……マーレイさん、相手は騎兵だったと聞きました」

 少女の問いかけを聞くと、マーレイは意外そうな顔をしながらも答える。

「ええ、騎兵と歩兵の混合部隊でした。ですが、もしもの場合の訓練はしてきています。今回はその備えが功を奏しました。とは言え、私が不甲斐ないばかりに多くの仲間を失い……」

 目を伏せるマーレイに、斜め後ろにいた兵士が声を荒げる。

「何を言っているんですか!? 隊長がいなければ、我々は早々に死んでいたはずです! 隊長のあの力があってこそ!」

「よさないかっ!!」

 温和な表情をしていたマーレイが大声を上げて言葉を止めさせる。

 兵士はびくりと震えると、下を向いて萎縮した。

「……屋敷を守り切れず、脱出を手助けすることしかできないこの有様。私に護衛を任せて下さったマルド様に申し訳が立ちません」

 兵士たちの隊長は令嬢に対して頭を下げる。

 固く握り締める拳から、赤い血が滴った。

「……」

 隅国は彼に対して掛ける言葉は持っていなかった。

 本来ならば、クイーナならば、と胸に渦巻く想いがただ強くなっていくのを感じていた。


 出し抜けに、空が明るくなる。

 その場にいた全員が一斉に上を向いた。

 光源は屋敷の表。

 強い光を放つ物質が現れ、それが反射して裏庭まで届いているようだった。

 閃光が一際強く輝いたと思うと次の瞬間、爆発音が響いた。

 徐々に弱まる光と共に野太い歓声が轟く。


「まずい……」

 マーレイが呟く声が全員の耳に聞こえた。

「早く! 早く馬車に乗ってください!」

 急かすマーレイの指示に従って隅国、トリー、荷田と次々に荷台に乗り込む。

 荷田はひとりでは乗れず、トリーに引っ張り上げられる形となった。

 最後に残ったマーレイのために、隅国が荷台から手を差し出す。

「貴方も!」

 それを見た彼は少し驚いた後、目を瞑り首を横に振った。

「安心してください、お嬢様。散っていった同志の分も、後顧の憂いは我々が断ちます」

 伸ばされた手から離れ、馬車の前方へ行く。

 マーレイは御者の席に座る若い兵士へ向かって叫んだ。

「行け!!」

 緊張した面持ちの若い兵士が慣れない手つきで鞭を振るうと、反応した馬が駆けだした。

「ま、待ってください!!」

 隅国は荷台の縁を掴み、上体を乗り出しながら叫ぶ。

 速度を増す馬車と夜の闇のせいで、あっという間に兵士たちの姿は小さく、見えなくなった。

 視線を外さずにいると、二りょうの馬車が闇から駆けだしてくる。

 どちらも隅国たちの乗っている馬車より粗末で、馬も貧相な見た目をしていた。マーレイに聞かされていた隅国たちには、それが例の囮馬車だとすぐにわかった。


 裏庭の東から出発した馬車はそのまま屋敷に沿って西側へと向かっていく。

 屋敷の中央。

 大きな裏口があり、両開きの扉が備え付けられている区画。

 その地点を馬車が通過するとき、狙ったかのように扉が開け放たれた。

 中から男たちが湧き出してくる。

 ばらばらの服装と我先にと走る統率の取れていない動きは兵士のものではない。

 松明と、反対の手に持つ盗品の入った麻袋が彼らの素性を説明していた。


 逃げる馬車を目の端に捉えた盗賊たちは松明や剣を投擲し、破れかぶれに攻撃を試みる。いくつかは馬車の前に刺さり、残るほとんどは明後日の方向へと飛んでいって、馬車に被害を与えるものはなかった。

 縁にいた隅国は姿を見られまいと、荷台の奥へと転がる。

 目を離す最後の瞬間に見たのは、最後に扉から出てきた橙色の髪をした青年だった。

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